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喪失を受け入れること

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かつて、大きな鯉が悠々と泳ぐ池を見守っていた灯篭は、池が埋められてから幾年もの歳月が経つ中で、雨風に打たれ、蔦が這い、かつての機能を失ったまま佇む。

人は誰しも、いつか命の終わりを迎える。

その道程でいくつもの喪失を経験する。

それは身近な人が亡くなることだったり、親しみのある環境を離れることや自身の体が衰えることだったり。

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先週、実家にいる祖父が緊急入院しまして。脚立から落ちて頭部を強打、頭の中で出血を起こし、背骨も数本折れて大変なことになってしまいましたが、意識もはっきりしていて命に別状はありません。

祖父がいる病院へ荷物を届けにいったときに、看護師さんから様子を聞いたら、既に自分で食事を取り、リハビリも始まっているとのことでした。

まだ経過観察が必要ですが、これだけのケガを負いながらも致命的にならなかったことが奇跡のようです。

それにしてもなんという強靭な体・・・祖父はもう90半ばです。

数年前にも入院したことがあって、そのときは重度の貧血で倒れたのですが、それでも1週間しないうちに回復して帰ってきました。お医者さんもびっくりでした。
毎日飲んでいる牛乳のおかげでしょうか・・?🐄



しばらくは入院生活が続きますが、大変なのは家に戻ってきてから。

実家は農家ではありませんが畑を持っていて、祖父は毎日畑仕事をしていました。リハビリでどこまで機能が回復するかにもよりますが、少なくとも医師はこれまで同様に作業するのは難しいと見立てています。

今までできていたことができなくなる。
元の生活にはもう戻れない。
その現実をどう受けとめるのだろう・・・。


今回の件を受けて、頭の中に色んな思いが巡っていました。

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今までできていたことができなくなる。
もし自分がそういう立場になったら。

病気やケガで手が動かなくなり、もう大好きなピアノを弾くことができなくなったとしたら・・・そんな現実を直視したくないだろうし、深い喪失感で立ち直れないかもしれない。

楽器を演奏することはこどもの頃からずっと、言葉の代わりに自分の気持ちを表現する方法であり、身近なものであったからこそ尚更です。

祖父にとっての畑仕事が毎日の生きがいになっていたとしたら、それを奪われるということは、心に大きな穴をもたらすことなのではないか。

わたしの想像に過ぎないですが、あれこれ色んなことを考えてしまいます。

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その一方で、憤りも感じていました。

祖父は以前、運転免許の返納を長い間渋っていたことがあります。高齢ドライバーによる交通事故が世間で騒がれる中、祖父もいい歳だったのでもう返納して欲しいと周りが訴えても「俺はまだできるんだ!」とばかりに、なかなか認めませんでした。そのことで母と何度も大喧嘩になっています。

車の運転ができなくなると、不便な地に住んでいるので生活に支障がでましたし、若いころは車を運転する仕事をしていたので、プライドもあったのだと思います。

実際の心の中には、色んな思いがあったのではないかなと今では思いを馳せられますが、当時は傍から見れば、周囲の意見を頑なに聞き入れず、自分を過信しているように見えました。


そして今回の事故。

植木の剪定をしていたときの出来事だったのですが、高所での危険な作業なので業者に頼むべきだと周りが言っていたのにも関わらず、自ら着手しました。

祖父の入院後、祖母は「じいちゃん早く帰ってきて」と幼子のようにずっとつぶやいていて、寂しそうでした。それに母だって、諸々の手続きだの対応だのに追われて大変だった。今回の件がなければ、そんな苦労も負わずに済んだ。

前述のような頑固さや己に対する過信が、今回の事故を招いたのではないかと思うと憤りを覚えてしまいました。

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ですが・・・
そんな頑固な祖父の生い立ちは苦労ばかりでした。

あまり詳しくは聞いたことがないのですが、早くに両親がなくなり、5~6人きょうだいの長男として学業がおろそかになりながらも、家族を守ってきたそうです。

長男だから、しっかりしなくては。

自分がなんとかしなくては、と必死で生きてきた・・

頑固さの根底にはそんな生い立ちや思いがあったのかもしれません。

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話があちこちに飛んでしまいましたが、今後、祖父やその周りの人の生活は今までとは違うものに変わります。

これまでにあったものを失ってしまったこと、それに対して祖父がどのような思いを抱いているのか想いを馳せつつ、小さなことでも自分にできることを考えていきたいと思います。

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