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とある外科医の非?日常生活(連載第3回)

連載小説第2弾は医療物のSFですが、三國らしく時代物の要素もありです。
舞台はアメリカのシカゴ。主人公は公立病院に勤める外科のレジデントで、女の子とみまごう超絶美形の日本人ハーフ。心優しき時代劇オタクです。お楽しみいただけましたら幸いに存じます。〈全文無料公開〉
*ずっと以前に書いた作品ですので、科学関係の情報等が少し古びておりますがご了承くださいませ。

  第三章  SLIME SHEET
     1
 サラは電話番をしながら、パソコンで十月分の研究報告書を作成していた。今日は一週間に一度回ってくる〝Slime Sheetお客様相談室〟担当の日であったのだ。担当社員は五人。会議室から流用された部屋で、九時から五時までの間、終日電話応対をすることになっていた。
 外傷治療の経験が豊富なサラには、医者からの専門的な問い合わせが回されてくる。目が回るほど忙しくはないが、さりとて気も抜けない。レポート書きを内職にするくらいが、ちょうどよいのだった。
 サラの勤めているPlanariateは、Tissue Engineering(再生医工学)を主業務としていた。比較的新興の会社である。
アメリカの医学部は四年制で、普通の大学を卒業してから入学し、三・四年次の病院での臨床実習を終えると、レジデント(研修医)となり、ティーチング・ホスピタルで研修を続ける。
レジデントの一年目はインターンと呼ばれるが、インターンの三分の一は一年で切られる。レジデントは一年ごとの契約制で、無能なレジデントはどんどんふるい落とされていくのだ。
サラは救急救命医を志し、オクセンバリー総合病院で研修医として働いていた。レジデンシーは四年間。
その後開業したり、開業医に勤務する道もあるが、医学生やレジデントの管理者であるスタッフ・ドクターとなる者、またはフェローシップ(奨学金)を取って専門分野の研修を続ける者もいる。
レジデンシーを終えたサラは、臨床医から足を洗って、Planariateで研究に従事する道を選んだ。五年前のことであった。
自分の仕事が直接人の役に立っていることを、日々実感しながら人生を送りたいというのが、サラが医者になった理由である。そして救命医が、もっともその機会に恵まれるだろうと思っていたのだ。
確かに、ERには毎日山ほど患者が押しかけてきた。命を救ったケースも多々ある。ぼろ雑巾のようにくたくたになりながらも、満ち足りた思いと共に眠りにつくことが、日課になっていたのである。
だが、研修も残すところあと一年になると、そう単純にはいかなくなった。仕事に慣れ、思索にふける余裕ができたせいもあるのだろう。
〝これでいいのか〟と書かれたシールが、いつも頭の片隅に引っ付いていた。振り払おうとするのだが、頑固に居座っている。今の治療技術には限界があるという事実に、目が向いてしまったのだ。
心筋梗塞や腎不全などの内臓疾患から、交通事故や銃創による外傷まで、ERには本当に多種多様な患者がやってくる。必死に治療をしても、脳や心臓・腎臓・肝臓など、臓器そのもののダメージが大きい場合は、手の施しようがない。
また、命を救うためにやむを得ず手足を切断するはめになったのだとしても、患者の苦悩は大きい。脊髄を損傷して半身不随になるケースも、同様である。
力の限りを尽くし、やっとの思いで生還させた患者に〝死んだ方がましだった〟と泣かれたり〝なぜ助けたんだ〟と食ってかかられたりしてしまうことも、少なくない。
さらに、緩和療法しか選択肢のない、末期がんの患者が担ぎ込まれて来るときなど、特に無力感に苛まれた。治療をしようとすると、彼らは大抵ゆっくりとかぶりを振り〝医者より牧師を呼んでくれ〟と微笑むのだ。
いくら自分が救命医として技術を磨いても、万能になることは絶対に不可能である。恐ろしいことに、そして悲しいことに、医療には限界というものが存在するのだ。
もちろん、すべての患者を救いたいなどと、不遜なことを望んでいるわけではない。しかし、残酷な現実に、サラは胸がふさがる思いがした。
思い悩んでいたある日、何かもっと別のアプローチの方法はないのだろうかという考えが、ふと頭に浮かんだのである。根本的に、視点を変えてみるべきでないだろうか。
今振り返ってみると、何も自分だけが使命感に燃える必要はなかったのだ。だが当時は、他の誰かがやってくれるだろうという思考は、卑怯な〝逃げ〟であると思い込んでいたふしがある。
命のやり取りを、あまりにも多く見過ぎたということも原因なのかもしれなかった。患者の死をいつまでも引きずっていてはいけないが、とても割り切ることなどできない。また、したくもなかった。
そうかといって、その思いは次の患者を救うことによって昇華させよう。それが罪滅ぼしになるのだからと、青臭い幻想を抱くほど、もう若くはないのだ。
救えなかったという自責の念がただ澱のようにどんどんたまり続けた。限界が来て、それが噴出したとも考えられる。
とにかく、あの頃の自分は愛しくてちょっと抱き締めたくなるくらい、必死だった。ただでさえ少ない睡眠時間を削って、出口のない迷路に囚われていたのだから。
     2
その頃、ヒトiPS細胞の作成に、日本の研究グループが成功したというニュースが、世界中を駆け巡った。iPS細胞(induced pluripotent stem cells 人口多能性幹細胞)とは、体細胞へ数種の遺伝子を導入し、ES細胞(Embryonic Stem cells 胚性幹細胞)と同じような分化万能性を持つようになったものである。
iPS細胞は、患者本人の細胞から作るため拒絶反応がなく、移植用組織や臓器の材料として期待が持たれた。また、受精卵の発生初期段階である胚盤胞期の胚の内部細胞塊から得られるES細胞と違って、倫理的な問題から完全にフリーになったということも、大きなプラスである。
再生医療の実現に向けての、大きな前進。研究者や医療従事者だけでなく、難病で苦しむ人やその家族、そして一般の人々にも広く賞賛されたのも当然だった。
iPS細胞作成成功の知らせを聞いたとき、サラは〝耳ネズミ〟を思い出した。一九九九年、ハーバード・メディカルスクールのチャールズ・ヴァカンティ教授らのチームが、背中にヒトの耳が生えたヌードマウスを作り、人々の度肝を抜いたのだ。
もちろん、そんなネズミが自然界に存在するはずはない。耳の形にしたスポンジ状の生分解性ポリマー上で、ヒトの軟骨細胞を培養し、マウスの皮下に移植したというのが種明かしである。もちろん形のみの再現で、機能は備わっていない。
当時サラは生物学を専攻する学生だったが、友人たちの反応はさまざまであった。神を冒涜していると怒る者あり、おぞましいと顔をしかめる者あり。形だけで聞こえない耳など、ナンセンス以外の何物でもないという意見もあった。
しかしサラは素直にすごいと思った。ヒトの耳が作れるだなんて。賞賛する気持ちが強く、不思議と嫌悪感は感じなかった。
先天的に耳介が欠損しているとか、事故で失ったとか、そういう患者にとって、どんなに救いになることだろう。医者の道へ進むのはもうすでに決めていたせいか、そんなふうに考えた記憶がある。
iPS細胞から臓器が再生できるようになれば、もはやがんも心筋梗塞も交通事故も恐くない。ひょっとしたら、手や足も作れるかもしれない。
だが一番早く実現可能なのは、細胞の注入による、パーキンソン病や糖尿病、脊髄損傷あたりの治療ではないだろうかと想像された。きっとiPS細胞は、分化が万能というだけではなく、治療においても万能になるポテンシャルを持っているに違いない。興奮と感激で、胸が熱くなった。
『iPS細胞の開発に携わりたい』
その考えは、唐突にサラの頭に出現した。
あまりの突飛さに自分でも仰天した。臨床を三年もやってきて、レジデンシーもあと一年で終わるというのに、今さら基礎研究に方向転換しようだなんて。
連日連夜の激務に、精神のバランスが崩れたかと心配になり、セルフチェックをはじめる始末。
『疲れてるんだわ。一時の気の迷いに決まってる』
そう結論付けて、サラは奇妙な思い付きを振り払った。
だが、進路変更というアイディアは、消え去るどころか、長期滞在を決め込んでいた。存在を主張する声は日増しに大きくなる。
連呼を続ける心の声に洗脳されてしまったものか、傾いていく自分にサラは気が付いた。
『ちょっと待ってよ。本気なの?』
 自問自答したが、答えは〝イエス〟狼狽したサラは、こともあろうにERで実習していた医学生に、うっかり口を滑らせてしまった。
「私が救命医をやめて、基礎研究をするだなんて言ったら変?」
 数学者だった母親の英才教育のお陰で飛び級をし、十七で入学したという医学生は、女の子にしか見えない顔に、花のような笑顔を浮かべた。
「いいえ、全然。だって、患者の命を救うってことに、変わりはないですもん」
「そう……かしらね」
「ええ。ERでたくさんの患者さんの死と向き合っていて、そういう結論に達したのでしょう? 医療技術の限界を超えることができるのは再生医療しかないって。だったら、迷わず方向転換するべきです」
 サラはあまりに驚いて、ぽかんと口を開けた。
『なあに、この子。私の思いをどうして知ってるの? まさか、心が読めたりしないわよね』
 びっくりしたせいか、すとんと心が座った。落ち着くべきところに、きちんとおさまった気分になる。
「すみません、偉そうなこと言っちゃって」
 医学生がぺこりと頭を下げた。サラは微笑みながらかぶりを振る。
「いいのよ。ありがとう。お陰で決心がついたわ。レジデンシーを終えたら、そっちに就職する」
「頑張ってください、サラ先生」
「あなたもね。すご腕の外科医になるんでしょ」
「はい!」
 もう一度礼をして、廊下を駆け去っていく医学生をサラは見送った。なぜ十歳も年下の彼――リュウイチ――になんか相談してしまったのだろう。
その理由がわかったのは一年後、卒業したリュウイチに“恋人として付き合ってください〟と言われて、驚きつつもすんなり承知した自分自身に、愕然としたときのことである。
     3
再生医療研究の現場で働く決心をしたサラは、忙しい勤務の間を縫って、めぼしいところへ自分を売り込んだ。ところがたちまち、現実が甘くはないことを思い知らされることになる。
熱意はあっても、実績が伴わない。再生医療の分野でひとつの論文も書いていないサラを雇うほど、大学も企業も暇ではなかったのだ。
〝悪いことは言わない。このまま救命医としてのキャリアを積むほうがずっと理にかなってる。一時の気まぐれで、四年間を棒にふるつもりか?〟などと、面接でやんわり断られるのはまだましな方。
ほとんどのところが、書類審査の段階で門前払いだった。当たり前だが、大学で生物を専攻していた経験など、歯牙にもかけられない。
よく考えれば(考えなくても)基礎医学の研究者としての実績が皆無の医者など、嵩高いだけである。サラは自分の浅はかさに、ほとほと愛想が尽きた。
このままでは、逆立ちしても就職は無理だ。医学部の大学院に進学し直して、夜勤専門の医者として働きながら、研究のキャリアを積むしかない。そう思い定めていたある日、久々に面接の通知を受け取った。
どうせ今度もだめだろうと、やや投げやりな気持ちで出向いたサラだったが、その会社はいつもと様子が違っていた。医者としての経験――特に外傷治療の――を熱心に尋ねてくる。
外傷治療ならERで、それこそ星の数ほどこなしていると言っても過言ではない。聞かれるままに答えたが、面接官はいちいち満足そうにうなずいている。帰り際には笑顔で握手を求められた。
 三日後に採用通知を受け取ったサラは、喜びに打ち震える前に、首をひねった。なぜ雇ってもらえるのだろう。
 それが今の会社Planariateである。謎はすぐに解けた。
 業界に参入して六年目のPlanariateは当時、画期的な商品を密かに開発しようとしていた。Slime Sheetと呼ばれるもので、原料は何と、日本で発見された新種の細胞性粘菌Aicuxella Hikariumである。
 細胞性粘菌は、下等真核生物の一種である。餌が存在する場合は単細胞アメーバの状態で分裂・増殖するが、飢餓状態に陥ると、移動体と呼ばれるナメクジ状の多細胞集合体を形成する。成熟した移動体はやがて子実体へと変化し、内部の胞子が、適切な環境下でまた単細胞アメーバになるのだ。
 鮮やかな黄色をしたA. Hikariumは、従来種と異なる性質をいくつか持っていた。その最たるものが、相手の形質を自分にまるごと取り入れるというところだった。
発見者は擬態の一種と結論付けていたが、見た目だけではない。タンパク質はおろか、遺伝子レベルまでそっくりそのままコピーしてしまうのだ。
 ひょっとしてこれは使えるかもしれないと、Planariateの社長・アンソニー・クラフはすぐ日本に飛んだ。そして、A. Hikariumの発見者と契約を交わし、共同でパテントを取得したのだ。A. Hikariumの使用を独占するためである。
当然社内では、異種生物、しかも遺伝子的にかけ離れている下等な粘菌を再生医療のツールに利用するなど論外であると、猛反対が巻き起こった。社長は正気じゃないとまで、まことしやかに囁かれる始末。
だが、日本から持ち帰ったA. Hikariumを培養して増やし、その特異な性質を目の当たりにした途端、くるりと掌を返して、絶賛の嵐となった。社長の悪口を言った連中は、こっそり口を拭い、しれしれとごますりに回る。
A. Hikariumは、餌となるバクテリアを与え好適環境下で培養すると、細胞壁の無い単細胞アメーバの状態で寄り集まり、コロニーを作った。コロニー状になったA. Hikariumをヒトの細胞を含む培地に加えると、三時間程で〝擬態〟を完了してしまう。驚異的なスピードであった。
表皮細胞なら表皮細胞、神経細胞なら神経細胞を、形質はもちろん、機能も何もかもそっくりそのままコピーし、成りすましてしまう。
そして好適環境下であれば、それはそのまま維持される。都合の良いことにヒトの体内環境は、A. Hikariumにとっての好適環境と酷似していた。したがって成りすまし状態のままA. Hikariumは、ヒトの組織の一部としてずっと生き続けることになる。
なるほど擬態が続くのはよい。だが、ヒトの細胞を食い荒らし、自らが置き換わるというのでは困る。しかしA. Hikariumは、その点においても優等生的な性質を持っていた。
体内におけるA. Hikariumの増殖速度は、ヒトの細胞のターンオーバーと同調していた。その上ここでも組織の一部として行動し、決して暴走することがない。
生物は有性・無性を問わず生殖を行い、個体数を増やして種の保存をはかるものだが、一般に、それは過酷な生育環境下でよりいっそう盛んになる。A. Hikariumにとって体内は、生殖を行なう気が失せるほど、居心地が良いということなのだろう。
いやもしかすると、擬態と種の保存、お互いのベクトルが打ち消しあっているということも考えられる。
A. Hikariumの発見者は丁寧に実験を繰り返していて、そのデータは信用の置けるものだったが、Planariateはさらに追試を行い、膨大なデータを得た。そのすべてを慎重に検討した結果、A. Hikariumは安全であるとの結論が下されたのだ。
プロジェクトが発足し、全社を上げ、また社運をかけて研究が進んだ。今はちょうど四年目にあたり、種々の成果がぞくぞくと得られ始めていた。いよいよ商品化に向けて、進み出そうとしているところだったのである。
目玉商品のひとつ、粘菌の英語名Slime mouldにちなんだSlime Sheetは、その名が示す通り、A. Hikariumをシート状に広げたものである。たとえば治療が有望視される症例のひとつに、拡張型心筋症が挙がっていた。
 拡張型心筋症は、心筋細胞の性質が変化する原因不明の病気である。心室の壁が薄く伸び、心臓内部の空間が大きくなるという病態を示す。
症状が進むと、左心室の壁が伸びて血液をうまく送り出せなくなり、うっ血性心不全を起こしてしまう。まずは薬による内科的治療が行われるが、根本的治療ではない。重症化すると、心臓移植しか方策がないのが現状であった。
Slime Sheetを拡張型心筋症の患者の心臓に直接貼り付けると、粘菌は心筋細胞に成りすまし、増殖する。よって心筋が元のように厚くなり、機能が回復するというわけだ。応用例として、心筋梗塞の治療にも使用できることが予想された。
いろいろな利用法が期待されるSlime Sheetであるが、その可能性を外傷治療の分野で探ろうという試みが成されていた。その研究チームの一員として、サラは採用されたのである。
自分の専門を生かして、希望通り再生医療の研究に参加できる。しかも、もうすでに商品化の段階までこぎつけているとは、非常にうれしい誤算だった。
四年間のレジデンシーを終え、新しい世界に飛び込んだサラの、ひと月目は研修に充てられた。A. Hikarium及びSlime Sheetの特性を知れば知るほど、何て画期的な素材なのだろうと驚嘆する。
A. Hikariumは絶対に、現代医学に見放されている多くの患者を救うことができると、サラは医者の直感で確信した。その一端を自分も担うことがかなうのだ。採用された幸せをあらためてかみしめる。
サラが入社して三年後、Slime Sheetをはじめとする〝粘菌商品〟は、臨床の現場で使われ始めた。またたく間に好評を博してひっぱりだことなり、生産が追いつかないほどだった。
さらに二年たった今(二〇一三年)は大量生産が可能になり、Slime Sheetの鮮やかな黄色いパッド付きの救急絆創膏として、一般家庭にも普及するまでになったのである。
理想に燃えて飛び込んだ職場だったが、いわゆる〝現実〟には、きっちり直面することとなった。企業の第一目的はあくまでも利潤追求であり、Planariateも、もちろんその例外ではない。
しかし、すっかりとうが立ってしまっているサラのこと。憤慨したり嘆いたりすることはなかった。
〝現実〟を差っぴいても、A. Hikariumの魅力は余りある。サラは毎日張り切って、勤務しているのだ。
     4
「はい、Slime Sheetお客様相談室でございます」
 お客様相談室と名乗るたびに、もう少しましなネーミングはないものかと、ため息が出そうになってしまう。
「オクセンバリー総合病院・外科所属、リュウイチ・タカミザワと申します。いつもと違って、よそ行きの声でおすましさんなんだね、サラ」
「もう、リュウったら」
 サラは受話器を持ったまま、隣の席の同僚に背を向け、あわてて声をひそめた。彼は電話応対の真っ最中で、しかも二メートルほど離れた机に座っているから、会話を聞かれはしないだろう。
それに私用電話にいちいち目くじらを立てるほど、狭量で頭の固い会社でもない。だが恋人から電話をもらい、いい年をしてうれしそうに顔をほころばせている自分が、気恥ずかしかったのだ。
「勤務中ごめん。ちょっと聞きたいことがあったから。今、平気?」
「ええ、大丈夫よ。でも、いったいどうしたの? リュウこそ、大忙しでしょう」
「チョーエーのことなんだけど。今朝、様子はどうだった?」
 やはりそうかとサラは思った。リュウイチは、長英のことを心配しているのだ。
そうよ。何せ、彼はエド人だもの。環境に慣れるのは大変よ。
平気そうな顔してるけど、カルチャー・ショックどころじゃないはずだわ。
「そうねえ……七時半過ぎに起きてきたから、食事をあたためてあげた。顔色も普通で、体調もよさそうだったし。別に昨日と変わったところはなかったと思うわ。そうそう。調べたいことがあるらしくて。パソコンで検索の仕方を教えてあげたけど」
「やっぱり……」
 思いがけなくリュウイチの声のトーンが下がり、サラは眉をひそめた。
「日本史の本を貸してくれって言われて、うちにはなかったから。いけなかった?」
「いや、そうじゃないんだ。チョーエーはたぶん、家族の消息を調べたくて、サラに聞いたんだと思うんだけど……そうか、それならきっと知っちゃったね」
 冷たい手で心臓をぎゅっとつかまれたような気分になった。しまった。そういうことだったのか。己のうかつさに、今さらながら腹が立つ。
「どうしよう、私。教えなきゃよかったわ」
 心細そうで情けない、おろおろ声が出てしまって、思わず苦笑した。
「ううん、サラが気にすることはないよ。チョーエーも、いつかは事実と向き合わなきゃならないんだから。それに、彼が望んだことなんだし。知りたいって」
「チョーエーの家族は、どうなったのかしらね」
「僕もちょっと調べてみたんだけど、江戸時代、火付けと脱獄は重罪なんだよ。あと、不思議なことに、タイムスリップしたはずなのに、なぜかチョーエーは死罪になったことにされちゃってて。そのあたりが、どうもよくわかんないんだ……あ、とにかく重罪人の家族ってことで、ずいぶん悲惨な目にあったみたい」
 聞きたくなくて、耳をふさいでしまいたいぐらいなのに、口が勝手に動き、つるつると言葉が出た。
「それって、どういうこと」
 一瞬の間があって、答えが返ってきた。リュウイチの声が少しかすれている。
「奥さんと男の子ふたりは消息不明。女の子は遊郭に売られて、大地震のときに発生した火事で、閉じ込められたまま焼け死んだらしい」
「そんな……」
 思わず受話器を握りしめる。部屋が急に暗くなった気がした。紅蓮の炎と、泣き叫ぶ少女の姿が目に浮かぶ。
「それから、彼を匿ってくれた人たちが罰せられてて……そのあたりもチョーエーは知ったと思う。もしかしたら、その後の日本の歴史も調べたかもしれない。国の行く末を案じるあまり、『夢物語』って書物を書いて、投獄されちゃった人だから」
 リュウイチが一旦言葉を切った。あり得ることだと思った。百六十年の間に自分の国がどのような道を辿ったか。サラが長英の立場なら、絶対に知りたいだろう。
 だが、知ってどういう気持ちになったかということを考えると、やはりうんと気が滅入る。度重なる戦争のせいで、たくさんの人が亡くなった。アメリカに原爆を落とされてもいる。
うれしく思えることもあったかもしれないが、つらいことや悔しいことの方が、ずっと多いのではと推察された。
「今日はいろいろ、チョーエーはショックだったと思うんだよね。だけど僕、風邪でぶっ倒れたレジデントの穴埋めで、今夜は帰れそうにないんだ。だからサラ、チョーエーのこと頼んでもいいかな」
 忙しい勤務の合間を縫って電話をかけてきた、リュウイチの優しさと細やかさを再認識して、サラは胸が詰まった。それに引き換え、長英の心情を思いやることができなかった自分は、なんて鈍感なんだろう。
恥ずかしさで、頬がかあっと熱くなる。
「ええ、もちろんよ。どうしてあげればいい?」
「きっとお酒が飲みたいだろうから、日本酒をたくさん買って帰ってあげて」
「了解。私がおいしい物を作れればいいんだけど。こういうとき、悔しくて情けないわよね」
 ため息をつくサラに、リュウイチの声が笑いを含む。
「気にしないで。料理が得意じゃなくても、サラは他にいいところがいっぱいあるんだから。夕飯は宅配のピザでOK。食べたことないだろうから、かえって珍しいって喜ぶよ。きっとチョーエーは、家族のこととか口にしないだろうし、落ち込んでるってことも、サラに気付かれないようにすると思う。なんかね、サムライっていうのは、そういうものなんだって」
「じゃあピザを取って、ふたりで宴会でもしようかしら」
「うん、そうしてあげて……それからあのさあ、サラ。チョーエーをしばらく家においてもいいかなあ。最初はケースワーカーに頼むつもりだったんだ。でも、何だかほうっておけなくなっちゃって。甘いってことは、自分でも、とてもよくわかってるんだけど」
 急に口ごもるリュウイチに、今度はサラが笑う番だった。
「もちろん、いいに決まってるじゃない。リュウのその甘いところ、私は大好き」
「ありがとう! サラ! 愛してるよ!」
 突然、リュウイチがすごく愛おしく感じられて、ぎゅうっと抱き締めたい衝動にかられる。
「リュウったら、何だか拾ってきた子犬を飼うことを許してもらって大喜びしてる小学生みたい」
「そうかもしれない。とってもふてぶてしい子犬だけどね」
「ほんと。言えてる」
 同時にぷっと吹き出すと、ふたり揃って大笑いになった。
「じゃあ、チョーエーのことお願いします。お酒とかピザの代金は立て替えといて。あとで払うから」
「そんなの気にしないで」
「だめだよ。僕が拾って――いや、連れて来たんだし」
「無理しないの。自分の食費だけで精一杯でしょう。大食いさん」
「う、あ、確かにそうだけど」
「お姉さんの言うことは、素直に聞きなさいね」
「あ、はい。どうもありがとうございます」
 リュウイチがぴょこりと頭を下げたのが電話越しに感じられて、サラは微笑んだ。十も歳の差があるのに加え、彼自身の性格も手伝って、リュウイチは男のプライドを振りかざして意地を張ることがあまりない。
サラはそれを気に入っていて、〝かわいい〟と思っていた。
「リュウ! 銃創患者が到着したっていうのに、いつまでのんびり電話なんかしてるのっ!」
 かつての上司の変わらない〝悪魔ぶり〟に、思わずにやりとする。
「それじゃあね、リュウ。切るわよ。八つ裂きにされるといけないから」
     5
 サラが午後七時過ぎに帰宅すると、長英はリビングのソファーに座って新聞を読んでいた。血色もよく、朝と様子は変わりがない。ただ、少し目が赤いようだ。
 一瞬、泣いていたのだろうかと思ったが、即座にサラは自分でそれを否定した。目の周りが赤みを帯びていたり、はれぼったくなったりしていないのだ。
 仮に泣いたとしても、サラに気付かせるような長英ではないはずだ。すると、目の充血は何を意味するのか。
 おそらく、パソコンのモニタを長時間見続けていたせいだろう。リュウイチの予想通り、検索していろいろなことを調べていたものと思われる。
 だいたいの帰宅時間は、朝、出掛けに告げていた。だからそ知らぬ顔で新聞を読んではいるが、ついさっきまでパソコンの前に座っていたのは間違いない。
『この調子じゃもう、家族のこととか、皆知っちゃってるわよね』
 ため息をつきそうになる自分を励まし、サラはつとめて明るい声を出した。
「さあ、今夜は思いっきり飲みましょう」
 両手に下げていた、日本酒のパックが入ったビニールの手提げ袋を、威勢よくどさりとキッチンのテーブルの上に置く。
「おお、酒か。これはありがたい」
 新聞を放り出して、長英がすっ飛んできた。うれしそうに酒を取り出して眺めている。
「夕飯は、宅配のピザを注文するわね」
「ピザ? それはいったい何ものじゃ」
 サラの身長は百七十五センチだが、長英はそれより三センチくらい高い(ちなみにリュウイチは百八十五センチ)。江戸時代においては、かなり大きかったのではないか。怪訝そうな表情の長英を見ながら、ふとサラは思った。
「小麦粉をこね、発酵させて作った丸くて薄い生地にトマトソースを塗って、その上にいろいろな野菜、肉、魚介、チーズなんかの具を載っけてオーブンで焼くの。もともとはイタリアの食べ物で、アメリカへは移民から伝わったんだけど、今ではすっかりポピュラーになっちゃってる」
 サラは電話台の横に取り付けたボックスから、宅配ピザ屋のメニューを取り出して広げた。
「シカゴでは、ディープ・ディッシュ・ピザっていうのが名物なの。こんな感じで普通のピザと違って縁が高くなってて、その分具がたっぷり入ってる。私もリュウも、この〝ルー・マルナッティーズ〟ってお店のが大好き。人気あるのよ、ここ。何を頼もうかな。チョーエーは好き嫌いってある?」
 長英が、あごをなでながらにやりと笑う。
「そもそも、ピザなるものを食したことがござらぬゆえな。サラに任せる。どんな物でも文句は言わぬ」
「じゃあ、トマト、マッシュルーム、ほうれん草、チェダーチーズとモッツァレラっていう組み合わせの〝ルー〟――創業者のルーって人が一番好きだったピサ――と、イタリアンソーセージが入った〝デラックス〟にするわ。サイズは……今日は馬鹿みたいに食べるリュウがいないから、スモールでいいわよね。なんだか想像しただけで、涎が出てきちゃった」
 ピザ屋に電話をかけたあとで、サラは玄関から大きな紙袋を運び込んできて、長英にわたした。
「はい、これ私からのプレゼント」
「ありがとう」
 紙袋の中身を覗いた長英が、「ほう」と声をあげた。テーブルの上に中身をひとつひとつ取り出して並べる。
「いつまでも、スウェットってわけにはいかないと思って」
 白・黒・グレーの長袖Tシャツ、赤とグレーのチェックのウールシャツ、白と茶色と紺のチェックのコットンシャツ。黒のフリースのジップアップ、ジーンズ一本。靴下と下着が五枚ずつ。そして、黒地に白いラインが入ったスニーカー。
「このようにたくさん。しかも新品を……かたじけない」
「いいのよ。量販店で売ってる安物ばっかりだし、気にしないで」
 長英が興味深そうにジーンズを身体にあてて眺めている。
「サイズがはっきりわからなかったから、ちょっと大きいかもしれない。このベルトを使ってね。あとスニーカーが心配なの。ちょっと履いてみて」
「見た目より、ずっと軽いのう」
 つぶやきながらスニーカーに足を入れ、紐を結んだ長英のつま先を、サラは軽く押してチェックした。
「きつくはなさそうね。ぶかぶかってこともないみたい」
 長英が足元を確かめるように、ゆっくりと歩き、相好を崩す。
「小さ過ぎず、大き過ぎず。ちょうどよい按配。足にぴったりとなじんでおって、その上軽い。なかなかに歩きやすい靴じゃ」
「リュウとも相談したんだけれど、チョーエーには、この家に当分いてもらおうってことになったの」
 さりげなく切り出したサラに、長英が目を大きく見開いた。
「そはまことか」
 うなずきながら、サラはにっこりと笑った。
「ええ。出会ったのも何かの縁でしょうし。エド人のあなたを、未知の世界へほっぽり出すのは、あまりにもひどいと思って」
 長英が笑顔になった。子どもっぽい顔つきになる。
安堵の表情が同時に浮かんでいることに気付き、サラは胸が熱くなった。
『家におくことにして、本当によかった。チョーエーも、きっと心細かったのよ。口には出さなかったけれど。さすがはリュウね。それでこそ私の男』
「厄介をかけるが、よろしく頼む」
 深々と頭を下げる長英の素直な態度に、サラは狼狽した。
「頭を上げて、チョーエー。全然大したことじゃないから。私は昼間いないし。リュウは病院で寝泊りすることが多いから。チョーエーにいてもらうほうが、泥棒よけになって都合がいいの」
「剣は多少遣えるゆえ。まあおぬしは襲われたら撃退できるじゃろうが。調子に乗りすぎて、暴漢を殺めてしまわぬようにな」
 唇の端をゆがめて皮肉っぽい笑みを浮かべた長英に、サラはほっと胸をなでおろす。
『そうそう。チョーエーは、やっぱりこうでなくっちゃね。しおらしいだなんて、調子狂っちゃう』

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小説家。2012年第24回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞。お茶大SF研OG、池波狂、時代劇オタク。神戸市出身、徳島県在住。著作に「忍びのかすていら」「学園ゴーストバスターズ」「心花堂手習ごよみ」「黒猫の夜におやすみ」など。どうぞよろしくお願いいたします。