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大家という稼業(意外と想像力がいる)

 不動産投資にはいろいろな流派や派閥みたいなものがあり、ときどき喧嘩が始まるけれど身銭を切って勝負するのだから好き好きにしたらいいと思うし、ぼくは根っこが商人なので、むしろ自分と異なるスタンスや価値観の人がいた方が、流動性や収益機会が生まれると思っている。

 不動産は誰かが売りたいと思ったものを買うしかないし、誰かが欲しいと思ってくれないと売れないのだ。
 売主が不要だと思って手放したものを、自分だけはお宝だと思って可愛がったり。もう自分がいらないものを、また新たな買主が喜んで手にしてくれる。プレイヤーごとに視点や価値観の違いがあり、そこに隔たりがあればあるほど取引は面白くなるし、うまく橋渡しできればそれが大きな利益となる。

 たとえば中古アパートを探している時。みんな利回りや築年ばかり見てはいないだろうか。アパートというのは利回り相場で取引されるので…たとえば視点を変えてハウスメーカーが横着して、広い変形地に真四角に建てられたアパート、駐車場を余裕をもって作ってしまっているようなアパートを探してみる。どれだけ広い敷地でもアパートの値段は収益還元法で決まるので、相場の利回りに引っ張られて7%など「アパート」としてマーケットでは値段がついている。収益物件としては一見すると微妙かもしれない。
 でも、そういうアパートを買って5年、10年と保有しながら定借に入れ替えているうち、更地にすれば3棟の戸建を建てられることに気付いた建売業者がコッカラッス!!と「土地」としてアパートを買いにきてくれる。その時は利回りにしたら4%とか5%になるだろう。

 ひとつの不動産があったとき、それを単に目先の家賃だけの収益物件としてみるのか、遠い将来の土地としてみることができるのか、想像力が問われる。プレイヤーの立場や視点によって価値は異なる。うまく時間軸を航海してその間を貿易することが大きな収益をもたらす例だ。
 なお、ぼくは十年以上そんなアパートを探しているけど、一度もみつかったことがありません。ここまで真剣に読んだ人、おつかれさまでした。
 都内だとアパートの立退料なんて普通にコストとして織り込めるから、最初っから土地の値段になって取引されてるんですよね。そんなに簡単に儲かる話は不動産流しそうめんの下流に落ちてない。

 逆に他者への想像力が欠けていると損をすることはよくある。都内でうまい棒みたいな形のアパートを買って、地積×路線価が売価を上回っているから利回りこそ低いけれど、土地値以下で仕入れたから大成功だ!と自慢していた友達の大家は、いざ解体しても誰も買い手が現れないので駐車場にしたまま放置してしまっている。いくら数字上は土地値だと言っても、うまい棒みたいな土地に家を建てて、廊下みたいな部屋に暮らしたい人はなかなかいないのだ。買い手がいてこその土地値だという基本的なことを忘れていた勉強代だろう。

 生活保護の扶助上限である家賃5.3万円ならなんだって埋まるだろうとろくにみないで買ったボロアパート。周囲にも似たようなアパートが沢山あってコロナ禍で外国人入居者が減り始めると、生活保護の入居者を選り好みするどころか奪い合いになり、なんならもっといい部屋に5.3万円で住めると出て行ってしまいだした。結局、賃料は4万円台まで落ちてしまった。5.3万円ならなんだって埋まるというのは勝手な思い込みだった。誰もがもっといい部屋に住めるなら住みたいのだ。

 スケールの違いみたいなギャップもある。いつぞやスナックを新築しようとターミナル駅近くの裏路地で坪700万円の土地を契約したことがある。ずっと持ちたい立地だからと限界まで利回りを下げて頑張ったのに、横やりが入って手付倍返しで坪1,200万円の買い手にさらわれてしまった。
 建築士の先生に何度も相談してパンパンにボリュームを詰め込み、相当強気の賃料設定で収支を出したのに、軽々と1.7倍で買うなんてありえない。ばーかばーか!と思っていたら、大通りにつながるビルを含めて地上げが進行中で、いずれ一帯がまとまれば坪数千万円になるという話があったと後日聞いた。そんなスケールの視点で不動産を見たことなんてなかったし想像もしなかった。

 利回りや融資のことばかり考えている人。流動性や立地が気になってきた人。相続税や自社株の評価に悩む仕上がった人。マーケットには色々なスタンスや価値観をもったプレイヤーがいる。さまざまな売主や買主そして入居者。なるべくたくさんの他者への想像力をもって不動産に触れられるようになりたいと思う。想像力の及ぶところまでが利益の源泉になるのだから。



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