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新作映画『音、鳴りやまぬ。』完成

今朝2時ごろ、明日試写的に初公開する予定の、コロナ禍の中で苦闘する豊島区の伝統芸能の人々を追ったドキュメンタリー映画作品の編集が出来上がりました。60分予定のところが、83分に。ファイル名に「_0229」とかつけちゃうほど、もうこれ絶対終わらねとか思いながら、なんとか一切合切手を抜かずできました。(音とか色の調整はまだですが)

ーー助成事業だし、ここまでやらなくていいのでは?

自分でもそう思います。しっかし、日頃映画制作の機会が非常に限定される身としては、そしてそのようなところで必死に足掻くしか、次へと繋げることができないというか細い立場の末端映画制作者としては、愚直にやるしかないのです。っというか、そもそも自分は民俗、伝統、信仰、芸能。それらをきっと追いたいのです。ただ追憶だけで with 夢想 で追うだけではなく、今と過去、課題や問題、軋轢や苦闘。それらを見たいのです。およそ10年ぶりに産土的な仕事となりました。そして久々に号泣しながら作りました。産土でも、アローンでも、最後は本当に泣きながら作りましたが、久しぶりに。最後はこの編集から離れたくないと思って悲しくなったほど。それほど、縁もゆかりもなかった豊島区に感情をのせてしまった。

自分のようなものはある意味無産者のようなもので、実業の皆さんからはなまっちょろいことをやってると思われる資格を十二分に有する虚業家であります。映像なんて、悪疫に対しても、災害に対しても何の役にも立たない。都度都度痛感するところです。結局その虚業家がやれるのは、ただ一緒に歩くこと。そして、一緒に歩いた記録と記憶を集めて、「みなさんの人生に意味も意義もあったと思いますよ」と伝えることなのかもしれない。まー、そんなことしかできません。それで飯を食わせてもらえるんだから、それを必死にやるしかない。でもそこに喜びもある。

本作でご出演頂いた詩人の野崎有以さんの詩から引用すれば「詩を書くことは、誰かの痛みを引き受けることでもる」わけだと思うのです。

今日、徳島の映画祭で予告編のみ流される、徳島民謡せきぞろについての小作『節気候考』もそうですが、自分が徳島に来てからこれまでの集大成のようなものになったような印象があります。自分はこの方向で、世界へと向かって突っ走るしかないんだ、という感覚でしょうか。

さて、寝不足のためか無駄に長くなりました。編集終わらすことすら疑問だったので全く考えてきませんでしたが、明日池袋の区民センターで試写上映会とトークがあります。というわけで今これを羽田空港のロビーで書いています。感染症対策もあって関係者界隈を中心に参加となっていますが、まだ空きがある模様。今日の明日で恐縮ではありますが、もし参加可能な方は以下より申し込みください。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000094265.html

昼飯で空港内の中華屋天鳳で杏仁豆腐を食ってると、スティービーのthere's a place in the sun が流れてきました。明日は、苦しんだ拙作、そしてコロナ禍で、本当に苦しい辛い思いをした人々が、伝統芸能というものに何か救いを求めて取組んできた日々に、まさに日の光が当たる日になればいいなと思います。

本作に登場してくれた若うどたちは、同じく様々にこの2年間困窮を余儀なくされた僕自身の希望にもなりました。僕は希望を探していただけなのかもしれません。

https://vimeo.com/679054244

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