私の半生短編集『居場所』

はじめまして。
いつもありがとう。

この記事を読んでくれているということは、私の大切な人のはず。
読んでくれてありがとう。見つけてくれてありがとう。

この『居場所』シリーズでは、私の半生を短編で読みやすくまとめていこうと思っています。

私の半生を知りたいと思い、この記事を読んでくれてるあなたに心から感謝します。

では本編始まります。

人が産まれて、記憶が始まるのは『命の危険を感じる瞬間』がきっかけだとどこかで聞いた。

私の記憶の中で一番古い記憶__それは2歳の暑い日の真夜中。

暑くてふと目が覚めた。

誰もいないことに不安になって、泣いて泣いて。
ひたすらに泣いた。

誰もいない。誰も来ない。
怖くて怖くて。
あまりに泣きすぎて疲れて。気が付いたら朝が来てた。

そんな記憶から始まった私の人生。

父は、いつも私に怒っていた。
話しかけるのが怖くて、でもこっちを見て欲しくて。
大好きだから話しかけるけど、いつも顔は怖くて。
私のことが嫌いなんだな…。話しかける度実感した。

母は躾に厳しく、不安定な人だった。
優しくしてくれる時と、機嫌が良くない時の暴言や暴力を振るう時の差が激しかった。
母は祖母に虐待されていたらしく、まるで口癖のように

「あたしは母さんみたいにはならない!」と言っていた。

今考えてみると、父も母も可哀想な境遇で育った人たちだった。

父は、父が生まれる前に祖父が亡くなっていて『父親の愛情』を知らずに育った。

母は、祖母から虐待され、姉と比較され続けて育った。

色々なしんどいことを抱えながら、葛藤しながら。
私を育ててくれていたんだと思う。

子供の私には両親の経験や葛藤をなかなか理解出来ず、
暴力や暴言を苦しく感じることが多かった。

そんな私の人生が大きく変わったのは7歳の時。

妹が生まれた時だった。

妹はとても可愛く、両親は妹を溺愛した。
実際私も、妹が生まれてきてくれた時は嬉しくて嬉しくて、号泣したことを覚えている。

妹が可愛くて、でも可愛がられることが羨ましくて。
少しずつ、少しずつ。私の妹への感情は拗れていった。

妹は、家庭の中で虐待されたり、罵倒されている私を見て育ち、
同じように私に暴言を言うようになった。

両親はよく喧嘩をしていた。
父が母に一晩中怒鳴られていた。
幼い頃の記憶を思い出すと、ダイニングで喧嘩をしている両親の姿が思い浮かぶくらい。

ある日、母に呼ばれて話を聞いていた。

「あたし死のうと思う。」

出て行くって言うのはよくあって、家族で止めたりしていたけど、死のうと思うと相談されたのは初めてだった。

「ついてきてくれるか?」

そう言われて一番最初に浮かんだ私の感情は、

『私を選んでくれるの?』

なぜか私は嬉しかったんだ。
色々感情がおかしくなってしまっていたのかも知れない。

車に乗って、100km、110kmと上がっていくスピードの中で、

もう次の瞬間には死んじゃうかも知れない。こわい!こわい!
と恐怖に震えたけど、恐怖よりも何よりも。

死を選ぼうとするほど苦しんでいる母を、ひとりにさせたくなくて必死だった。

結局どんな話になって無事に帰れたのかは覚えていなくて。
気が付いたら、母さんと一緒にコンビニの駐車場でジュースを飲んでた。

母さんは泣いていた。「ごめんね、ごめんね」と繰り返しながら。

私はそんな母を見て、守りたいと思った。
7歳頃の私にとって母は、親というよりも『守りたい人』に近くなっていった。


_また配信しながら続き書いていくね。

ここまで読んでくれて本当にありがとう。_

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