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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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自信がないあなたへ何度でも言う、『あなたはすごい』

最近周りの友達がバタバタと闇落ちしている。 いや、闇落ちという言い方は正しくないな。仕事に疲れて心を病んでしまっている。 それで、あまりにもひどいので 『早くエスケープしなよ…!』 と言うんだけど、テコでも動かないんだこれが。 なんでかと言うと、大体鬱になってしまう人は、『完璧主義』な人が多く、完璧な理想の自分と現実の自分の乖離が許せなくてもがいているうちにだんだん病んでしまうそう。 自分はもっとできるはずだ、自分なんかが鬱になるはずがない、って更にがんばってし

「計画性」は捨てちゃっていいんだよ

自己正当化も込めて書いちゃうけど!(笑) 自分は計画を立てるのが得意じゃない。 正しくは、「計画を立てること自体は好きだけど計画通りにきちんと遂行できた試しがない」。 夏休みの宿題とか、初日にはりきって振り分けるけど1日も守らない。最終的に成り行き任せになる。 日常的に考えてみると、いわゆるタスクを細分化せずに、いきなり手をつけるタイプだ。 たとえば、文章執筆に「質問リストアップ」「取材」「書き起こし」「文章整え」「執筆」「見直し」という工程があるとしたら、ひとまと

もしも、有り余るほどの時間があったなら

外を出歩かなくなって、お仕事がちょっと減って、時間がたっぷりと生まれた。 おそらくみんなそうだと思う。なす術もなく立ち止まって、ゆっくり、ゆっくりと時が刻まれていくのを全身で感じているんじゃないだろうか。 いつか、「もしも、有り余るほどの時間があったなら」と考えていたことがある。 朝活をして、会社に行って、移動時間は連絡とブログ執筆にあて、休日は副業をしていたとき。 まずは、アラームをセットせずに眠りこけて、二度寝もして、お昼ごはんとも朝ごはんとも言えない時間に、好き

「ムードメーカー」に課せられた謎の使命

「盛り上げないと!って思っちゃうんだよね」 頭の後ろをポリポリを掻きながら、彼女は言った。いつも明るくて天真爛漫な彼女は、飲み会でもちょこまかと席を移動する。 グラスを持ったまま固まっているメンバーに肩をまわして、「盛り上がってる?」なんて言いながらグラスをぶつけにいく。 そうして最終的に飲みすぎてフラフラになった彼女を引っ張って二次会に連れて行った。 後日、「どうして飲み過ぎるのを止めてくれなかったのー!」とプンプン怒りながらも、彼女が漏らしたのが冒頭の一言だ。

クソリプを送れる人は純粋な人だと思う

「マニュアルがあるとさ、人って考えることを放棄すんの。考えないと何も見えない、何も心に残らない。チップなんて、渡したことすら忘れちゃうけど、心からありがとうって言えるようなできごとは忘れないと思うんだよね」 「異国って『ここ』とは違うじゃない。人はみんな分かり合えるとか、人間なんだから同じはずとか、そういうのは嘘っぱちで、みんな違う。みんな違うってことに気づかないと、出会えない。マニュアルってのは、あれしなさいとか、これが常識だって説明するだけで、違うって感覚的にわかること

ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何か

「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」 これは、2004年に直木賞を受賞した、角田光代さんの『対岸の彼女』の一節だ。 ストーリーは、主人公が子どもを公園で遊ばせているシーンから始まる。公園にいる他の子どもたちに話しかけず、ひとりで砂遊びをしている子どもに、主人公はそっと昔の自分を重ねる。 その様子にまた、わたしは自分を重ねてしまう。 どうして子

「難しそう」とか、ぜんぶ妄想乙

とある資格勉強をしようと思ってテキストを取り寄せたまま、1ヶ月が過ぎていた。 テキストが思った以上に分厚くて、「難しそうだなぁ」となんだかやる気が起きないまま、本棚の奥に仕舞い込まれていたのだ。 でも、今回まとまった時期があったので、そろそろやるか、と手を付けたらめちゃくちゃ簡単で、1時間くらいでサクサク読めてしまった。 1ヶ月間、躊躇していた時間ってなんだったんだろうって。 そうやって知らず知らずのうちに自分で自分の可能性を潰しちゃっているものが、きっと世の中にはた

人は「誰かのために」がんばれる生き物なんだ

私は文章を書くのが好きだ。 それは、自分が考えていることや感じていることを早く、確実に、相手に届けられる伝達方法であり、自分という人間を表現するひとつの手段だと思っているからだ。 そうやってずっと書き続けてきたけれど、こうして表立って(これを表立ってというのかはわからないけれど)発信していくには、もうひとつ大事なものが必要だということがわかった。 それは、誰かの喜びを自分の喜びへと転嫁できることだ。 『習慣が10割』という本のなかでは、「人は自分のためよりも、誰かのた

引きこもり生活=「リセット」と考える

家に引きこもり始めて8日間が経った。 私はフリーランスだけど、いつもギチギチに予定を詰め込むタイプなので、1日家で過ごすことはほとんどない。 大抵、予定と予定の合間にカフェで作業をしているか、気合を入れるためにどこかに籠るか、友だちと一緒に作業をしたりしている。 なので、「毎日決まった時間に何かをする」というのが特になく、不規則な生活を送っていた。 それが、在宅で働いているうちに、なんとなく「在宅ワークルーティーン」みたいなものができてきた。 朝は8:00ぐらいにの

「5分マジック」で、なんでもできる

驚くことなかれ。 この2週間毎日、本を読んでいる!! だから何、という感じなのだが、だらしなく忘れっぽく習慣化が苦手なわたしにとっては快挙に近い。 最近『習慣が10割』という本を読んだが、完全にそれの影響だと思っている。 そのなかのティップスのひとつに「5分だけやる」というのがあって、これは、どんな作業でもハードルをうんと下げて「5分だけ」と思えば、「やってみるかぁ」という気になって、気付いたら2時間くらい経ってたー!という魔法のティップスなのである。 実際、最近の

キャンディーひとつで満たされる

「最近小さなことで幸せを感じてしまうんだよね」 と言う人がまわりに増えてきた気がする。 そのたびに「良いことじゃん」と笑って返すけど、「小さなことで幸せを感じること」は不安なことでもあるのだと再確認する。 食べても食べても満たされなかったお腹が、キャンディーひとつでいっぱいになってしまう。 くしゃくしゃの包み紙を見て、「こんなもので満たされるほど自分はちっぽけなのか」と複雑な気持ちになる。 でも、昔はそのたったひとつのキャンディーで確実に満たされていたはずなのだ。

がんばれるときにがんばること

今日は久しぶりに1日まるっと予定がなかったので、引きこもってひたすら仕事をした。 次の予定を気にせずに思い切り仕事に打ち込める環境は久しぶりで、休憩を取るのも惜しくて黙々と仕事をした。 ここのところ本当に忙しかったので、自分で当てる時間をコントロールできる仕事に就いていて良かったな、と思う反面、これは怖いことだな、と思った。 裏を返せば、だらだらとしていても許されてしまうし、それがクセになると、「がんばれなく」なるからだ。 人生にはいつだってがんばらなくちゃいけないと

無理にでもハッピーエンドに導いていけ

声優のレッスンのひとつに「インプロ」という即興劇がある。 これは、数人でチームになり、最初にタイトルを与えられたら、1人ずつ台詞を喋るなり、語るなりして、みんなで順番に物語を紡いでいく。 どう転ぶかはわからないけど、前の人の言葉を聞き、瞬時に意図を汲み取ったり、「こんな話にしたら面白いんじゃないか」と企みながら、最終的にきちんと起承転結をつけていく。 前の人が言ってしまったこと、つまりすでに起こってしまったことは消すことはできないし、無視することもできない。 できるこ

「あの人は特別だから」って土俵ズラしてるだけだよね

タイトルの口の悪さな!!!(笑) いやでも思うんだよ。 「◯◯さんは特別だから」「別格だから」って言う人はたくさんいるし、きっと私も無意識で言っちゃうこともある。 でも、やる前から「手が届かない」なんて思っていたら試合終了だと思いませんか。せめてリングに立ちませんか。 リングに立って圧倒されて降りるならまだしも、まわりからの噂だけ聞いて「敵わない」って思うのってただの憶測だと思うのよ。 たとえばものすごく結果を出している人がいたとして、私が「あの人みたいになりたい!