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とある外科医の非?日常生活(連載第5回)

連載小説第2弾は医療物のSFですが、三國らしく時代物の要素もありです。
舞台はアメリカのシカゴ。主人公は公立病院に勤める外科のレジデントで、女の子とみまごう超絶美形の日本人ハーフ。心優しき時代劇オタクです。お楽しみいただけましたら幸いに存じます。〈全文無料公開〉
*ずっと以前に書いた作品ですので、科学関係の情報等が少し古びておりますがご了承くださいませ。

  第五章  五十三次殺し旅
     1
「ふーっ、寒かったあ」
 東に位置するミシガン湖から吹き込む風のおかげで、シカゴはWindy City(風の街) という別名を持つ。その名の通り、風の強いことで有名なのだ。
 この風の影響でWind Chill(風による体感温度)は、気温よりさらに低くなってしまう。寒いというより、痛いと言った方がしっくりくるくらいだ。
「嫌だな。寒いのは」
 リュウイチはぶつぶつ文句をいいながら、赤いダウンジャケットと、黒のニットキャップを脱いだ。
「おかえりなさい。寒かったでしょう」
「ただいま。うん、また雪が降ってきた」
「どうりで冷えてきたはずだわ。ミルクティーでも飲む?」
「ありがとう。でも、あとにするよ。せっかく早く帰れたし、今日は鍋にしようと思って。材料買ってきたんだ」
 リュウイチは、スーパーの袋をかかげてみせた。サラの目が輝く。
「寒いときはお鍋が一番よね。何鍋にするの?」
「鶏団子のちゃんこ鍋。サラ、大好きでしょう」
「うん! うわあ、うれしいな」
 サラが、リュウイチに抱きついてキスをする。思わず頬が緩むのが、自分でも感じられた。
 愛する人のために、おいしいものを作ることは無上の喜びだ。自分はやっぱり〝つくすタイプ〟なのだとつくづく思う。
「それはそうと、チョーエーは?」
「それが出かけたみたいで、まだ帰ってないのよ」
 長英がやってきてから、ふた月半がたっている。現代での生活にもすっかりなじみ、最近は昼間ときどき外出しているようだ。
 この寒いのによく出歩けるよねと、人一倍寒がりのリュウイチは思うのだが、長英は雪の多い北国の生まれだとかで、寒さには慣れっこらしい。それに、防寒具が江戸時代よりずっと発達していてとても暖かいから、〝平気の平左〟だとも言っている。
「だけど、もう七時過ぎてるのに。どこへ行っちゃったんだろうね」
「そうなのよ。そろそろ帰ってくるとは思うんだけど」
 サラはリビングの窓辺に立って、通りを眺めた。
『好奇心の塊みたいなチョーエーのことだから、暗くなるのも気が付かないで、何かにすっかり夢中になってるっていうのはあり得るなあ。まあ、ダウンタウンの危ない場所とかは承知してるし、自己防衛本能は、かなり発達してるだろうし。きっと大丈夫でしょう。そのうちお腹をすかせて帰ってくるだろうから、すぐ食べられるようにしといてあげようっと』
 リュウイチはまずごぼうをささがきにし、酢水にさらして、アク抜きをした。次に、鶏ミンチにみじん切りにした生姜と白ネギ、卵と片栗粉、味噌としょうゆを加えて、粘りが出るまでよく練る。
 沸騰した鍋に、鶏ミンチを団子にして落とし入れ、ごぼうも投入する。野菜は他にシイタケとエノキ、白菜、白ネギ。豆腐と糸こんにゃくも加える。
 薄口しょうゆと酒で調味し、だしが足りなければ、鶏がらのスープストックを加える。火からおろし際にたっぷりのニラを入れ、ゆずの皮をすりおろしたものを薬味にして食すのだ。
     2
「ちょっと、リュウ! こっちに来て!」
 リュウイチはガスを止め、リビングへやって来た。サラが窓辺に立ったまま、手招きしている。
「ずっと外を見てたの? 風邪ひいちゃうよ。チョーエーは、子どもじゃないんだから大丈夫。サムライだし、現代人よりずっと危機管理能力があるはず。タイムスリップしてきたとは思えないくらい、こっちの生活にもすっかり慣れてるしね」
「違うの。そうじゃないのよ。ほら、あの街灯の下の赤い車の前で話してるふたり。片っぽはチョーエーじゃない?」
 こちらからだと、ふたりともちょうど横顔が見える。ジーンズをはき、黒いダウンジャケットとキャップを身につけた男性は、確かに長英だった。
 相手はブロンドの白人女性で、白のダッフルコートを着ている。
「あ、ほんとだ。相手の若い女の子は誰だろう。僕よりちょい下くらいだね」
「私も全然知らない子よ。でも、何だか親しそう」
 やがて長英が女の子を抱き寄せ、キスをした。
「うそでしょう!」
「何で?」
 思わずふたりで手を握り合う。
『長英が女の子にキスをしたからって、どうして僕がサラの手を握ってるんだ。まったく意味不明だよ』
 通りを渡る長英を、女の子が車の脇に立って見送っている。アパートの入り口で長英が振り返り、手を振る女の子に右手を上げた。
 さっきのキスといい、なかなか堂に入っている。とてもエド人とは思えない。やがて女の子は車に乗り込み、走り去った。
 長英が帰ってきたら、何て聞こうか。サラに相談しようとしたちょうどそのとき、玄関の鍵が開いた。
 リビングでふたりに待ち構えられているのに動じもせず、長英はどっかりとソファーに腰を下ろした。キャップを脱ぎ、ぽりぽりと頭をかく。
「おかえりなさい、チョーエー。あの赤い車の女の子は誰?」
『いきなり聞いちゃったよ。サラってやっぱりすごいや』
 穏やかな笑顔を浮かべながらの、さらりした口調。しかし目は、笑っていなかった。どきどきしながらリュウイチは、長英の返答を待つ。
「コニーと申しておったのう」
「名前はわかったわ。で、どういう知り合い?」
「まあ、いわゆる遊び友だちじゃな」
 顎をなでながらにやりと笑う。わざとはぐらかしているのがありありとわかるその態度は、きっとサラの神経を逆撫でしているに違いない。
 リュウイチは、そっとため息をついた。
『せっかくちゃんこ作ったのになあ。喧嘩しながらお鍋ってのは、まずいよね』
「あら、そう。今日は何をして遊んだの?」
「男と女がする遊びと言えば、決まっておろう」
『うわわ、言っちゃったよ』
 サラの喉がぐっと鳴った。あまりのことに言葉が出ないらしい。
「コニーは未成年ではないし、遊びということもお互いに承知。気が向けばまた会うやもしれぬが、これっきりということも有り得る。他の女どもも、皆そうじゃ」
 ショックから素早く立ち直ったらしいサラが、冷たい声で言い放った。
「〝他の女ども〟ですって? いったい何人いるのよ」
 広げた両掌を上に向け、ひょいと長英が肩をすくめる。どこで習って来たのやら。リュウイチは吹き出しそうになり、あわてて自重した。
「付き合ったのは、今のところ五人。歳も肌の色もばらばらじゃ。名前は……」
「もういいわ。あきれて物も言えない」
 サラが頬を紅潮させ、長英を睨みつけている。恐ろしいことに、怒りは沸点に近づきつつあった。
『何とかしなくちゃやばいよ。どうしよう……』
 きゅるきゅるという腹の虫のBGM付きで、頭の中では、ちゃんこ鍋が狂おしいほどに、ぐるぐると回っている。
『そうだ! ここは文化の違いで押し通してしまおう』
 リュウイチは、時代劇で学んだ知識を使って、言い訳を考えた。
「あ、あのさ、サラ。エド時代は確か一夫多妻制で、正妻の他に側室を持つのがOKだったんだよ。ショーグンなんて、大奥ってとこに、三千人も女の人がいたんだって」
「俺のは、そのような御大層なものではない。ただの女遊びだ。しかし、目くじらを立てるほどのこともなかろう、サラ。リュウとて、女遊びくらいするであろうに」
 長英の無神経な言い様に、リュウイチは大いに焦った。
『せっかく庇ってあげたのにい。何てこと言うんだ。それにどうして、そんな話題を僕にふるわけ』
 動揺が声に出ないように気を使う。誤解されたら大変だ。
「そんなのしたことないよ。僕は、サラ一筋だからね」
「ほほう。それは良い心がけ。感心、感心。では、サラと付き合う前はどうじゃ」
「え? それはまあ、付き合った女の子は、人並みにいるけど」
 今度は声が裏返ってしまった。自分の慌てぶりに、内心舌打ちをする。
「何人? ほんとのことを言ってちょうだい」
『やめてよ、サラ。そんな恐い顔して聞かないで。ああもう! 責められてたのは、チョーエーだったはずなのに。どうして僕が、こんなに汗かかなくちゃならないんだ』
 リュウイチは額の汗を手で拭いながら、笑顔で答えた。
「えーと、三人」
 長英が盛大に顔をしかめ、ゆるゆるとかぶりを振った。
「たったそれだけとは、おぬしは阿呆ではないのか。類まれなる美貌を持ちながら、何ともったいないことを……おお、そうか。男と付き合う方が多いのじゃな。それなら合点がいく」
 リュウイチはあっけに取られた。だが、茫然自失からはっと我に返る、ここは命懸けで否定しなければ。
「違いますっ!」
「偽りを申すな。男が放っておくわけがなかろう。俺はサラに遠慮いたしておるゆえ、手を出さぬだけぞ」
 血の気が引いていくのが、はっきりと自分でもわかった。天井が落ちてくるような錯覚に襲われる。
「チョーエー! あなたって人は! 何てこと言うのよっ!」
 サラがかみついたが、かまわず長英は言葉を続けた。
「衆道と申して、江戸時代では珍しゅうも何ともないこと。戦国時代から江戸初期にかけては〝武士道の華〟と、もてはやされておったくらいじゃ。まことリュウにはそそられる。惜しいのう」
「やめてよ、チョーエー。ドクター・ハウみたいなこと言うのは」
「ちょっと待って、リュウ。あなたまさかハウ先生に……」
 血相を変えたサラが、リュウイチの肘をつかむ。リュウイチはぶんぶんと首を振った。
「ち、違うよ。ちょっとそれっぽい、意味深なことを言われただけ。僕の貞操は無事だから」
「ならいいけど。今度会ったらあのオヤジ。絶対、八つ裂きにしてやる!」
 サラVSハウ。想像しただけで泣きたくなる構図である。そうなれば、サラの元上司である悪魔が、乱入することも予想される。
 Slime Sheetによる廃業どころの騒ぎではない。即刻クビになることだろう。
 地団太を踏み、今にも口から炎を吹きそうな勢いのサラを、リュウイチはおろおろとなだめた。
「サラ、お願いだから押さえて。落ち着いてよ」
 いきなりサラが髪の毛をかきむしった。
「ああっ! いらいらする! もういいっ! 私、シャワー浴びてくる!」
 大股で半ば走るようにリビングを出て行くサラを見ながら、リュウイチは深いため息をついた。
「女にぎゃあぎゃあ言われたくらいで、男がため息なぞつくな。情けないこと、この上なし」
 渋面を作っている長英の向かいに、わざと乱暴に座った。にらめっこのように、リュウイチも顔をしかめる。
「よく言うよ。いったい誰のせいで、もめたと思ってるの。まったくもう」
「案ずるな、リュウ。俺は女にしか興味はない」
「なあんだ」
 いっぺんに身体中から力が抜けた。ふにゃふにゃとソファーにもたれる。
「ほう。残念そうじゃな。何ならお望み通り襲うてもよいぞ。おぬしなら、抱けぬことはない」
「やめてよ。冗談じゃない。でもさ、どうして衆道のふりをしたの」
「いろいろと都合がござってな」
 しらばくれる長英に、リュウイチはぴんときた。
「あ! ひょっとして、女遊びのことをカモフラージュするため? だってサラ、びっくりしたのと腹が立ったのと両方で、チョーエーのこと追求するの頭から飛んじゃったみたいだし」
「そんなところだ」
「ひどいなあ……でも、それにしても、五人の女の子と付き合ってるだなんて、チョーエーってもてるんだね」
 長英が唇の端を持ち上げて、にまあっと笑った。とても、歴史に名を残した高名な蘭学者とは思えない。そのへんに山ほどいる、ただの助平親父である。
「そこはそれ、四十八手と申してな……知りたいか」
 リュウイチは、顔の前で手を振った。
「いや、僕はいいよ。別にもてなくてもいいし」
「何も女遊びをせよというのではない。サラを喜ばせとうはないのかときいておるのじゃ。まあ、リュウが自信があると申すのなら、別だがな」
『自信ねえ。はっきり言って、自慢じゃないけど自信は無いよ。医学部ではそういうこと、教えてくれないもの』
 またからかわれているのではないかと思いながらも、男のサガには抗し難く、もじもじと逡巡した挙句、リュウイチは意を決して、日本語でささやいた。
「やっぱり教えて」
 我が意を得たりとばかりに、長英が大きくうなずく。
「委細承知。まずはだな……」
 声を低める長英に、リュウイチは、思わず身を乗り出した。
「こそこそ何してるのっ!」
 文字通り、ふたりはソファーに座ったまま、飛び上がった。
「シャワー浴びてたんじゃなかったの?」
 腰に手を当て胸を張り、サラが、絵に描いたように見事な仁王立ちになっていた。
「お腹がすき過ぎてることに気がついたの。バスルームで目が回って倒れるのは嫌だし。でも、私がいないとすぐこれなんだから。いったい何をしてたの。白状しなさい」
「いや別に。世の中の無常について語り合ってたんだよ」
「うそばっかり」
「実は、リュウが知りたいと申したの……むぐぐ」
 リュウイチは、慌てて長英の口を手でふさいだ。
     3
「肉団子おいしい。ささがきごぼうもワンポイントになってるし。やっぱりちゃんこ鍋って最高よね」
 上機嫌でもりもり食べているサラを横目で見ながら、リュウイチは、そっと尻をさすった。仲良く長英とふたりで、サラの回し蹴りをくらったのだ。もちろん手(足?)加減はしてくれている。
 思い切り蹴られたら、とてもいすには座れない羽目になるだろう。だがやっぱり、痛いものは痛い。
 顔をしかめている長英と目が合ったので、毒舌を吐いてやった。ただし、小さな声で。
「何が〝剣が遣える〟だよ。蹴られちゃってさ。変わらないじゃない、僕と」
「人聞きの悪いことを申すな。男子たるもの、女子{おなご}を殴ったりできるものか。俺が本気を出せば、サラなど小指の先で吹き飛ぶわ」
「へーん、どうだか。あやしいもんだね」
「日本語でしゃべるな」
「はい、ごめんなさい」
「すまぬ」
「あ、そうだ。出張で日本の神戸へ行くことになったわ。来週の火曜日から四日間の予定。お土産を買ってきてあげるから、留守番よろしく」
「わあ、いいなあ。うらやましいよ」
 長英の目が輝いた。
「神戸とは、どのあたりじゃ?」
「ええと、昔は何て言ったんだろう。越後でもないし土佐でもないし蝦夷でもないし。時代劇には出てこない地名だから、わかんないや。今は、ヒョーゴケンコーベシって言うんだっけ」
「ヒョーゴ……おお、兵庫津のことか」
「うーん、たぶんそれだと思う」
「俺も一緒に行く。今の日本を、ひと目見たいと思うておったのじゃ」
 身を乗り出す長英に、サラが気の毒そうに目をしばたたく。リュウイチも、胸がちょっと苦しくなった。
「行くって言っても、チョーエーは無理よ。パスポート持ってないから。出生証明書があれば発行してもらえるけど、それは不可能だし」
「日本に行きたい気持ちは、すごくよくわかる。でも、だめなんだ。パスポートが無ければ、国外へは出られない。密航でもしない限りはね」
「案ずるな。パスポートなら持っておる。申請しておったのが、五日ほど前、郵送で届いたのじゃ」
 長英がゆっくりと立ち上がった。サラに蹴られた尻が痛いらしい。自分の部屋へ、パスポートを取りに行くのだろう。リュウイチも慌てて席を立つ。
「どこへ申請したのか知らないけど、彼が本物をもらえるはずがない。きっと騙されてるんだと思う。僕も自分のを取って来るよ。比べてみればチョーエーも、偽物だってわかるだろうから」
「ほれ」
 事も無げに長英が、パスポートをテーブルの上に放り出した。
サラが無言で引き寄せ、リュウイチのものと並べて詳細にチェックする。表紙の模様も材質も、中身も寸分変わらない。
 生年月日――さすがに一八〇四年生まれではない。一九六七年五月五日とされている――等、長英の身分事項も、嘘八百ながら体裁は整っていて、不備は見当たらなかった。
 小さい子がいやいやをするように、サラが首を振る。
「信じられないけど、本物だわ。チョーエー、いったいどうやって手に入れたの?」
 長英は胸のところで腕を組み、事も無げに答えた。
「まず、出生証明書とSSN(Social Security Number )を、偽造を請け負っておるサイトに依頼した」
「何て危ないことを」
 リュウイチは頭を抱えた。生半可な知識でインターネットを利用すると、怖いことがいっぱいあるのに。もちろん、忙しさにかまけてきちんと教えておかなかった自分の責任なのだが。
 まさか長英が、闇サイトにまでたどり着いているとは夢にも思わなかったのだ。やってみたことはないが、おそらく検索で簡単に見つけられるのだろう。
『これはまずいぞ。警察に逮捕されちゃったらどうしよう。〝エド人なので、何も知りませんでした。ごめんなさい〟で押し通せるかな。あ、でも、タイムスリップだなんて突拍子も無いこと、もしかしたら信じてもらえないかもしれない。大変だ』
「案ずるな。闇サイトとはいえ、きちんと調べ、信用のおけるところにしたゆえ。ちょっとやそっとでは辿り着けぬ、正真正銘の闇サイト。だが、闇は闇なりに、否、闇だからこその、道理や誠は存在する。そういうところは安全なのじゃ。まあ、いつの時代、どこの国でも、闇社会とはそういうもの」
 意外な言葉に、リュウイチは顔を上げた。サラと顔を見合わせる。
 顎をなでながら、長英はさらに淡々と続けた。
「SSNは、自分でハッキングしてもよかったのじゃが、蛇の道は蛇ということで、一緒に頼んだ。後から自分で一応確認したがの。パスポートは、きちんと正規の手続きを踏んだ。パスポートの偽造は足が付きやすいゆえ」
 ちょっと待って。僕よりチョーエーの方が、ずっとネットに詳しくない? 闇社会のこともいろいろ知ってて、まるでマフィアみたい。
 それにハッキングだって? いったいいつの間に、そんなことを習得したんだろう。でも、ハッキングって立派な犯罪だよね。うーん、眩暈がしそうだ。
 頭が混乱しているせいか、ぐつぐつと鍋が煮える音が、耳にうるさい。電磁調理器のスイッチを一旦切る。ちゃんこをつつくどころではなかった。
「ただで偽造はできないでしょう。かなりのお金がかかるはずよ」
「おお、そうじゃった」
 長英が財布から、小切手を取り出した。
「遅うなったが、これを取っておいてくれ。今までの食費その他もろもろ、俺の掛かりとして」
 額面は五千ドルになっている。
「うわあ、大金だね。どうしたの? このお金」
「デイトレードで儲けたのじゃ。これからきちんと、毎月おぬしらに生活費を払うつもりでおるゆえ」
 ネット株とは驚きだが、一日中家にいる長英にとって、小刻みに売り買いするデイトレードは、ちょっとした小遣い稼ぎになるのだろう。扶養家族がひとり増え、正直言って家計を圧迫しているのは確かだ。しかし貯金もあることだし、長英から金を受け取ろうとは思わない。
 おそらくビギナーズラックで儲けた、全財産であろう五千ドルを、気前よく差し出すとは、居候が心苦しかったのだろう。ふてぶてしいかと思えば、妙に細やかだったり、なかなか一筋縄ではいかない男である。
「気を遣わないで。僕たち食費をもらおうだなんて全然思ってないし。せっかく儲けたんだから、チョーエーが自分で何か好きなものを買ったらいいよ」
 リュウイチの言葉にサラがうなずいた。
「そうよ。うちの会社は景気がいいから、私ってけっこう高給取りなの。だから大丈夫。気持ちだけもらっておくわ。どうもありがとう」
「たかが五千ドルじゃ。遠慮せずに取っておけ」
 リュウイチはくすくす笑った。〝武士は食わねど高楊枝〟という言葉を、ふと思い出したのだ。
「五千ドルに〝たかが〟だなんて、穏やかじゃないね。いったいいくら稼いだの?」
「ざっと八十万ドルほどかの。リュウとサラにもらった五百ドルの小遣いを、元手にしたのじゃ」
 びっくりして、リュウイチは思わず立ち上がった。
「えええっ! 僕の貯金の四十倍以上だよ! 痛てて。忘れてた。お尻痛いの」
 顔をしかめ、尻を押さえながらゆっくり座る。長英がにやりと笑った。
「かわいそうに。リュウは貧乏だったのじゃのう。これからは俺が小遣いをやるから、楽しみにしておれ。まずは車を買うてやる。不規則な勤務にこの寒さ。電車通勤はきつかろう」
「すごいわよね。えーと、千六百倍に増やしたってことでしょ。どうやったらそんなに儲かるの」
 興奮して喉が渇いたのか、サラがビールをごくごくと飲んだ。喉の白さがリュウイチの目を射る。
 リュウイチはテーブルに掌をつき、ぐっと身を乗り出した。
「僕もチョーエーに株を習おうかな」
「言うは易し、行うは難し。まずは膨大なデータから、必要なものをチョイスして読み解かねばならぬ。株価の先の動きを、イメージすることが肝要。瞬間的に売り買いするゆえ、判断力と、度胸も必要になる。俺が見たところ、リュウはだめじゃ。肝は据わっておるが、大胆さに欠ける」
「えー、僕って不向きなの? まあ、大胆じゃないのは認めるよ。だって外科医が大胆だったら恐いじゃない。でもだからってだめだなんて言わないで。見捨てないでよ」
「やめておけ。なけなしの貯金を失う羽目になるぞ」
「ひどいよ」
 テーブルに突っ伏したリュウイチに、長英がさらに追い打ちをかける。
「気持ちを平静に保つことができれば、サラの方がまだ素質があろう。何なら弟子にしてやってもよいぞ。カリスマ・デイトレーダーとして、ネット上では、俺もそこそこ名を知られる存在になっておるでな」
「ネット上って?」
 リュウイチは、がばっと顔を上げた。何を聞いても、だんだん驚かなくなってきた自分が恐い。
「デイトレード指南をやっておるのじゃ。そこに弟子が集っておる」
 サラが電磁調理器のスイッチを入れながら、うれしそうに笑う。
「弟子入りしちゃおうかな。でも、ノウハウを教えたりしてもったいなくないの?」
「肝心のところは教えぬでな。それに、最後のところは勘というか、ひらめきというのかの。教授できるものではないのじゃ。よって、極意は門外不出ということになる」
「やっぱりね。そうだと思ったわ」
 リュウイチは肉団子を頬張った。
「ふん、どうせ僕には、億万長者になる素質はありませんよ。こうなったらやけ食いだ。山ほど食ってやる」
「ちょっと、いい加減にしなさい。詰め込み過ぎたら、胃に全部血が行って馬鹿になるわよ」
「もうなってるからいい」
 玉杓子で鍋の中身をごっそりすくうリュウイチに、サラは眉をひそめた。
「ひょっとしたら、すでに手遅れになってるかも。心配だからチェックしてみるわ。内頚動脈の最初のふたつの枝は?」
「らんろうひゃくと……げほげほ」
 むせるリュウイチに、長英は思い切り顔をしかめた。
「汚いのう。口に物をいっぱい入れたまましゃべるでない。もしや、わからぬのをごまかしておるのではないか。眼動脈と後交通動脈じゃぞ」
 リュウイチがオレンジジュースで、口の中の物を飲み下すのと、サラが叫ぶのが一緒になった。
「どうしてそんなこと知ってるの? チョーエー」
「学んだのじゃ。おぬしらの医学書を拝借し、読破した。わしとて、デイトレードにばかりうつつをぬかしていたのではない」
「僕たちが二年かかって勉強したことを、たった二か月半でマスターしちゃったの? すごいよチョーエー、すご過ぎる」
「自然科学全般と一般常識をインターネットを用いて学んでから、医学に手を付けたゆえ、正確にはひと月ちょいくらいかの。まあ、おぬしらとは、頭の構造が根本的に違うということよ」
 鼻をふくらませて酒を飲む長英を、傲慢だとか不遜だとは全然思わない。それどころか、驚きと賞賛の気持ちでいっぱいだった。
 リュウイチ自身、数学者だった母親の英才教育のお陰で、五年飛び級して大学に入学している。天才とまではいかないが、秀才の端くれぐらいには所属しているだろう。
 そのリュウイチでさえ、医学部に入学して二年間は勉強に追われ、必死だったのだ。それをひと月と少しで習得したとは。
 しかも、自然科学全般と一般常識をも学習してしまったという。何て素晴らしい頭脳なのだろう。
 そもそも長英は、長崎で化学書を翻訳したり、江戸に帰って日本初の生理学書『西洋医原枢要』(内編五冊、外編七冊)を書いたりと、元々科学者としての素質を持っていた。また、蘭・仏・英語に非常に堪能だったとは、当時日本が鎖国状態にあったことを考え合わせると、まさに奇跡と言っても過言ではないのではなかろうか。
 タイムスリップ後も瞬く間にこちらの生活になじんだが、それもまったくの自然体。余裕さえ感じられる。
『やっぱりスーパーな人なんだ。チョーエーって。すごいなあ』
「現代医学を勉強して、何か思うところってあった?」
「さすがはサラ。いいこと聞くね。僕も知りたいな」
「そうじゃなあ」
 一旦言葉を切り、もったいぶった様子で、長英が顎をなでる。
「医学が進歩し、より多くの患者を救えるようになったことは、非常に喜ばしい。だが、診療科が増え、さらに専門が細分化されておるのは、どうであろうの。医療が高度になればなるほど、専門性が増すことは理解できるが、特に高齢者などは、複数の病にかかっておることも多かろう。また、一つの疾患においても、別の科の知識を必要とする症状を見極めねばならぬこともある。それを考えると、患者サイドに立てば、恩恵ばかりとは申せまい。それから、画像などのデータはなるほど便利で、侵襲性が比較的小さい処置で体内の様子がわかるとは、まさに夢のようじゃ。しかし、あまりにもそれらに頼りすぎてはおらぬか。身体全体を診て総合的に判断する、医療本来の姿勢も必要と思うが」
 思わずリュウイチとサラは、うなってしまった。それはまさにアメリカだけでなく、現代医学全体における問題なのである。
『やばいよチョーエー。偉大過ぎる。やっぱり歴史に名を残すような人は、普通とは全然違うんだね』
     4
 食事を終えたリュウイチは、シャワーを浴び、パジャマ代わりのグレーのスウェットに着替え、DVDを持っていそいそとリビングルームにやって来た。
「さあて、今夜は〝新・必殺仕置人〟を見ようっと。寅の会に念仏の鉄の骨はずし。死神もクール。やっぱり最高だよね」
「ちょっと、時代劇なら書斎のオタクパソコンで見なさいよ」
 先にソファーに陣取っていたサラが、盛大に顔をしかめる。
「えー、どうして。何かテレビ見るものあるの、サラ」
「別にないけど」
「だったら見せてよ。たまには大きい画面で見たいんだ」
「そういえば、初めてリュウに会うたとき、必殺シリーズがどうのと申しておったな」
「うん。必殺シリーズに、高野長英が登場するのがあるんだよ。あのさあのさ、ひょっとして、見てみたいとか?」
 うれしそうに長英の顔を覗き込むリュウイチの肘をつかみ、サラが引き戻す。
「チョーエー、やめたほうがいいわ。リュウの悪い癖で、見ながらいちいち解説するし、そのうち語り出しちゃうから、すっごくうるさいのよ。見たいのなら、あとでひとりで見ることをお勧めする」
「大丈夫。静かにしてる。約束するから。ねえねえ、一緒に見ようよ。そのほうが絶対に楽しいって」
「そうじゃなあ。まあこの際、後学のために見ておくとするか」
「やったあ! そうこなくっちゃだよ。嫌だったら、サラが違う部屋に行けばいいじゃない」
「何よその言い方。偉そうに」
 ぷうっと頬を膨らませたサラをきれいに無視して、リュウイチは部屋から持ってきたDVDをプレイヤーにセットした。
「この〝新必殺からくり人 東海道五十三次殺し旅〟って、必殺シリーズにおける、いわゆる〝旅もの〟の最初なんだよね」
「ほらね、さっそく始まった。やあねえ、時代劇オタクって」
 オープニングのナレーションに、リュウイチが声を合わせる。
「人の一生は旅に似ているといいますが、ほんとにそうでございますね。私、安藤広重が旅を描きました東海道五十三次。綺麗ばかりで少しも人のため息が聞こえてこないとか。そんな事はございません。一枚一枚にせっぱつまった怨みとつらみ、つまりは殺してもらいたい人間を、そっと描き込んである仕掛け。お艶{えん}さん。よっくご覧の上、東海道五十三次殺し旅、よろしくお願い致します」
「こんなもの暗記して、いったい何になるって言うのよ」
 長英が眉をひそめた。
「東海道五十三次なら、安藤広重ではなく、歌川広重。広重は歌川豊広の弟子じゃからのう。たしか安藤とは、火消同心をいたしおる、実家の苗字であったはず」
「さすがはチョーエー。最終回で、そのあたりの話が出てきてね。実は広重が昔幕府の隠密をしてたって言うシーンがあるんだ。あ、これがチョーエーだよ。蘭兵衛って名乗ってるけど」
 満足そうにうなずきながら、長英が顎をなでた。
「ほう、なかなかいい男ではないか。まあ俺の足元にも及ばぬが」
「近藤正臣って俳優さん。スペシャルは別にして、〝必殺〟で実在の人物が殺し屋になってるのは、これと、第三十弾〝必殺仕事人 激突!〟の山田朝右衛門だけなんだ」
「ちょっと待て。すると何か。わしは殺し屋ということか」
「そうよ。しかもお金をもらって、人を殺す裏家業なの。そんな話に、どうしてリュウがこんなに夢中になってるのか、まったく理解不能だわ」
「ただの殺し屋じゃないよ。世の中にのさばってる、法では裁けない悪人を殺して、名も無い人々の晴らせぬ恨みを晴らすっていうのが、シリーズを通してのコンセプトなんだから。お金をもらうのはね、彼らの歯止めになってるの。わざと受け取ってるんだ。〝俺は、金をもらって人殺しをする汚い人間だ〟って自覚を持つために。そうしないと、自分は正義の味方だとか、果ては神様だみたいに思いあがっちゃうじゃない。それをいましめる意味がある。あとね、こういう稼業をやってると、ろくな死に方をしないって、因果応報っていうのかな。ちゃんと罪の意識も持ってるんだ。そういう彼らのプロフェッショナルでストイックなところが、すっごくかっこいいんだよね」
「リュウの言いたいことは、よーくわかったわ。もう腐るほど何べんも聞かされてるもの。わかったから、黙って」
「そうそう。チョーエーと言えば、第四作目の〝暗闇仕留人〟は、市松座っていう遊興小屋の三味線弾き糸井貢が主役なんだけど、実は彼は高野長英門下の蘭学者・吉岡以蔵で、師・長英の逃亡を幇助した咎で、自分も追われてるって設定だったよ」
「どうして俺の弟子なのだろうな」
「ペリーが浦賀に来航した年が舞台でね、貢はデリケートな心の持ち主で、いろいろと苦悩する役だったんだよ。だからインテリっていう人物設定が必要だったんじゃないかな。あの時代の蘭学者っていったら、やっぱり高野長英でしょう」
「こいつは悩まぬのか」
 長英が、テレビ画面の蘭兵衛に向かって、顎をしゃくった。
「うん。殺し屋になることもあっさり引き受けたし、人を殺すのも、まったく躊躇しないでばっさりやっちゃう。肝が据わってるっていうか、ふてぶてしいっていうか。大胆不敵な性格なんだよね」
「あら、誰かさんにそっくり」
「ほら、こうやって絵を火であぶると、殺しのターゲットのヒントになる物が赤く染まるんだよ。うまいこと考えてるよね。これから悪人を探り出す謎解きの部分が、作品の醍醐味のひとつになってる。なかなか評判がよかったらしくて、次の次のシリーズは〝富嶽百景殺し旅〟っていうのが作られた。こっちは葛飾北斎が依頼人」
「二匹目の泥鰌というやつか」
「かもね。でも、あれはあれでおもしろいから、いいんじゃないかな……この小駒ちゃん(ジュディ・オング)てね、蘭兵衛のことが好きなんだよ」
「なかなか可愛い女子だが、俺は、この母親(山田五十鈴)のほうが好みじゃな」
「お艶{えん}さん、めちゃくちゃ色っぽいよねえ。僕も大好きなんだ」
 長英が「ふふふ」と笑った。
「リュウの年増好きも、筋金入りというところ。それにしても色っぽいのが好みとはのう。そうなると、サラと暮らしておるのが、俺には解せぬな」
「何ですって」
 たちまちサラがきっとにらみつけたが、長英は涼しい顔である。
「いや別に。深い意味はない」
「そういえば、お艶さんが小駒ちゃんに〝蘭兵衛さんを好きになっちゃだめだよ〟って、たしなめるシーンがあるよ。最終回だけど」
「なぜ俺を――いや俺ではないが――好いてはならぬのじゃ」
「大酒飲みで女たらしだからに決まってるでしょ」
「今、何と申した」
「別に。空耳じゃない?」
「〝あの人は、世の中よりあんまり考えが進み過ぎてるから追われていなさるんだ。あの人優しいけど、心は別のもんに奪われてるお人なんだよ〟って」
 本当は、長英が長崎留学の間故郷で待っていた許婚に、別の男と結婚してくれと言ったエピソードにも触れられているのだが、そのあたりはリュウイチも気を遣って、割愛したのである。
「ふうむ。言い得て妙じゃのう」
「あんまり深く考えないほうがいいわよ。たかがテレビドラマなんだから」
 やがて〝殺し〟のシーンになった。
「必殺ファンは皆そうだと思うけど、この音楽が流れると、どきどきしちゃう。蘭兵衛の得物は、仕込み杖なんだよ。もうすぐ彼の出番……ああ! かっこいい!」
 興奮するリュウイチに、長英は「ううむ」とうなる。
「刀の使い方が無茶苦茶じゃ。逆手に持ったのでは、人は斬れぬ。刃筋が曲がるし剣先が伸びぬからの。その上あのようにカンカンと打ち合えば、あっという間に刃こぼれがするぞ。斬った後、刀についた血や脂を拭わぬまま鞘に収めたも面妖。中がべとべとになり、使い物にならなくなる」
 サラが、それ見たことかと肩をそびやかした。
「ほうらね、リュウ。チョーエーが見れば一目瞭然。時代劇なんて、しょせんまがい物なのよ」
「刀の使い方だけではない。他にも合点がゆかぬところは多々あるぞ。たとえば、役所や武家屋敷の門に、表札が出ていたりはせぬもの」
「それくらい知ってるよ。いいの。時代劇は史実とは違う。日本では、皆それを承知で見てるんだ。たとえば水戸光圀は、諸国漫遊なんてしたことなかったけど、そんなやぼなこと誰も言わない。ラスト八分前の印籠シーンのカタルシスには、まったく関係ないもの。あと、殺陣と実際の剣術も全然違うけど、これは様式美を優先してるから。斬るほうも斬られるほうも、かっこよく美しくってことに重点が置かれてる。様式美と言えばね、僕、三隅研次監督が大好きなんだ。彼は必殺シリーズも手がけてるんだけど、市川雷蔵と組んだ〝『剣』三部作〟とかも有名だし。その独特の様式美で、大映の時代劇映画黄金期を支えた監督のひとりなんだよ。リアリズムの追求とは全く逆の、時代劇の約束事までをも可能な限り廃して得られる様式美と映像美の世界。あとね、彼の映画を語るには、大事なキーワードがあるんだ。それは〝宿命〟と〝かなしみ〟。あ、〝悲しみ〟でも〝哀しみ〟でもなく、〝かなしみ〟なの。ここ重要。数ある作品の中で、僕はやっぱり、雷蔵と組んだ作品が好きだなあ。〝宿命〟と〝かなしみ〟は、雷蔵自身が背負っているものでもあるし、ふたりが共鳴し合ってるっていうか。一番好きなのを選べって言われたら、うーん、かなり難しいけど……やっぱり『眠狂四郎無頼剣』かなあ。ラストで、竹で作って綺麗に色を塗ったおもちゃが何本も、からからと音を立てて屋根から滑り落ちていくんだ。それがめちゃくちゃ美しくてかなしいシーンなの。おもちゃがかなしいだなんて、僕、この映画を見て初めて知ったよ」
「来た。リュウの三隅監督」
 うんざりしているサラに、長英が眉をひそめる。
「三隅監督とやらが、どうかしたのか」
「もうね、語って語ってきりがないのよ。ほうっておくに限るわ。ひとりで朝までしゃべり続けるでしょう。私もう寝ようっと。時代劇オタクの相手をするほど、暇じゃないし。チョーエーもシャワー浴びてくれば」
「サラの忠告に従って、そういたそうか。しかし時代劇の話になると、リュウは人が変わるのう。まるで病にかかったようじゃ」
「その通り。病気なの。しかも不治の病。ほら、馬鹿は死ななきゃ治らないって言うでしょ。あれよ」
「なるほど。そういうことなら、得心がゆく。しかし哀れよのう。まだ若いのに、頭が不自由とは」
 サラと長英が、ソファーから勢いよく立ち上がった。
「あ、待ってよ。どうして話を聞いてくれないの」
「だってつまんないんだもん。ねえ、チョーエー」
「うむ。ためになる話でもないしの。時間の無駄じゃ」
 リュウイチは口をとがらせた。
「何だよふたりとも。悪代官と越後屋みたいに結託しちゃってさ。ふん、いいよ。どうせ僕は時代劇オタクですよ」
「ほう、自覚はしておるのじゃな」
「オタクはオタク同士、チャットでも何でもすればいいでしょ。健全な一般人を巻き込まないでちょうだい」
 ふたりが部屋を出て行ったあとで、リュウイチはソファーに引っくり返った。
『ちぇっ。チョーエーが知らないから、ちょっと解説してあげただけなのに。人の親切を、踏みにじらなくってもいいじゃない。時代劇オタクの、いったいどこが悪いっていうの。世界征服をたくらむより、ずっとずっとましだよ。僕は誰にも、迷惑なんかかけてないもんね。あーあ、チャットかあ。久しぶりにチャットしようかな』
 日本語で読み書き算盤ができるリュウイチのチャット友だちは、当然、日本のとっても濃い時代劇オタクたちだ。
『あ、でも東京とは十五時間時差があるから、今、昼の二時過ぎ。いるかなあ、チャット相手。せっかく本物の高野長英と〝新必殺からくり人 東海道五十三次殺し旅〟を見たっていう、誰にもまねのできないすごい体験をしたのに。まあ、でも、言っても誰も信用してくれないだろうけどね』

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小説家。2012年第24回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞。お茶大SF研OG、池波狂、時代劇オタク。神戸市出身、徳島県在住。著作に「忍びのかすていら」「学園ゴーストバスターズ」「心花堂手習ごよみ」「黒猫の夜におやすみ」など。どうぞよろしくお願いいたします。
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