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とある外科医の非?日常生活(連載第2回)
連載小説第2弾は医療物のSFですが、三國らしく時代物の要素もありです。
舞台はアメリカのシカゴ。主人公は公立病院に勤める外科のレジデントで、女の子とみまごう超絶美形の日本人ハーフ。心優しき時代劇オタクです。お楽しみいただけましたら幸いに存じます。〈全文無料公開〉
*ずっと以前に書いた作品ですので、科学関係の情報等が少し古びておりますがご了承くださいませ。
第二章 夢物語
1
「ゆき……」
夢うつつに、長英は妻の名を呼んだが、応えはなかった。目を閉じていても、瞼の裏がほの明るい。夜が明けているのだ。
『朝餉の支度をいたしておるのか』
まどろみの中に再び落ちようと、蒲団を顎まで引っ張り上げた瞬間、その手触りの違和感が頭の中で警鐘を鳴らした。長英はかっと目を見開く。反射的に枕元に置いてある刀に手が伸びた。
「無い! しまった!」
急いで跳ね起き体勢を整える。心ノ臓が跳ね上がり、うなじの辺りがちりちりする。何か武器になるものはないか。焦って部屋を見回した長英は、そのまま動きを止め、すとんと腰を落とした。口を開け大きく息を吐く。
障子や襖の代わりに、白い壁と藍色のカーテンがかかった窓が見えた。部屋の隅にはクローゼットが置かれている。
毛布を握りしめ顔を埋める。毛足の長い柔らかな手触りに安堵し、身体が溶けてしまいそうな心持ちになる。
長英は深い深いため息をついた。ここは百六十年後の未来。おまけにアメリカのシカゴときた。
もう一生、追われることはないのだ。やつらはとうに死に絶えている。
ぶるっと身体が震えた。両手で己の身体を抱く。
長英は、灰色の厚地のシャツとズボンを身につけていた。リュウイチに借りたのだ。スウェットと言うらしい。伸縮性のある不思議な生地である。
壁にかけられている時計は、七時半を指していた。立って行ってカーテンを開ける。
『高い……』
思わずたじろいだ。アパートの三階なのだから当然と言えば当然だが、慣れていないせいか、尻の辺りがさわさわする。
朝の街は昨夜と様子が一変していた。アパートの前の道路は、色とりどりの服を身にまとった人々が行き交い、時折車が通った。
昨日リュウイチと乗った電車にも驚かされたが、自動車という乗り物も興味深い。蒸気で走る船が最新であった時代は、もう遥か昔になってしまっている。
『遠くへ来てしまったものよのう』
江戸時代に戻る術は、おそらく世界中の誰にもわからぬと、リュウイチもサラも気の毒そうに申しておった。だが戻る気はさらさらない。やっと自由を手に入れたのだから。それも、あんなに見てみたいと思っていた異国の地を踏んでいるのである。
「俺は生きている」
つぶやくと実感が湧いた。
『さて、拾うた命をこれからどう使おうか……』
突然、きゅるきゅると腹の虫が鳴った。
『使い道の算段はあとにいたそう』
にやりと笑いながら長英はドアを開け、廊下に出た。
2
「おはよう。よく眠れた?」
「ああ、おかげさまでな。おはよう」
長英は、紺色のスウェット姿のサラを見つめた。色気に乏しい女子{おなご}じゃ。
だが賢明にも、それを口に出すことはしない。下心があるというわけではないが。
「リュウは?」
「もうとっくに病院に出かけたわ。シフトが七時からなんですって」
「よう働く男よのう」
「安月給でこき使われてるって、しょっちゅうぶーたれてるけど、結局仕事が生きがいなのよね。朝ご飯食べる?」
「いただこう」
恋人を得体の知れぬ男とふたりきりにしておいても平気とは。よほど俺は信用されているということか。それともまさか手は出せまいと、見くびられているものか。
「私、カラテ三段なのよ」
鍋を火にかけながら、サラが意味ありげに唇の端を持ち上げてにまっと笑った。ガスというものだそうだが、一瞬で点火することができ、火力を簡単に調節できるのは見事だった。
「カラテ?」
「こういうの」
いきなりサラが、長英の鼻先に勢いよく拳を突き出した。ひゅっと空を切る音がする。
咄嗟に右腕を上げて顔を庇い、飛び退る。
「何をいたす! 危ないではないか」
思い切り肝が冷えた。どっと汗が噴出す。サラが顔色一つ変えず、平然と言い放った。
「大丈夫。寸止めだから」
一瞬怒りが沸騰しかけたが、相手は女子。長英は無理に笑顔を作った。
「カラテと申すは唐手{トゥーディー}じゃな。百六十年の間に、琉球からアメリカにまで伝わったか」
「でも、さすがはサムライね。身のこなしが全然違うわ。リュウなんて今みたいなときでも、ただぼうっと突っ立ってるだけよ。もっともあの子は、めちゃくちゃ運動オンチなんだけど」
己の身は己で守れるというわけか。これで得心がいった。しかし、唐手ができることを誇示したのは、ひょっとして俺がさもしい顔をしていたのか?
「変な気は、起こさないほうが身のためよ」
長英の心を読んだかのように、にやりと笑うサラに、思わず背筋がぞっとした。
『百六十年もたつと、女子はこれほど強うなるものなのか。つつましさは、いったいどこへ行ってしもうたのだ』
「さあ、ミソ・スープが温まったわ」
テーブルに、豆腐とネギの味噌汁、白飯、卵焼き、ベーコンとキャベツとにんじんとピーマンの炒め物が並んだ。海苔と梅干も添えられている。
まず長英は一口味噌汁を味わった。
「うまい。サラはなかなか料理上手じゃ。日本食まで作れるとはの」
決してお世辞を申してご機嫌をとったわけではないぞ。長英は己に言い訳をする。
「残念でした。作ったのはリュウよ。私は家事はあんまり得意じゃないの……さて、そろそろ出かけなきゃ。食べ終わったら、ちゃんと食器を洗って後片付けをすること」
〝天下の高野長英に、皿洗いをせよと申すか〟という言葉は、この際飲み込んでおく。まあ、居候の身ゆえ、それくらいは仕方がなかろう。それより長英には、サラにたずねたいことがあった。
「日本の歴史が記されている書物を、読みたいと思うて」
「持ってないわ。私もリュウも。ごめんなさい」
「いいや、よいのだ。そうか……少々調べたいことがあったのだが」
残念だという思いが、顔に出たのやもしれぬ。いささかあわてた様子で、サラが付け加えた。
「それなら、パソコンを使えば? リュウの〝オタクパソコン〟なら日本語仕様だし。こっちへ来て」
サラに誘われた八畳ほどの部屋は、中央が藍色のカーテンで間仕切りされていた。
「まあ書斎ってとこね。こっちがリュウのテリトリー」
床から天井まで壁一杯に棚がしつらえられていて、本はもちろん、長英には何なのか判別し難い雑多な物が、ぎっしりと詰まっている。
「これがパソコン。この電源スイッチを押すと、起動するの」
机の上のテレビのようなものが明るく明滅すると、文字と絵が浮き上がり、音楽が鳴った。
「Googleで検索すればいいわ。ここに調べたいことを入力するのよ。たとえば、たかみざわりゅういち――高見沢龍一って入れて、Enterを押すと。ほらね、いっぱい出てくるでしょう――リュウの場合は、彼とは関係のないものばっかりだと思うけど。有名人じゃないから――見たいものをクリックすれば、そのサイトが開くってわけ。下のほうを読むときは、こうやってスクロールすればいいから。はい、ちょっとやってみて」
長英はゆっくりと己の名前を入力し、Enterを押した。ずらずらと項目が並ぶ。
「ざっと四十五万件近くも、検索結果があるじゃない。さすがはチョーエーね……いけない! もうこんな時間だわ。ええと、使い終わったら、こうやって。これをクリックして終了させてね。いきなり電源スイッチを切っちゃだめよ。絶対に」
3
朝食を終えた長英はパソコンの前に座り、腕組みをしたままGoogleの画面を見つめた。ずっと望んでいたことが今かなおうとしているのに、いざとなるとすくんでしまっている。理由はわかっていた。知るのが恐いのだ。
何も急がずともよいのではないか。一昨日こちらに来たばかりなのだし。
事実は変わりも逃げもしない。調べ方はすでに習得したのだから、今でなくてもまた後で。
「そうだ。そういたそう」
独り言をつぶやきつつ、しかし長英の指は、文字を打ち込んだ。〝高野長英の妻子〟
『先送りにしても、詮無きこと』
思い切ってEnterを押す。
検索結果は玉石混合で、欲しい情報はなかなか得られなかった。時間だけが、空しく過ぎていく。
無意識に顎をなで、我知らず顔をしかめた。知らぬうちに、汗で掌がぬるぬるしていたのだ。
いらついていた長英は、目をモニタに向けたまま、乱暴に掌を太腿にこすりつけた。その手が、ふと止まる。
「あった!」
思わず叫んだ長英は、サイトを開いてむさぼり読んだ。二度、三度……。
気が付くと、膝を抱えて床にへたり込んでいた。
「すまぬ……」
長英は両手で顔を覆った。まるで熱く焼けた大きな石が詰まっているかのように、胸が苦しく、痛い。大きくあえぐと、ひとりでに獣じみた唸り声が漏れ出た。 拳が痛むのもかまわず、何度も思い切り床を叩く。ぽとぽとと涙が落ち、染みを作った。
「すまぬ。許してくれ」
土下座をしたまま突っ伏し、思い切り声を上げながら、長英は号泣した。
長英が捕縛された翌日、妻のゆきと娘もと(十二歳)、息子融{とおる}(四歳)、理三郎(当歳)は投獄された。吟味の後、ゆきは押込(昼夜共に外出を禁ずる)の刑に処され、子どもたちは家財一切と共に、ゆきの弟に引き渡されたのだ。
ゆきはその後放免されたものの、消息は不明。息子たちは、叔父によって他家に預けられたが、こちらも消息不明。娘のもとは叔父に吉原の遊郭へ売られ、安政大地震の折の火事で焼死した。十七歳だったという。
遊女たちが逃亡するのをおそれ、避難させなかったのであろう。もとが火と煙にまかれ、悶え苦しむ様が目に浮かんだ。
御用場{おためしば}に付け火をさせ、切放しに乗じて脱獄した己の罪の報いを、もとが受けたのやもしれぬ。長英は唇をかみしめた。
真偽は定かではないと記されていたが、長英はゆきの弟をよく知っている。御家人崩れの放蕩者。姪を売り飛ばすなど、何とも思わぬ男であった。
なぜ、よりによって、あんなやつに子どもたちを託したのだ。衝撃と悲しみは、怒りに取って代わった。
憤怒の白い光で満たされた頭の隅で、しかし長英は冷静に己を見つめていた。妻子に悲惨な末路を歩ませた張本人は、他ならぬ自分自身ではないか。
『何が国の行く末じゃ。己の家族すら、幸せにできなんだくせに』
思いつく限りの罵詈讒謗で、己をののしる。だが、すぐに空しくなってやめた。そんなことをしても、罪は消えない。また今となっては、償う術も、永久{とわ}に失われてしまったのだ。
調べなければならないことが、まだ残っている。長英は顔を袖で拭うと、パソコンの前に戻った。
長英の江戸潜伏に関わったとして、浜松藩士松下寿酔(獄死)とその息子健作、御賄方新組新吉の祖母ひで、御小人宮野信四郎が遠島に処せられたのを筆頭に、四人が押込や罰金刑に処されていた。パソコンの画面に向かって合掌し、頭を垂れる。
「まことに申し訳ござらぬ」
鉄砲師の松下寿酔は、田原藩の蘭医で兵学者だった鈴木春山の知己である。長英とはもともと何のかかわりもない。それなのに春山の頼みを聞き入れ、世話をしてくれたのだ。
六十近い身には、牢の劣悪過酷な生活と厳しい吟味が、さぞかしこたえたであろうことは、想像に難くない。それゆえの獄死。寿酔の温厚な顔を思い浮かべ、長英は胸がつぶれそうな思いがした。
遠島に処された人々は、生きて再び江戸の地を踏むことができたのであろうか。いくら検索しても、とうとう答えは得られなかった。
ただひとつ、長英に最も尽力した門弟、留守居役支配明屋敷番伊賀者・内田弥太郎(宮野信四郎の叔父)が罪を免れたのが、せめてもの救いだった。幕臣である弥太郎が関わっていたのが知れれば、遠島より重罪に処せられたであろうことは、火を見るより明らかである。ゆきや松下親子、信四郎らが命懸けで庇ったに相違なかった。
こうなることを充分承知していながら、俺は皆の好意に甘えた。否、すがってしまった。つけこんだと謗られても、申し開きはできぬ。己のあまりの業の深さに臍を噛む。
命懸けで守ってもらうほどの値打ちは、俺にはなかったというのに……。肺腑が空になるかと思うほどの、大きく深いため息がひとりでに出た。
『この責めは、一生背負うてゆかねばならぬ』
続いて長英は母の消息を捜した。しかし先の二件より、さらに困難を伴う。
脱獄から七カ月後の弘化二年(一八四五年)二月、故郷で人目を忍んで会うたのが、結局最後になった。長英が死んだとの知らせは、当然水沢の母の元へも届いたであろう。七十一になっていた老母が、悲しみのあまり亡くなったとしても、それは無理からぬことであった。
もはやこれまでとあきらめかけたとき、目がある一文に釘付けになった。〝高野長英の母美也(一七八〇~一八六一)〟
「母上……」
長英は再び慟哭した。母は八十二歳の長寿を全うして亡くなったのだ。長英の『死後』、十一年も生存していたことになる。
息子が死罪となり、母の胸中はいかばかりであったろうかと考えると、身を切られるようにつらい。しかし、己の身勝手をあさましいと思いながらも、母が長生きをしてくれたことが本当に嬉しかった。
雪の中で抱き締めた小さな身体の感触が、唐突によみがえる。厳しくも優しかった母。いつも長英のことを気にかけてくれていた。それなのに俺は……。
『母上、申し訳ございませぬ』
謝ることしかできぬ己が、情けない。長英は、きりきりと唇を噛みしめた。
これで知りたいと思っていた人々の消息は、すべて確認し終えたことになる。火のような後悔と自責の念と、ほんの少々の安堵感に包まれて、長英は天井を見上げ、また大きく息をついた。
突然、ある疑問が頭をもたげた。未来に来ている己が、捕縛されて死罪になったことにされているのは、幕府の体質からして、さもありなんと納得がいった。だが、合点がゆかぬのは、長英の最期に二通りの説があることだ。
〝三人の捕方に刀で斬り付けたが、逃げることがかなわず、喉を突いて自害した〟というものと、〝捕方に撲殺された〟というもの。
さらに、公の報告書では前者のように記されているが、実は後者が正しいのだという記述が多いのである。もちろん、自害しようとした途端、タイムスリップしてしまったというのが真実なのだが。
目の前で獲物が突然跡形もなく消え失せ、捕方どもはさぞ驚愕したであろう。茫然自失からはっと我に返ったとき、まず頭に浮かんだのは、どう取り繕うかということだったに違いない。
長英が消えたと申し立てても、絶対に信じてもらえぬ。重罪人を取り逃がした廉で、罰せられるのがおちであった。
ゆきも子どもたちも家の中にいたし、風雨の強い夜であったため、外には、長英と捕方たち以外は誰もいなかったはずだ。でっちあげにはまことに好都合な状況である。
現場にいた者全員に緘口令を敷き、誰かが長英になりすまして縄をかけられ、瀕死の体を装い、町駕籠で奉行所まで運ばれたと考えれば辻褄が合う。
もちろん、死体を調達する必要があった。おそらく牢内で病死した者の、顔をはじめとして全身を打ち砕いたのであろう。
〝勢い余って撲殺してしまったが、罪を免れるために、与力たちが申し合わせて自害と報告した〟というふうに、ごまかしたというわけだ。
何ともややこしい経緯だが、替え玉死体の顔をつぶす必要があったための、苦肉の策と推察された。
タイムスリップを目撃した三十人ほどの者たちは、全員が罪に問われるのを怖れて口をつぐんだ。よって、真実は歴史に埋もれてしまったのだ。
4
急に長英は喉の渇きを覚えた。キッチンに行って、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
上を向いて大きく口を開け、一気にビールを流し込んだ。苦味と喉越しのよさが珍しく、なかなかにうまい。
だが、いかんせんアルコール度が低く、物足りない感があるのは否めなかった。実は長英、大酒飲みなのだ。一日三升飲み上げることもある。
日本酒は、昨夜リュウイチが料理に使っていたから、捜せば流しの下あたりにあるだろう。しかし、あれではおそらく量的に足りぬ。
『洋酒でもよい』
長英は考えをめぐらせる。ウイスキーにブランデー、そしてワイン。長崎や江戸で味わったものはどれも皆、なかなかに美味であった。ウォッカは、さすがに火を吹きそうな心持ちになったが。
サラが帰ってきたら、とにかく何か酒を買ってきてもらうとしよう。嫌とは申すまい。あやつも女だてらに、なかなかいける口じゃからのう。
長英はもう一本ビールを取り出すと、リュウイチの書斎に戻った。今度は、あの後日本がどうなったのかを調べるつもりなのだ。
驚いたことに、〝お由羅騒動〟と呼ばれる内紛がきっかけになり、島津斉彬が藩主の座についていた。長英の〝死〟から、わずか三ヶ月後のことである。
脱獄して逃げ回っていた長英を、当時一番ほしがっていたのが、斉彬であったのだ。だが父の斉興が斉彬が継ぐのをよしとせず、家督を巡るごたごたで、それはとうとう実現しなかった。
長英が宇和島に招かれ潜伏し、兵書の翻訳に携わったのも、藩主・伊達宗城と斉彬の縁によるものである。
斉彬なら、そして南の果ての大国・薩摩ならば、長英を庇護しおおせたはずである。薩摩で海防のために働き、また、違った人生を送れたに違いない。
「やはり、俺は運が悪い」
自嘲気味につぶやいた。長英は、常に不運に付きまとわれている。
永牢を申し渡され、四年半にわたる牢獄生活の末の脱獄。何とそのふた月後、長英を目の敵にしていた南町奉行・鳥居耀蔵が失脚した。中でもこれが最大であろう。
投獄されてからずっと、友人や長英ゆかりの者たちが、いろいろな手づるを使って、赦免運動に奔走し続けてくれていた。罪に問われた著書『夢物語』も、時勢が追いついたため、評価され、賛同を得るまでになったのである。
時代に先んじていただけで、不当に永牢を申し渡された長英に同情が集まり、情状酌量を求める声も、少なくなかったのだ。
だが耀蔵はそれを一手に阻み、決して首を縦に振らぬ。それどころか、長英を死罪にしてやろうと、虎視眈々と機会を狙っていた。
その耀蔵が、職を追われた。潜伏先でそれを知らされたときの、天が崩れ落ちてきたような驚愕と、我が身をを八つ裂きにしても到底おさまらぬほどの後悔とを、長英は苦い気持ちで反芻する。
もう少し我慢していれば、必ず赦免がかない、こそこそと逃げ隠れをする生活を送ることもなかったのに。
長英より八歳年上の耀蔵は、翌年讃岐丸亀藩にお預けとなったが、何と七十八まで生きたらしい。憎んでも憎みきれぬ耀蔵が、天寿を全うしたことが悔しくて、長英はきりきりと歯軋りをした。
『この世にこれほど不公平なことがあろうか』
しかし……耀蔵の余生は決して幸せなものではなかったはずだと言い聞かせ、己の心をなだめる。それに、ほれこの通り。結果的には、俺の方がずっと長生きをしておるではないか。気を取り直して、続きを読む。
長英の〝死後〟三年たった嘉永六年(一八五三年)には、アメリカのペリー提督が四隻の黒船を率いて浦賀に来航し、開国を迫った。翌年、日米和親条約が締結され、下田と函館を開港。とうとう鎖国体制が崩壊することとなる。
さらにアメリカ、フランス、イギリス、ロシア、オランダと修好通商条約(安政五カ国条約)を結んだため、尊王攘夷運動が激しさを増した。これ(と将軍継嗣問題における反対勢力である一橋派)を大老・井伊直弼が弾圧(安政の大獄)。その後井伊は、桜田門外の変で暗殺されてしまう。
尊皇攘夷運動の中心にあった薩摩と長州は諸外国と日本の力の差を知り、攘夷を捨てて、今度は開国・倒幕に傾いた。両者は手を結び(薩長同盟)、倒幕に力をつくす。
一方、新しい大名連合政権の頂点に立とうと目論んだ幕府は天皇に恭順の意を示し、大政奉還を行った。これで倒幕の名分は失われてしまったが、薩長は起死回生の策として、王政復古の大号令を出し、天皇を頂いた新政権を樹立する。
そして新政府と旧幕府は、ついに戊辰戦争で激突。幕府は敗北し、ここに明治維新が成ったのである。
長英は思わず天井を仰いで嘆息した。開国がきっかけで攘夷運動が盛んになり、それが尊王思想と結びついたというのは、充分想像の範囲内だ。
関が原の合戦後、領土安堵の約束を反故にした家康憎しの長州と、雄藩の力を削ぐことを目的とした幕府の長年の政策にむかっ腹を立てていたであろう薩摩が、手を携えて倒幕に動いたのも理解できる。また、幕府勢力を完全に閉め出すために、天皇制をとったのも当然だろう。
ただ、それがあまりにも短い間に成されたのは予想外だった。自分が〝死んで〟からたった十八年で、幕府は倒され、体制が引っくり返ってしまったのだ。
長英がそのまま歳を重ねていれば六十五。身体をいとうていれば、明治維新をこの目で見ることは、充分かなったはずである。
幕府が短期間で瓦解したのはなぜか。原因はふたつあると長英は思った。
まずひとつは、ペリーが来航した際、時の老中阿部正弘が、諸大名から幕臣・庶民に至るまで、広く海防に関する意見を求めたこと。阿部が難局を乗り切ろうと、必死であったのは想像に難くない。だが、これが結果的に幕府の威信を失墜させ、反対に諸大名を力づけることになったのではないだろうか。
ふたつ目は、やはり安政の大獄であろう。攘夷論者だけではなく、一橋派に対する報復を行ったのが非常にまずかった。倫理にもとるというのはもちろん、有為な人材を失ってしまったことが、幕府崩壊の遠因となったに相違ない。
しかし俺が薩摩にいたら、いよいよおもしろいことになったであろうな。長英は顎をなで、にやりと笑った。
思い出して缶ビールのプルトップを開ける。ひと口飲んだがすでにかなりぬるくなっていて、思わず顔をしかめた。冷たさがビールのうまさの大半を占めていることに、今さらながら気付かされる。
だが、少々味は落ちても、酒は酒。捨てるなどという、酒飲みの風上にも置けぬことをするつもりは毛頭ない。
缶を片手にさらに検索を続けていた長英は、あやうく口中のビールを噴き出しそうになった。
明治三十一年(一八九八年)、長英に正四位が追贈されているのだ。幕末の尊皇攘夷や明治維新で亡くなった功労者で、特に偉勲著しい者を叙したということらしい。
「何を今さら」
ふんと長英は鼻を鳴らした。人を永牢にし、さんざん追い回したあげく、捕らえて斬首したくせに。
四十八年もたってから〝あれは間違いだった。正四位にしてやるから許せ〟と言われても、とても承知できぬ。人を馬鹿にするにも程がある。
急に日本酒が飲みたくなった。再びキッチンに足を運び、流しの下の扉を開けて頭を突っ込む。
「我ながら、まことあさましい格好じゃのう。人にはとても見せられぬわ……おお、これこれ」
白い縦長の箱を取り出した。軽く振ってみる。半分程残っているようだ。ということは、五合というところか。
水色をした陶製のマグカップになみなみと注ぎ、一気に飲み干した。ふうっと息がもれ出る。
『いろいろ腹に据えかねることはあるが、とにかく俺は生きている。それもやつらが逆立ちしてもかなわぬ、ずっと未来で』
こうなったら思い存分羽を伸ばし、残りの人生を面白おかしく生きてやるのだ。ほんの少しだけ、溜飲が下がった気がした。
「うまいのう。酒に限るわ。ビールとはまるで比べ物にならぬ。やはりサラには日本酒を買うてきてもらわねば」
ひとりごちながら、パック酒とマグカップを後生大事に抱えて部屋に戻り、再びパソコンの前に座る。
5
正四位を賜り、名誉回復が成ったのを機に、長英終焉の地に近い青山の善光寺(信州善光寺分院)に、勝海舟の撰文による顕彰碑が作られたらしい。
『勝海舟――麟太郎と名乗っておったが』
ついふた月ほど前、長英は勝を訪れていたのだ。並々ならぬ光をたたえていた勝の目を、思い浮かべた。
赤坂田町の粗末な家は、外にも内にもつっかえ棒がされていた。確か小普請組で、四十俵扶持と申しておったはず。
五十八巻ある蘭日辞書『ドゥーフ・ハルマ』を一年かけて二部筆写――一部は自分用に手元に置き、もう一部は売り払って金を稼いだ――した勝が、兵書の翻訳を企てていると知り合いに聞き、興味を抱いたのが訪問のきっかけであった。
「日本は国を開くべきです。清や朝鮮、ロシアと貿易をし、その利を国防に充てればよい。兵制も西洋式にし、無役の旗本も登用して訓練する。また、砲や銃などの武器及び火薬の製造工場も、建設せねばなりませぬ」
熱っぽく語る己より二十も若い勝を、長英は非常に頼もしく思った。その勝が、江戸を無血開城に導き、百五十万人もの江戸の民を戦火から守ったというのである。
「やはり、ただ者ではなかったというわけじゃ」
愉快に思うと同時に、感動がこみ上げてきた。あのやせこけた貧乏旗本の勝が、大事を成し遂げたということに。
自分が精魂を傾けて翻訳した兵書も、どこかで誰かを感化し、国を変える力の元となったやもしれぬ。
そして、長英から蘭学を学んだたくさんの者たち。長英の教えは、彼らの心にきっと根をおろしていただろう。さらにそこからまた別の若者たちに、脈々と受け継がれていったに違いない。
俺が命懸けでやってきたことは、おそらく無駄ではなかったのだ。胸が熱くなった。ぐびりと酒を飲む。胃ノ腑にしみわたった。
しかし、勝とはついこの間酒を酌み交わしたばかりだ。そして子どもたちに頬ずりをし、妻を抱き締めたのは、ほんの二日前のことである。
それなのに、実際は百六十年もたってしまっているとは、いまだに信じられぬ。非常に不可思議な感覚だった。今さらながら、長英は己が時を飛び越えたという事実をかみしめた。
気を取り直して、パソコンに戻る。百六十年分の歴史を、調べておきたかったのだ。
富国強兵・殖産興業・文明開化・憲法制定――近代化のめまぐるしさに、長英は思わず眉をひそめた。清やロシアと戦ってもいる。勝利をおさめたのは幸いだったが、ひとつ間違えば、植民地になってしまったかもしれない。
列強の仲間入りをしようと、日本が背伸びをし、危ない橋を渡っているように思われた。無茶をしたつけは、必ず回ってくるものだ。心ノ臓を冷たい手でぎゅっとつかまれたような、嫌な心持ちがした。
また、薩摩と長州を中心にした藩閥政治にも大いに幻滅した。倒幕と明治維新は、結局自分たちが国を動かしたかっただけだったのだと謗られても、弁明はできまい。
志半ばで倒れていった者たちが思い描いていた未来とはまったく違う道を、日本は確実に歩んでいる。彼らにどう顔向けするつもりなのか。
大正デモクラシー、政党政治、普通選挙法、治安維持法、米騒動に関東大震災……。第一次世界大戦では、日英同盟を理由に参戦。戦勝国になっている。
連合五大国のひとつとなった日本は有頂天だが、諸外国との国力の差は歴然としている。所詮子どもと大人だという感は否めない。
人材をきちんと育成し、政治や経済を安定させて、まず国の内から力をつけねばならぬのに。外政よりも内政を重んじるべき時であった。ここでも日本は、大事な選択を間違っている。
経済恐慌、軍部の台頭、国際社会での孤立。戦争への道をひた走った日本は、とうとう太平洋戦争に敗北、降伏する。
『やはり、思った通りであった……』
長英は拳を握り締めた。一番衝撃を受けたのは、広島と長崎への原子爆弾投下である。広島では十数万人、長崎では七万四千人の人々が犠牲になったという。
一瞬のうちに何もかも焼き尽くした原子爆弾のすさまじい威力に、背筋が凍りつく。科学は、人々に幸をもたらす希望の学問であったはずではなかったのか……。
広島も長崎も、長英にはゆかりの地である。長崎にあったシーボルトの鳴滝塾で勉学に励み、認められたことが、〝蘭学者高野長英〟の出発点になった。
そして広島では蘭学の講義をし、連日熱心な人々が集った。また、宇和島を辞去した後、一時潜伏してもいたのだ。
さらに東京をはじめとし、各地で数えきれぬほどの空襲があり、国中が焦土と化していた。その上、琉球では非戦闘員も巻き込んで、激しい地上戦が行われている。
外地での戦死者も含めて、いったいどれほどの尊い命が失われたことだろう。なるほど戦後日本は、驚異的な復興をみせ、世界有数の経済大国にのし上がった。だがそれらは皆、無辜の人々の犠牲の上に成り立っていると言っても、過言ではないはずだ。
無謀で性急に過ぎた近代化の〝つけ〟は、あきれたことに、命で払ったというわけだ。あまりにも高過ぎる代償だが。
また、日本でこそあれから戦は起こっていないが、世界中のあちらこちらで、途切れることなくずっと戦争は続いている。名も無い人々の嘆きは、いまだ一向に絶えることがないのが現状であった。
『人類はこの百六十年の間に、いったい何をしてきたのだ』
やり場のない怒りに、身を震わせる。長英にとって学問は、輝かしい未来への扉を開く、万能の鍵であった。しかし使い方を誤れば、それが凶器になるのだという事実が、ほとんど完全に長英を打ちのめしていた。
たまらず酒をあおる。酒に逃げるしかない己が、情けなかった。絶対的な知識が不足しているせいで、考えをまとめることすらできぬ。
つい二日前まで、長英は日本で最も進んだ知識をもち、語学に長けた蘭学者であった。しかしこの世界では、何も知らぬ赤子同然の存在に成り下がってしまったのだ。
なるほど命は助かったが、これで果たして生きていると言えるのだろうか。四方を分厚い壁で囲まれているような心持ちがし、火のような焦りに苛まれる。
せめて穴でも穿ちたいが、その術も見当がつかぬ。長英は暗澹たる気持ちで、パソコンの画面をじっと見つめた。
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