見出し画像

キャベツ、そして市川準監督『トキワ荘の青春』

キャベツというのはつくづく損な役回りだと思う。あらゆる場面になくてはならないものとして登場するのに、単体では主役になれない。枝豆なら茹でて塩をふるだけで他の材料がなくても人気者になれるし、玉ねぎでも水にさらして鰹節、醤油をたらせばファンが生まれる。言うなれば、大抵の野菜はワンマンライヴができるのに、キャベツは常にスターの前座という立ち位置なのだ。

『トキワ荘の青春』とは市川準監督の1995年制作の映画。漫画家の巨匠・手塚治虫が暮らしたとして、漫画家の卵たちが集って生活し、著名な漫画家を多数輩出したとして大変有名な、「トキワ荘」という実在のアパートを舞台にした物語である。主役は本木雅弘演じる寺田ヒロオで、彼が入居してからの日々が描かれる。

「漫画家になりたい」という思いは同じでも、表舞台に立つ人々と、そうでない人々との違いがじょじょに出てくる。後者の人々の嫉妬やいらだちや孤独感は、極めて繊細に、影が忍び寄るように描かれる。とはいえ、初めは皆、売れっ子漫画家が「落とした(予定の原稿が間に合わなかった)」時の穴埋めをしたり、乏しい原稿料の書留の到着を待ち侘びる日々を過ごしていた。そんな中、入居の漫画家たちが寺田の部屋に集まって飲み会をするシーンがある。

「キャベツしかないけど…」照れながらそう言って、寺田は皆に、お酒のアテとしてキャベツの炒めものを振る舞う。それをつまみながら、皆笑顔で語り合う。皆同様に売れなくて、お金もなくて、それでも漫画への情熱だけは誰にも負けなかった、そんな仲間たちとのひとときであり、この映画の屈指のハイライトシーンと言っていいだろう。実際、彼らはお金がない時によくキャベツの炒め物を食べていたそうで、思い出に即したメニューではあるのだが、キャベツだけのメニューというのが、青春の象徴としか思えないのである。

「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」予告編

予告編にもそのシーンが登場するので是非。私は劇場で涙が溢れた。「本当に、夢のようだった」映画を思い出すたび、何だか自分まで夢を見ていたような気がする。

トンカツの付け合わせ、ロールキャベツ、回鍋肉。いずれの人気メニューも決してキャベツは主役ではないが、なくては困る。こうやっていつも脇役に甘んじながら、それでも人の暮らしを支えてきたキャベツが愛おしい。

「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」公式サイト

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?