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ゆぴの創作おもちゃ箱

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小説や写真などの作品です。
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ラジオの隙間から

ラジオの隙間から

マーブルの美しい表紙は、すっかりふやけて歪んでしまった。

お気に入りの文庫本を右手に、ほんのりとリンスの香りのするタオルを左手に浴室を出る。瞬間、湯気が身体から立ち昇り、火照った頬が冷やされて濡れた。

浴室を出てすぐ右には、以前祖母が使っていた小さな和室がある。襖の隙間からは、ず、ずう、父の不規則ないびきに混じって、付けっぱなしの有線の音が漏れていた。それは、あの頃、父がよく車の中で流していた

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“所在”ないな

“所在”ないな

永遠に止まらないんじゃないかと思った。

気になっていた新刊を買おうと書店に立ち寄ったが、自力で見つけられずに丸メガネの店員さんに頼んだ。

あちこち歩き回って探してくれたその本は、あろうことに書店の1番良い場所、つまり入り口に平積みされており、「順調に売れているのだな」と思った。

そんな本を膝に乗せたまま、1ページも読まないまま、ずいぶんと長いこと眠っていたらしい。

スーツを

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タユタ

タユタ

微妙な形の月を眺めながら、のそのそと帰り道を歩いている。大通りから3本ほど奥を行ったこの道は、鈴虫の声がよく聞こえるほどに静かだ。

今日もたくさん笑って、たくさん悩んだ。

その繰り返しなんだろうなぁと思いながら郵便受けを覗き込み、とうてい買えそうにないマンションのチラシを引っ張り出す。

時刻はもうすぐ0時をまわる。

キッチンで手を洗い、ポットに水を注いでセットする。とっ散らかったワンルーム

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くらげ5パーセント

くらげ5パーセント

「小さいころに顔面から地面に突っ込んだみたいな顔だよね」

日本人らしい典型的な平たい造形をしているわたしを彼は淡々となじった。親指の爪をパチン、と小気味好い音を立てて割りながら、顔もあげずに。

なんてクソ野郎なんだと思いながらも黙って皿を洗う手を動かす。長年愛用している漆の箸は先端が剥げかけていてみっともない。

息を吐くように彼はわたしをなじる。

あざらしみたいに寝るね、と

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まくら。

まくら。

この小説は、確か中高の渡米期間を終えて日本に戻ってきてひとり暮らしを始めたときに書いたものですね…懐かしい。新生活を始めるときはいつだって寂しくて不安で勇気が必要だ。

そっと触れた。

それは手のひらで押せば手形がつく素材でできていたけれど、私はあえて手をのせるだけに留めた。続けて、頬をそのうえにつける。みるみるうちに沈み込む世界と、みるみるうちに歪んでいく景色。新品のカバーを濡らしてしまわ

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【小説未満】サイダーの海

【小説未満】サイダーの海

彼が隣のクラスの女の子からラブレターをもらったことを聞いたのは、縁側に素足を投げ出して、最近出て来た若い女性作家のお粗末な恋愛小説を読んでいるときだった。どこか嬉々とした様子でわざわざ報告をしに来た彼を一瞥して

「そう」

とだけ言ってページに視線を戻した。ぱさ、睫毛を頬に感じて、伏し目のまま何度か瞬きをしてみせる。

「でも大丈夫、俺が好きなのは結衣だけだから」

浅黒い肌に真

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