スパイダーマンを観て、自分が「こっち側」にいることが苦しくなった話
スパイダーマン、ノーウェイホーム。
ずっと公開を楽しみにしていて、観てきました。
あ、ネタバレはしませんのでご安心を。
マーベルシリーズにハマり、関連する全ての映画を観てきました。マーベルだけでなくどんな作品にも言えることだと思うんですが、ストーリーが続けば続くほど、作品への「愛着」が湧いていきますよね。
俳優さんが役を演じている、ってわかっていても、確かにそのキャラクターが存在してるんだと。どこかに生きてるんじゃないかと錯覚するくらい。
気づけば、どこか遠くに暮らすそのキャラクターたちの、人生を見守っているような感覚にまでなる。だからこそ、大好きなキャラクターが作中で亡くなれば涙も出る。喪失感もある。
そして、そこまで人を惹きつける、世界観に没入させるのは「作る側」のすごさ。
演じる役者もそう。撮影するスタッフ。監督。エキストラ、衣装、セット、音響…。
エンドロールを見れば分かる通り、たった120分の映像作品に、とんでもない数の人が携わっている。そして、とんでもない額のお金もかかっている。
スパイダーマンを観て、この壮大さに改めて圧倒された。すごく冷めた言い方をすれば、何もかも、この世に存在しない「キャラクター」であり「ストーリー」なわけです。
原作を作った人がいて、それに心動かされた人がいる。映像化したいと思い、それに賛同した人がどんどん集まってくる。最新の技術と携わる全ての人の、熱意。
不思議だと思いませんか。
どうして人は、創作されたストーリーにここまで心を動かされるんだろう。
そして、創作であることが苦しくなる。寂しくなる。幕が降りて、真っ暗になる。もう一度電気がつけば「現実」に戻ってしまう。
ああ、スパイダーマンってこの世にはいないんだ。そんなの悲しい。いてほしい。生み出したい。生み出してやる。
そんな、熱意。
だから人は映像を作り、グッズをつくり、役を演じて、本当にこの世に生み出してしまう。すごい。
きっと、携わっているのは、この世界に心を動かされ、取り憑かれた人たちなんだと思った。そこから役者を目指すのか、監督を目指すのか、カメラマンを目指すのかは人それぞれだけど。
みんな創作、作品の力に動かされている。
私は映画を観終わった後、自分がただ「受け取る側」にいることが、とにかく苦しくて仕方がなくなった。
かといって、作る側にいきたいのか?というと、それもよくわからない。自分も携わりたい!という気持ちなのか、ただの「現実」に戻ってしまう喪失感なのか。
ただ、悔しさ、苦しさ、寂しさみたいなものが心に重く響いたのは確かだった。
それの正体がなんなのか、私はまだわかってない。
映画を観て、確かに自分の心が動かされた。感動した。その時、とにかく強烈に「動かす側」への憧れを抱いてしまった。だからこそ、ただ席で観ている、消費者でいる自分が悔しくなった。
不思議だなぁ。この強烈な劣等感みたいなものの、正体が自分でもよくわからない。輪郭を捉えられてない。
ものすごい感動するものに出会った時、同じような気持ちになりませんか?
こんな素晴らしい物語をつくるなんて、こんな素晴らしい歌を歌えるなんて、悔しい。
もう少し時間をかけて、この気持ちの根源と向き合ってみようと思う。自分は何を感じたのか?と。
「私も、人の心を動かすような作品をつくりたい。」
この言葉で合ってるのかな。この感情で合ってるのかな。今一番近い言葉のような気がするけど。
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