バンコクところどころ 今昔
サワッディ カ~~。
バンコクがタイの首都になったのは1782年。チェンマイ、スコタイ、アユタヤとチャオプラヤ水系に沿って首都が南下してきました。タイの人びとはクルンテープ(天使の都)と呼んでいます。著者が愛用した「地球の歩き方 ‘94~’95」の「タイ やすらかなる国」には「ひとり旅でもみんなといっしょ 笑顔ゆたかなタイランド 河もゆるやか 人もゆるやか」とあります。最近はどうでしょうか。
旅の季節
日本の冬、12~1月がベストです。日本の寒さから逃れられ、しかも現地は暑くはありません。涼しい日もあります。次いで、日本の夏。現地は雨季で極端に暑くはなく、ほぼ日本と同様で失うものはありません。日本の春秋は避けましょう。現地の4~5月は雲がないため極端に暑いです。また、9~10月は雨季の終盤で豪雨や洪水の可能性が出てきます。
泊るところ
2000年までスカイトレイン(高架鉄道)もなく、2004年まで地下鉄もなかったため、バンコクではどこに泊まるかが重要事項でした。有名な大交通渋滞で午前・午後にそれぞれ1件くらいしか用事ができず、比較的渋滞のない週末にホテルを替わることもありました。筆者の愛用のホテルはスクンビット通りSoi4(小径4番目:通称Nana)のLandmarkとサトーン通りのEvergreenです。Soi4の入口には割と安いNanaホテルがあり、その周辺に妖しい飲食店が並んでいます。Evergreenに行くにはシーロム地区のスカイトレインのサラディン駅で降りて南に行くのが最も近く、折れ曲がりの多い小径を楽しめます。王宮の方向(Dusit地区)に行くときは、今でも駅から離れているので、Lan Lung通りのRoyal Princessを拠点にするのがいいかもしれません。このホテルの離れに日本食とイタリアンのレストランがあり、ホテル本体のラウンジも落ち着けます。公共交通がないところではタクシーやトゥクトゥクを使うことになるので、可能性のある行き先をタイ語で書いたカードを用意しておきましょう。ホテルでフロントが暇そうなときにお願いするとやってくれます。
さらに困ったことに(アメリカと同様に)、多くの駅にトイレがないので、どこにホテルや大型ショッピングセンターがあるのか、常に頭に入れておく必要があります。トイレの位置表示をしてくれるスマホアプリはあるでしょうか? ちなみに、かつては携帯式トイレを持ってバスに乗るという話がありました。その当時のバス料金は3~5バーツ(1バーツ=約2.5円)でした。
変貌するラン・スアン通り
まずは、最もポピュラーなラチャダムリ通り(南北)とプルーンチット通り(東西)の交差点から始めましょう。かつてここに伊勢丹とそごうがあり、西に1㎞ほど行ったマーブンクロンに東急がありました。残念なことにこれらの日系百貨店は姿を消し、紀伊国屋書店だけがCentral World (旧名World Trade Center)内の6階にがんばっています。Central Worldの向かい側にはタイの特産品や土産を売るナライパンがあって重宝したのですが、今はGaysornになったように、この界隈には多くのテカテカしたショッピングセンターが立ち並び、面白みに欠ける地区になってしまいました。
そこからラチャダムリ通りの東側を南に下ると、スカイトレインのラチャダムリ駅の前にJETRO、日本亭、トヨタやフランス風の格調あるペニンシュラプラザがありました。ペニンシュラプラザは高級すぎて日本人がバブル期に来るだけで空いており、カフェで食事やコーヒーを嗜んで午前と午後の仕事のつなぎ時間として使えました。このあたりから南にルンピニ公園にかけていくつか大使館がありましたが、この界隈はすっかり変わってしまったようです。
ルンピニ公園のところを左折してサラシン通りを100m行くと、左側にブラウンシュガーがあります。ここは老舗のライブハウスで、少なくとも30年以上続いています。他にも市内には何軒か同名のライブハウスがあるようです。さらに100m行くと、南北に通じるラン・スアン通りとなります。この通りが大きく変貌しました。
ラン・スアン通りはルンピニ公園側から北へ向かう一方通行なので、交通量はかなり少ないです。25年ほど前までは民家が並んでいて、夜はポッと灯がともる店舗があり、「夏は夜」の風情を醸し出していました。ところが、1997・98年アジア通貨危機からの回復にともなってコンドミニアムが林立するようになりました。この通りのルンピニ側から北側のプルーンチット通りまでの2/3くらいいったところの東側には古くからスタバがあり、その入り口は洋式、内部はタイの古民家という趣向を凝らした作りになっています。ここに行くとタイの大学生が勉強しています。
プルーンチット通りを東に進んで高速道路のところに来ると、そこから先は先ほど述べたスクンビット通りに名前が変わり、Nanaホテルのあたりまで南欧、アラブ系のレストランがたくさんあります。
Nanaから東の方は日本人が比較的多い区域になります。余談になりますが、日本人学校の高速道路を挟んで反対側にタイ開発研究所(TDRI)があり、かつてはその周辺に湿地が広がっていました。今、google mapで調べると、その周辺にモールや商科カレッジができているようです。
変化の少ないチャイナタウン
タイ国鉄のホアランポーン駅には、かつてはタクシーで行かなければなりませんでしたが、最近は地下鉄が通じています。だいぶ楽になりましたね。駅を出て、ワット・トライミット(黄金仏寺)のところから西へ伸びているのがチャイナタウンのヤワラート通り。この道の両側には金を扱う金行が並んでいます。十分見たらワラチャック通りを北進しよう。1kmくらいでマハナコーン運河を渡り、Lan Luang通りに出ます。このあたりには、昔の中国人街の面影を残す建物が残されています。Lan Luang通りの交差点を右折して200mほど東に進むと、Royal Princess Hotelに着きます。ここで一息入れましょう。
この交差点を左折して西へ100m進むと、右手に官庁街やESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)のあるラチャダムヌーン・ノック通り、オンアーン運河を越えて西に進むと憲法記念塔が見えてきます。さらに進むと、右手にバックパッカーが集まるカオサン通りとバンランプー市場があり、かつてこの一帯はタイ人からNew Worldと呼ばれていました。さらに進むと国立美術館、国立博物館とサナムルアン(王宮前広場)があります。サナムルアンでは5月に国王出席のもと、春耕節の行事が行われます。
悠久のチャオプラヤ
スカイトレインのタクシンで降りると、チャオプラヤ川の水上ボート乗り場が見つかります。ここからスタートしましょう。出発後、すぐに右手にオリエンタルホテルが目に入ってきます。川沿いの建物は水辺側と陸地側のどちらをファサードにするかなかなか難しく、ヴェネツィアでは明らかに海側がファサードなのですが、チャオプラヤ川ではどうでしょうか。オリエンタルホテルでは国王ラーマ5世以来の独立の歴史を紹介している他、夜のディナーショウがお勧めです。これにはカネをつぎ込む価値があります。
ここからもう少し北上すると、三島由紀夫『豊饒の海』第3巻の舞台となったワット・アルン(暁の寺)に着きます。昔はワット・アルンの塔の上の方まで登り対岸の王宮を眺めることができたのですが、最近は下から見上げるだけになっているようです。それでも下船して拝観する価値はあります。
水上マーケット訪問ツアーに参加していると、少し北側のピンクラオ橋のあたりからトンブリ地区の運河網の中に入っていくと思います。かつては、商業化された水上マーケットだけではなく、そこに生きる人々の生活がわかるところまで連れて行ってもらえました。
水上ボートだともっと北上できますが、着いた場所から陸地に入っていっても、どこがどこだかわからなくなって帰ってこられなくなるリスクがありますので、右岸のFAO(国連食料農業機関)事務所が目に入ったら下船して、あたりを散策して引き返しましょう。
出発したタクシン橋が近づいてくると、シーロム地区と思われる方向に巨大な高層ビルのシルエットが現れます。これが2018年に完成したKing Power Mahanakhonです。
ウォーターフロントの倉庫街をどのように活用するかが世界的な課題です。タクシン橋に戻ってくると、川沿いのニューロード(本名はチャルンクルン通り)をシャングリラ、オリエンタルをかすめながら約1㎞北上しましょう。Si Phraya通りを川の方向に左折すると、シェラトンの手前でウェアハウス30に着きます。旅行雑誌Penの「バンコク最新案内」(2024年2月)によると、このあたりはリノベーションによって街を再生しようとするクリエイターたちが集まり、カフェ、書店、ギャラリーなどが融合する新世界を作っています。さらに、リバーシティを通過し川沿いの小径(Soi Wanit 2)を約500m北上するとチャイナタウンに近いソンワット通りにぶつかります。ここからラチャウォン通りに至るまでの約2㎞の川沿いの区間がウェアハウス30と同様のカルチャースポットになっています。皆さん、街探検を楽しんでください。
バンコクの食を支える
バンコクの旅も終わりに近づいてきました。ここまで凡人がなかなか近づかないエリアや通りを中心に紹介してきました。スカイトレインがチャオプラヤ川を越えてトンブリ地区まで乗り入れるようになりましたので、それを活用してバンコク南方の郊外まで行ってみたいと思います。
スカイトレインのタクシン駅から2つ目の駅がウォンウェン・ヤイ駅です。ここからマハチャイ路線という、シンガポールまで続く南下鉄路とは別の路線で、列車が1時間に一本くらいの頻度で出発します。マハチャイまで約1時間、ここにはバンコク最大の水産物市場があります。ここに来る読者の方は、魚だけでなく、そこで働いている人々にも注目してください。ミヤンマーからの人々もたくさんいます。この光景にヒントを得た目利きの学生が、労働力が豊富なミヤンマーはタイ、ベトナムに続く水産国になるという最高の卒業論文を仕上げました。残念ながら、その翌年の軍事クーデタによってはかない夢に終わりましたが。
南下とは反対にアユタヤから北上すると、大平原のコメ穀倉地帯が広がります。ここに自力で入っていくのは難しいかもしれませんが、バンコクからチェンマイ方面行きの列車に乗ると、その雄大な景色を目にすることができます。タイはかつてコメの最大の輸出国でしたが、輸出が増えすぎると価格下落が厳しいとのことで、生産量を抑え、ジャスミン米などの高級化路線に切り替えています。このため、最近はベトナムやインドが首位になっています。かつて、国際的視野でコメ市場を分析されていた辻井博先生の『世界コメ戦争―ねらわれる日本市場』(家の光協会)がありましたが、最近はどうでしょうか。
最後に、ドンムアン空港からBangkok Airwaysでサムイ島に飛ぶと、プロペラ機で低空飛行をするので、左手にバンコク市内、右手にチャオプラヤ川がよく見えます。もう少し行くと、マハチャイ市場周辺のエビ養殖池が眼下に広がります。1990年頃は日本のエビはタイから最も多く輸入されていましたが、マングローブ林の破壊などによってタイのエビ生産は減少し、CP社などのアグロインダストリーは付加価値の高い加工品の生産に力を入れています。
旅の終わりに
著者が初めてタイに来たのは1994年。国民が若いという印象を受けました。この頃、タイ経済は高度成長の真っただ中、身を立てるにはIT系を選ぶか、さもなければ英語または日本語ということで、個人商店の売り子さんも語学の勉強に勤しんでいました。それから30年、日本語熱は冷めてしまったようです。タイ政府としても外国資本に依存するだけでは周辺諸国との競合が厳しいとのことで、他国の例にもれずベンチャー企業の育成が課題のようです。
かつてスカイトレイン・スクンビット線の北側終点であったモチット(Mo Chit)からドンムアン空港方向のカセサート大学にかけての地区がそのような雰囲気を漂わせていました。しかし、新国際空港の開港によって旅行雑誌Penが紹介するウェアハウス30やソンワット通りがその代役を果たしているのか、これからバンコクに旅行される方々のご報告をお待ちしています。