「私」をあらわすのは職業や数字だけじゃない
noteのプロフィールって、どう書くか悩みませんか。
私はどう書けばいいか悩んで、自分のプロフィールを見るたび、なんだかしっくりこないなぁ・・・といつも考えてました。
自分は何者なのか?ということを、短い言葉であらわすって難しい。
どうしてしっくりこないのかを考えてみると、
・自分は何をしている人間なのか
・どんなことをここで書いていくのか
このあたりがそもそもハッキリしてないからだ。
いや、何をしているのかは「職業」でハッキリしているんだけど、そもそも自己紹介って職業を書くって決まってるわけじゃないよな、とも思う。
なぜ、職業や肩書きを書こうとしてしまうんだろうね。
そして、「小説家」とか「コラムニスト」とかって、ハッキリと言い切れる肩書きに憧れてしまうんだろう。
おそらく、最も短い言葉で自分を表現できるのが「職業」や「肩書き」だからなんだろうなぁ。
このことについて考えていると、ある曲の歌詞が思い浮かぶ。
「私のことをアーティストと呼ぼうが、アイドルと呼ぼうが、他のどんな言葉であっても、私は気にしない(構わない)。私は私だから。それが誇りだから。」
BTSが歌う、「IDOL」という曲の歌詞だ。
そうだよねぇ。と、しみじみ。
誰になんて呼ばれても、私は私。
私のやることは変わらないよって。
すごくカッコいい歌詞だ。
もうひとつ、気になってることがあって。
自分の実績を自分で書くのって、すごく照れ臭くないだろうか。
SNSのプロフィールはそういうもんだ!ってこともわかってる。
数字や実績を書いた方が、見た人にとってわかりやすく、一目瞭然だってこともわかってるんだけど…
自分がやるとなると、尋常じゃないくらい恥ずかしくて、むずがゆい。
◯◯フォロワー達成!
計◯◯人との契約実績!
累計発行部数◯◯部!
いやいや、すごいことなんですよ。
すごいということがわかるし、短い言葉でわかるし。
だけど、私が自分で書くか?という話になったらちょっと別だ。
いまこれを書いていて思ったけど、そもそも「私」をあらわすのに、短い言葉や数字だけで表現しようとするのが無茶なのではなかろうか。
だから、読んだ時にちょっと違和感があったり、恥ずかしさがあるのかもしれない。
私が「なにを与える」人であるかは、いつも「受け取る人」が決めることだ、と私は思う。
それと同時に、「私がどんな人間であるか」ということは、いつも「私だけが決めること」である、とも思う。
まさに「IDOL」の歌詞そのものだ。
つまり、「相手がどう思うか」も自由。
「自分がどうあるか」も自由。
そこに矛盾はあって当たり前で、そこを統一する必要もないってことだ。
・・・答えのない記事になってしまった。
「プロフィールに何をどう書くか」に、正解はないってことなのかもしれない。
いつか、自分でもしっくりくるプロフィールが書けるようになったらいいなぁ。
いろんな人のプロフィールを見ながら、引き続き模索しようと思います。
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