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34歳独身女性の留学と妊活〜時間を巻き戻せるなら

34歳で仕事を辞めて、イギリスに単身留学をしたみりん(@milin_study)です。

30代は自分のキャリアのことだけを考えて邁進してきたのですが、自分の人生を振り返ってみて、ひとつだけ反省していることがあります。

それは、30代に自分の妊活について真剣に考えなかったこと。

不妊治療をすれば、簡単に子供を授かることができると考えていましたが、現実はそうではありませんでした。
日経新聞でも、下記のように紹介されています。

日本産科婦人科学会のデータでは、不妊治療で妊娠に至る比率は35歳で約26%、40歳で約16%、45歳では3%程度まで下がる。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO67281600S3A100C2TL5000/

本記事では、私の30代を振り返りながら、30代に妊活を考えなかったことによって、40代で私が経験している不妊治療について紹介していきます。

私の経験談が、これからキャリアを考える30代の方々の参考になると嬉しいです。

私が体験したアメリカでの不妊治療をKindle本としてまとめました。詳しい治療の様子を知りたい方には参考になるかと思います。Kindle Unlimited会員の方は無料で読んでいただくことが可能です。


私の自己紹介

31歳:アメリカへ単身海外赴任
32歳:帰国
34歳:イギリスへ大学院留学(MBA)
36歳:大学院を卒業、アメリカで海外就職
39歳:結婚
42歳:不妊治療開始

福岡出身、東京の大学院を卒業した理系女子です。

卒業後は、東京の日系企業に勤めて、上司や先輩に色々と苦労はしましたが、そこそこの会社員生活を楽しんでいました。ただ、人生の閉塞感を感じていたのは事実。自分では現状を変える勇気がなくてどうしようか悩んでいました。それが、一転。ある日、人事から突然命じられたアメリカへの海外赴任が私の人生を変えました。

アメリカへの海外赴任は、私の人生に対する考え方や姿勢を変えた、人生の大きな転換点になりました。このチャンスをくれた、当時の会社の人事の方にはお礼を言っても言い切れないほどです。

そこで出会ったアメリカ人同僚の「キャリアは自分で作るもの」という発言に衝撃を受けて、自分の人生を変えたいと決意。

今思うと、ふつうのコトですが、当時の私はキャリアは会社の人事による人事異動によって作られるものという意識が強く、自分で切り拓いていくという意識が薄い会社員でした。

その手段として、海外から帰任後すぐに、2年後の海外留学を志しました。そのとき、すでに32歳。ここから、2年かけて留学準備。海外赴任を経験しても英語は話せないし超苦手。平日夜と土日は、スタバ・図書館・塾に通い勉強三昧。フルタイムで働きながらの留学準備、私には遊ぶ暇はありませんでした。

留学の1年前からいくつかの奨学金に応募し奨学生としての権利を獲得。希望校からの合格がなかなかもらえず苦労しましたが、なんとか滑り込みで合格を獲得。念願かなって34歳でイギリスへ単身で大学院留学。

イギリスでの大学院生活は、学業はもちろんですが、恋愛もかなり痛い目にあいながら楽しみました。でも、イギリスでの恋愛は将来をかけようと思うほどのものではなかった。そして、大学院を卒業する36歳。色々とコネづくりを頑張り、アメリカで仕事を見つけて、アメリカへ単身移住しました。その当時は彼氏なしのシングル。アメリカの家賃高騰のため、36歳にして台湾人の女性ルームメイトとの共同生活でアメリカ生活がはじまりました。

→ 34歳で会社を辞めて留学した私の詳しい自己紹介はこちら

怖いもの知らずだった、36歳からのアメリカ婚活

アメリカで就職後、海外で仕事を一生懸命がんばりたいという気持ちもありましたが、そろそろ結婚して自分の子供を産んでみたいという気持ちが芽生えてきました。

それまでは、恋人はいたり・いなかったりでしたが、結婚をしたいという気持ちが起きなかったのと、自分がやりたいことを優先していたため、将来どこに住むかもわからないので、ある程度の居住場所が見えてくるまで結婚はしないでおこうと、(今思うと)のんきなことを考えていました。

とりあえず、留学も終わり、アメリカでしばらく住もうと思ったので、まずは相手を見つけて結婚して子供を産もうという気持ちから、2年以内に結婚するぞと心のなかで決意して、婚活を開始しました。

いい意味で鈍感だったのですが、30代後半の婚活が厳しいとは全く気づいていませんでした。アメリカでの婚活はよくわからなかったので、職場で知り合ったアメリカ人に教えてもらった婚活アプリ(Match.com、Tinder、BagleMeetsなど)を複数使いながら、まずは出会いを探しました。

あとで日本に住んでいる友達から聞いたところによると、30代後半ともなれば婚活はかなり厳しいと聞きました。

アメリカでの婚活は、写真写りが最高によかった写真を登録して相手をさがしはじめました。そこそこマッチしたので、メッセージを交換して話が合いそうだなと感じた何人かのアメリカ人と会いました。アメリカでの最初のデートはコーヒーを飲んだり、ご飯を食べるが王道。平日の夜か週末の昼に、何度か最初のデートにでかけました。しかし、運命の相手にはなかなか会うことができません。例えば、下記のような理由でなかなかお付き合いには至りませんでした。アメリカでも出会うのは大変でした。

会ってみると話がはずまなかった
相手の会話が上から目線で嫌な感じがした
真剣な交際ではなく遊び相手を探している感じがした
デート中に他の友達と話し込み30分ほど放置され、優しさを感じなかった
他にも何人かとデートをしている雰囲気がして信用できなかった
名前が偽名っぽくて信用できなかった

私が一番戸惑ったのはアメリカのデート文化。日本では何回かデートして、雰囲気がよかったら告白してお付き合いとなるのですが、アメリカでは数カ月間のデートをしながら(告白などはなく)自然に真剣交際に発展するのが普通のようです。デート期間には複数の相手を見定めるのもOKとのこと。ただでさえ、相手が考えていることや言っていることがわからないときもあるのに、どうやって自然に相手が自分との関係にコミットするのかもわからず、色々と不安に感じることがありました。私はこのアメリカのデート文化に大いに振り回されました。

出会いから進展して、少しだけ付き合った人もいたのですが、なかなか結婚したいと思えるほど信頼できる人に出会えませんでした。もう、アメリカではデートアプリで出会うのは難しいかな、少し婚活を休もうと思ったのが38歳。アメリカに移住して、もう2年も経過していました。

そんなときに、ふとしたことから職場の同僚とつきあうことになり、3ヶ月後には結婚していました。人生っておかしなものです。結婚したいと思っていたときには良い縁に恵まれなかったのに、半分諦めたときに良い縁がふら〜っと舞い込んできました。良い縁があると、こんなにトントン拍子に話が進んでしまうのかと自分でもこのスピード婚に驚いたぐらいです。

38歳アメリカで結婚

思いの外、結婚生活は楽しく感じました。かつて、20代の頃に同棲していた相手がいたのですが、そのときは、家事は私がやるのが当たり前、私が病気で寝込んでいるときにはため息をついて嫌味を言われるような相手だったので、同棲は楽しくない、結婚は墓場だと思っていたのですが、今回は幸運にも違いました。

確かに、結婚をすると、時間外の仕事は抑えないといけないし、夕方になれば一緒に食事をつくって、一緒に食べて家族団欒する時間を作る必要があります。多少は相手の生活のペースにあわせないといけないので窮屈さを感じることはありました。しかし、それも次第になれてきました。

それ以上に、結婚には良いところがありました。人生の様々なイベントを一緒に楽しみ、共有できる相手ができて、人生が二倍楽しくなりました。遅くはなりましたが、結婚してよかったと今でも感じます。

いつかは「二人の子供を」と話していました。しかし、「しばらくはふたりの時間を楽しもう、すぐに子供ぐらいできるよね」と38歳カップルは呑気に構えていました。これが大間違い。本来であれば結婚後すぐに妊活を開始して、120%の力を注いで妊活をすべきでした。自分たちの身体のことがわかっていませんでした。

今だから言えます。120%、私達は間違っていました。

42歳からアメリカで妊活・体外受精

そして数年後。ある女性の同僚と妊活の話になりました。それまでは、一切妊活の重要性に気づかなかったわけです…。確かに、数年前に少し年齢が上の女性の方から「子供は簡単にはできないよ」とは聞いていましたが、婦人科系の病気もない、血液検査の値でも優秀だと言われる「健康な自分」に限っては当てはまらないと楽観的に捉えていました。

私より年齢が3−4歳若い同僚が不妊治療に通うというのです。「え?」となりました。急いで調べてみると、私は完全に妊活の「ロスタイム」でした。もう赤ちゃんが自然妊娠ではできないと言われる年齢になっていました。

血液検査の結果は良好だし、生理も定期的にきているし、健康診断では優秀だと言われるんだから、そんなはずはないと半信半疑でしたが、気になったので健康保険が適用できるアメリカの大学病院を受診。初回のカウンセリングで自然妊娠で子供をさずかる確率は5%以下だと言われました。アメリカの先生によると、「卵子が使える可能性が低い場合は、卵子提供を推薦するんだけど、君はまだ大丈夫そう。だけど、もうあと1〜2年だね。今すぐにでも始めないといけないよ。」と。ショックでした。

アメリカの不妊治療の病院はすぐに予約がとれません。2−3ヶ月待ちは当たり前、人気の病院になれば6ヶ月や3年待ちもあるとのこと。思い立ったら、一日でも早く予約をとることをオススメします。

そこから私たちの妊活生活がはじまりました。血液検査・子宮卵管造影検査(通水検査)・精液検査と検査三昧。不妊の原因をさぐるための検査を行いました。検査だけでも、1−2ヶ月かかりました。検査の結果は、すべて正常。不妊の原因はわからないけど、とりあえず時間がないから治療をはじめましょうとのことでした。

もう少し若い年齢であれば、タイミング療法や人工授精(IUI)などのもう少しマイルドな不妊治療から始めるようですが、ロスタイムの私には全く時間がありません。すぐに、最終手段である体外受精(IVF)を始めますと言われました。試験管ベイビーに抵抗があるとか、そういうことは言っていられない状況です。「子供が欲しかったら、すぐにでも体外受精をしなさい」と先生は私に問いかけてきました。

体外受精に抵抗がある人も多いはず。私の家族も体外受精に抵抗がありました。しかし、不妊治療をすすめるにつれ、自分たちの身体のことを理解し、そう簡単に妊娠できるものではない、ということを理解し始めると、体外受精が嫌だということは言っていられなくなりました。

そして、アメリカの病院から送られてきた、治療費用の見積もりを見てビックリ。たった1回の採卵に、30,000ドル近い価格(約440万円)が書かれていました。私は保険が適用される病院を選んだので自己負担額は減るのですが、それでも100万円は軽く支払わなければならない金額でした。こんな金額をどうやって払えるのかと思いましたが、自力では妊娠できない、しかも時間がないので、やるしかないかと決断したところで、家計を圧迫する予期せぬ出来事が起こり、お財布事情が怪しくなってしまいました。そのため、財政的な問題からやむを得ず妊活を中断することになりました。このとき、すでに42歳。ロスタイムからさらに時間をロスしました。

そして10ヶ月後。家計が落ち着いてきたので、妊活を再開。

体外受精(IVF)とは、2週間近く、毎日お腹に何本かの注射を自分で行って卵巣を刺激し、複数の卵胞・卵子を育み、採卵。さらに、夫(もしくは精子提供者)から採取した精子を体外で受精させて、無事に育った受精卵を子宮に戻す方法です。専門の病院の説明はこちら。

体外受精とは、体外に女性の卵子を取り出し、パートナーの精子と一緒にして受精させ、できた受精卵を子宮に戻して着床を促す治療です。

http://www.klc.jp/cure/ivf1.html

高刺激の注射は、使用する薬剤にもよりますが、20〜40万円かかります。私の場合は、保険が注射に対しては適用されなかったのですべて自己負担。薬も薬局によって値段が違うので、複数の薬局に相見積もりをもらって、価格比較をして…と仕事で培ったスキルを活かすことができましたが、疲れました。結局、50万円近くを不妊治療の注射代として支払いました。

高刺激の注射自体も、身体的にも精神的に苦痛でした。毎日、朝と晩の決まった時刻に4〜5本の注射を2週間、自分でお腹に打ち続けます。注射は決まった時刻にうつのが鉄則。時には、搭乗中の飛行機の中でコッソリうったこともあります。注射をうったおへその周りが青あざだらけになるほど、たくさん注射を打ちました。日々、お腹がドンドン青くなっていき、うてる場所がなくなっていきます。毎日、注射の時間が嫌で嫌で、2週間は本当に時間の流れが遅く感じました。もちろん、薬剤の影響で頭がぼーっとするときもあるわけで、身体的にも疲れました。それでも、私は薬剤による副作用が少なかったほうだと思います。

さらに、働きながらの不妊治療で辛かったのは、スケジュール管理。病院からは急に電話がかかってきて「2日後のX月X日のX時に来てください」と言われます。病院も、私の身体の状態に合わせてスケジュールをとってくれるのですが、急な病院の診療スケジュールに合わせて、仕事を抜けたり、会議の時間を変えてもらったり。スケジュール管理も大変でした。じゃあ、仕事を辞めたらと言われそうですが、それでもお金を稼がないと数百万円の不妊治療はできません。だから、働くしかありません。朝早くに夫を起こさないようにこっそり起きて、病院に通ったこともありました。上司や同僚に悪いなと思いつつも、不妊治療の期間だけは全てを犠牲にして、不妊治療を第一にスケジュールを組みました。

そして、全身麻酔で採取した卵子は(良くても)10〜12個。身体の調子や年齢によっては、ずっと少ないときもあります。その卵子がすべて体外受精に使えたらいいのですが、そんなことはありません。卵子が未成熟、受精が正常に起きなかった、さらに40代であれば卵子の老化による受精卵の質の問題(遺伝子異常)があり、さらにぐぐっと数が減ります。老化した卵子は遺伝子異常がある受精卵になる可能性が高いようです。

私の場合は、結果的に10-12個を採卵しても、実際に身体に戻すことができる受精卵は1-2個。ひどいときは、12個を採卵して、1個も身体に戻せないこともありました。150万円近くお金をだしても受精卵が0個。流石に精神的にこたえました。その原因は、受精卵がすべて遺伝子異常だったから。遺伝子異常の受精卵は、流産の確率が高くなると言われており、アメリカの病院では基本的には遺伝子異常の受精卵は体内に戻してもらうことができません。42歳をすぎると80-90%は遺伝子異常と言われており、受精卵が10個とれても1-2個しか正常な受精卵(胚盤胞)がない、つまり再び体内に戻すことができませんでした。

アメリカでは、受精卵着床前検査、別名PGT-A(Preimplantation genetic testing for aneuploidy)が移植前の胚盤胞に対して行われます。受精卵着床前検査とは、体外受精によって得られた胚の染⾊体数を、移植する前に調べる検査です。この検査によって、流産などのリスクを下げることができると言われています。

そんな数々の困難を乗り越えて、やっとやっと遺伝子が正常な、移植可能な受精卵を2個獲得できた私たち。これで妊娠できる、赤ちゃんを育てられる!と期待していたら、さらなる壁が待ち構えていました。

次の壁は、受精卵の移植と着床・子宮内での成長。安定期に入るまで、流産する可能性もあるようです。私も、毎回5,000ドルのお金を支払って、2ヶ月ぐらい前から色々な下準備をして、貴重な貴重な受精卵を1個ずつ、2回戻しました。化学流産&子宮内での未着床となり、妊娠に至ることができませんでした。うち1この受精卵はAAと呼ばれる特上クラスに質が良い受精卵。そんな特上の受精卵でも着床せずに化学流産となってしまいました。着床・妊娠することもまた大変だったんです。

子供にそこまで執着がなかった私でも、化学流産がわかったときには涙が流れてきました。子宮内に受精卵を戻してから、まだ見ぬ我が子に名前をつけて毎日「○○ちゃん、着床してね、元気に生まれてきてね」と愛情を注いでしまっていました。一緒に過ごした10日間を考えると、大好きな恋人にふられて失恋したような深い喪失感。普段は殆ど泣かない私ですが、化学流産がわかった日は声を上げて泣いてしまいました。夫も初めて私が泣いている姿を見たので戸惑い気味。「仕方ないよ、また頑張ろう」と声をかけてくれていましたが、失ったわが子のことを考えると、ただただ悲しい気持ちで涙が止まりませんでした。

そして、2回の移植が失敗し、2回目の採卵にトライ。30万円ほどの追加料金を払って成長ホルモンを追加投与し、さらに強力な刺激を卵巣に与えて、私のような高齢では殆ど起こらないというOHSSという症状の危険があると言われながら、12個の卵子を採取。受精・胚盤胞を獲得するも、遺伝子検査を行うと全てが遺伝子異常。次の採卵で使える受精卵が0個という散々な結果に終わりました。

そして、アメリカ人医師との面談。こんなことを言われました。「もう君には卵子提供か、養子しか方法がないと思う」。ショックで言葉を失いました。もちろん、先生も意地悪で言っているわけではなく、辞め時が(本当に本当に)難しいと言われる不妊治療に踏ん切りをつけるために、親切心で敢えて厳しい言葉を言ってくれたのだと思います。でもこたえました。

頭ではわかっているんです。どうやって不妊治療を終わらせればいいのか、自分の中でも整理がつきませんでした。

やっぱり諦めきれなくて、サードオピニオンを聞きたくて、日本の産婦人科医の先生にも相談しましたが、「子供がいない人生を考えてください」とはっきり言われました。

現実をわかっていても、涙が出てきました。どうしても子供が欲しかった、私が愛する夫は口数が少なくなり、しばらくの間、家の中にどんよりとした暗い雰囲気が漂ってしまいました。

実は、私は夫と離婚したほうがいいのではないかとも思うこともありました。夫は子供がほしいのですが、私にはそのチャンスは限りなく低い。夫を幸せにする自信はあります、でも夫に子供だけは作ってあげられない可能性が高いのです。そんな気持ちから、夫は他の方と人生を歩んだほうがいいのでは、とも思いました。夫とも離婚の話をしました。夫は「子供はほしいけど離婚はしたくない」と言ってくれました。嬉しかったです、でも私は子供が作れないんです…。どうしたらいいのかと、悲しくなりました。どうしたら自分は前を向いて人生を歩けるのかと悩み続けました。

実際に40代で妊活を経験して、妊娠は本当に本当に奇跡であること、本当に40代での妊娠・出産は大変であることを実感しました。

さいごに|私が時間を巻き戻せるなら

今も私はフルタイムで働きながら妊活を続けています。

妊活の診察があれば会社を遅刻・早退するし、働いて稼いだお金が数十万円単位で出ていきます。幸い、夫の理解があり、夫からの色々なサポートはありますが妊活は大変。そして、妊活をしても子供ができるわけではなく、私の年齢になるともう子供はできない可能性が高いと思わざるを得ません。

そんな私がもし時間を巻き戻せるなら…どうするか。留学をあきらめたでしょうか?

それでも、私は30代の2年間、留学すると思います。留学によって、人生や自分の将来に対する視野や選択肢が広がりました。十分な価値があったと今でも思っています。

でも、自分の子供を産みたい私は、もし時間を巻き戻せるなら、留学前に卵子凍結をします。私が40代に妊活して学んだのは、卵子の年齢だけはどうにもできないこと。血液がサラサラでも、見た目が若くても関係ありません。高齢になると卵子が遺伝子異常となる受精卵になる確率が高く、流産や死産の可能性が高まります。そしてその確率は40代中盤にもなると9割。卵子の老化だけは、現代医学でもどうしようもないのです。

何名かの方から卵子凍結を行うだけで、高齢での妊娠を助けるものではないとのご指摘を受けました。ありがとうございます。夫側の要因、他にも各種病気などが妊娠を妨げる要因になることがあると聞きます。専門の医師の方とご相談いただければと思います。少なくとも、私の場合は検査では不妊の原因が見つかりませんでした。私の担当医師による所感は「私の不妊は卵子の老化が原因」だったため、個人的には若いうちに「卵子凍結」をしておけば、「卵子の老化」リスクを下げることができたのではと考えている次第です。

お金は取り返すことができても、時間は取り返すことができません。

私の経験談が、これからキャリアプランや留学を考えようとしている方々の参考になれば嬉しいです。

私が体験したアメリカでの不妊治療をKindle本としてまとめました。詳しい治療の様子を知りたい方には参考になるかと思います。
Kindle Unlimited会員の方は無料で読んでいただくことが可能です。


不妊治療に興味がある方にオススメの本

他人事とは思えない「卵子老化の事実」というタイトルに惹かれて、ふと手にとった本。とにかく読みやすく、さらに専門医のインタビューや知見が多く紹介されていて、とても参考になりました。不妊治療をはじめてから、治療内容を理解したくて色々独学で勉強したのですが、この本を最初から呼んでおけばよかったと思うぐらい、体系的にまとめてあり、わかりやすいです。病院では教えてくれなかった不妊治療のメリット・デメリットについても紹介されています。



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