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楽器へのこだわり

最近は楽器やマウスピース、リガチャーなどへのこだわりがスーッと無くなったような気がする。いや、完全には無くなってはいないけど、随分減っている、よく言えば「解放された」気分。

いくつか理由がある。
一つは年齢的なもの。あとどれくらい楽器を吹けるのか分からないけど、その時間を出来るだけ自分に向けたいと思う。
もう一つは僕の特性である、忘れ物。
流石に楽器をなくしたことはないけど、マウスピースはなくしてしまった。ずっと使っていたリガチャーも。幸い、そんな事もあろうかとマウスピースは同じモデルをあと2つ手に入れていた。最近のハンドメイドマウスピースはデータ管理と設備あるいは技術の向上のためか、かつてのようなバラツキは比較にならないほど少なくなった。
リガチャーは昔のマウスピースに付属していたものがあったので使っているけど、全く気にならないということがわかった。
そして何よりも、現在の楽器とセッティングにほぼ満足している、ということ。これが一番大きい。

7〜8年、楽器の開発に関わって、いろいろな学びを得ることができた。その中で強く感じたものは「効果の優先順位」があること。管体の幾何学的な設計デザイン(テーパー)は材質(重量)に優先するし、材質は表面塗装に優先する。
僕にとってサックス本体の変えることのできる優先順位として一番高いものは、キーの開き、バネの強さを含めた「調整」だ。
ネジ一本に強いこだわりを示す人もいるけどそれらの優先順位はずっと低い。

しかしこの優先順位はプラセボ効果を含め心理的なバイアスを強く受ける。そして多くの人がテーパーよりネジについて関心を持つのはそれが簡単に取り替えることが出来るからだ。
ネジを含めた全ての接合部の効率を考えればそれらを溶接、あるいはそもそも一体成型にすれば良いはずで、実際一部のソプラノはそうなっている。しかしこれはより大きなサックスにおいては現実的ではない。修理が出来ないし、そもそもケースにしまえないからだ。

リガチャーに関しては、重要なのはリードとマウスピースの接地の確保。僕のマウスピースはリードが水分を含んで膨張することを想定してテーブル中央部を僅かに凹ませてあるので、膨らんだ部分がマウスピースの凹みに一致しない場合はリードに歪みを与えることになる。この場合リガチャーのネジを緩め少しずらしただけで大きく変わることがある。これはどのリガチャーでも起こることで、材質や形状以上に締める位置の優先順位が高い。

もちろん、道具にアレコレと想いを巡らせるのは楽しいもの。またプラセボ効果といってもそれはそれでれっきとした「効果」であり病気が治ったりもする。ただ、それがあるところを超えると楽しみが苦しみや悩みに変わってしまう。「練習もしているし、それなりの成果も出ている。あともう一つ、これさえあれば…」という誘惑に駆られてしまうのもよくわかる。「いい加減に目を覚ませ」とまで言うつもりはないが、しかしそれは本質的に何かを解決してくれるものではない、ということをいつかは理解する必要がある。

でもそういうのから少しずつ離れて行ってスッキリした気分は、ちょうどタバコをやめて感じる「もうあそこには戻りたくない」という気持ちに似ているような気がする。

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