「今度は…」発言にビックリ?男にゃ理解されなくて仕方ないのかなと思った日
先日、娘のお宮参り&スタジオ撮影に行ってきました。
義父母にも、お宮参りに参加してもらいました。抱っこがしんどい時に代わりに抱っこしてもらえたり、他にもお祝いやらプレゼントやらで色々助かりました。
正月は集まれないからと、娘の晴れ姿を嬉しそうに眺めていた義父母。ああ、誘って本当に良かった!
↑セレモニードレスがこの頃には小さくなってしまったので、レンタルの着物にしました。
娘は祈祷中、口を一文字にギュッと我慢。涙をグッとこらえていました。周囲には、新生児くらいの大きさの赤ちゃんばかり。みんなワンワン泣いていたので、自分ももらい泣きしたかったのかもしれません。
なんとなくではありますが、この中で一番「お姉ちゃんなのだ」と悟ったのかも。必死に堪えている姿に逞しさすら感じ、感動したものです。
まぁ、これから先大人になっていくにつれ、人は少しずつ素直に泣けなくなる時も増えていきます。今くらいは、せめて泣きたい時に泣かせてあげたいところです。
お宮参りやスタジオ撮影も無事に終え、夫が何気なくボソッと「2人目できたらどうしょう?」と一言。衝撃のあまり「ファッ?」となりました。
いやいや、ここまでくるのにどれだけ大変だったと思ってるの?
その前に、薬使わないと私の卵子は成熟卵の大きさに育たなかったんだよ?あれだけ何度も説明したのに、なんで伝わってないんだろう?
「あのさ、これだけ大変な思いしてやっと出来たのだから、多分自然妊娠はもう無理だよ。あれだけ細かく検査しながら進めてきたのだから、私は自分の体を理解してるし」と、思わず言おうとしたが。
もうこの話は、これまで腐るほど何回もしてきたので、これ以上言ってもダメだと諦めました。
そんな私の心はつゆしらず、夫は「今度は、男の子がいいなぁ」と。
そういえば、子供の性別が女の子と判明した瞬間、夫はかなりショックを受けていたのを思い出しました。
「男だったら、一緒に酒飲みたかった」と言うので、逆に酒飲みにされるのは嫌だと反発した記憶があります。
私は私で、正直性別なんてどうでも良かったです。
どうか、元気で。健康で、五体満足で生まれてきて欲しい。そして私の母体も無事であること。それしか考えられなかったし、精一杯でした。
もちろん、夫は娘をいたく可愛がっているが、この言葉を聞かされた私は、少しショック。
一つ願いが叶うと、次の願いも簡単に叶うような気がするのかもしれないし、再び欲が芽生えるのは自然なことかもしれません。
ただ、連日のように検査や入院が続き、自分の体と現実を思い知らされる日々が続いてきた私からすれば、一体どうすればそういう発想になるのだろうと疑問しか抱けなくて。
流石にこれだけ検査と入院で自分の体と向き合う日々が続くと、無理はもうできないんだなぁと、色んな意味で諦めの境地でした。
だからこそ、今目の前にあるものを精一杯大事にしなければと思うようになった訳です。でもこれを夫に共有しようと思っても、結局こうなのですよ。
結局、当事者じゃなければ大変さはわからないんだなぁと、つくづく思います。どんなに隣で見ていても、話を聞いても、結局のところ体験しないと人は本当の意味で理解などできません。
そして、それは私自身もよく理解しています。もし自分も夫側なら、妻にそう言っていたかもしれないし。
だから、相手に自分の大変さを理解してもらおうと思うのはもう諦めようと。逆に夫は夫で、これまで色々助けてくれたので、その感謝を忘れないこと。
お互いにできることをして、できないことは補い合う。それでも自分を理解して欲しいなら、とことん話し合う。だけど、それでも無理な時もあるので、諦めも重要。
なんで理解してくれないの、と決して相手を責めない。なぜなら、自分も相手を完全に理解などできないのだから。お互い様なんですよ、結局……。
娘のためにも、夫婦が仲良くやっていく努力は大事。
母さんは頑張るよ。
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