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鴻ノ池舞 折檻される(天久鷹央の日常カルテ)

(本作は『幻影の手術室』の販促用掌編として書かれたものです。
『天久鷹央の推理カルテⅣ 悲恋のシンドローム』のラストシーンからの続きとなります)


「ああ、痛いです。小鳥先生、マジで痛いですって」


 両こめかみを拳でぐりぐりとされながら、私、鴻ノ池舞は悲鳴を上げる。

「お前がでたらめの噂を流そうとするからだろうが!」


 ようやく私のこめかみを放した小鳥先生は、顔を紅潮させながら言った。屋上からこの医局まで私を追いかけてきたので、息が乱れている。


「でたらめなんかじゃないですよ。さっき、ちゃんと私、見ましたからね。小鳥先生が屋上の〝家〟から出てきたのを。昨日、鷹央先生と熱い夜を過ごしたんでしょ」


 私はこめかみを押さえながら言う。


「おかしな想像するな。鷹央先生と酒盛りをして潰されたから、ソファーで寝ていただけだ!」


「そんなことないはずです。ちゃんと、小鳥先生を落とすためのスペシャルテクニックを、鷹央先生に教えておいたんですから」


「なにがスペシャルテクニックだ。あんなベタな恋愛映画みたいなこと鷹央先生に教え込みやがって。あの人、全然意味わかってなかったぞ」


「そんなうぶなところが可愛いんじゃないですか。鷹央先生が目をつむったとき、ぐらっときたでしょ。で、そしてそのまま押し倒して……」


 私は自分の両肩を抱いて身をくねらせる。


「お前が鷹央先生に渡したメモを見て、呆れてめまいがしたせいで、ぐらっときたよ」


「えー、もしかして、本当になんにもなかったんですか? 若い男女が一晩一緒に過ごしたのに?」


「だから、そう言っているだろ!」


 小鳥先生の声が大きくなる。私は顔を突き出すと、上目遣いに小鳥先生の顔を覗き込んだ。小鳥先生は「な、なんだよ?」と軽く身を反らす。


 あ、これホントになんにもなかったわ。


 私は大きく嘆息した。お人好しの小鳥先生は嘘をつくとすぐ顔に出るのだ。いまは明らかに本当のこと言っている。


「……甲斐性なしなんだから」


 私が独り言を耳ざとく聞きつけた小鳥先生は、口をへの字にゆがめた。


「誰が甲斐性なしだ!」


「だって、せっかく私があそこまでお膳立てしたんですよ。若菜さんにフラれた小鳥先生を、鷹央先生が慰める。それによって、小鳥先生が胸の底に眠っていた鷹央先生への想いに気づいて……」


 そこまで言ったところで、私は口をつぐむ。小鳥先生の顔に一瞬浮かんだ、どこまでも哀しげな表情に気づいて。


 若菜さんにフラれて落ち込んでいるという単純な話かと思っていたが、どうやらなにか深い事情があったようだ。私には知りえない、なにか深い事情が。


 そういえば、若菜さんが今月でこの病院を退職するという噂も聞いた。きっと、それも関係しているのだろう。 


 これは他人の私が口を出していいことじゃないな。瞬時にそう判断した私は、慌てて話題を変える。



「あっ、そうだ。小鳥先生。今度また合コン開きません?」


「合コン?」


 小鳥先生は力なくつぶやく。


「ほら、この前の合コン、小鳥先生途中でリタイヤしちゃったじゃないですか。だから仕切り直しでもう一度どうかなぁって思って」


 先日、(小鳥先生の強い希望もあって)私の友人の女の子を呼んで合コンを開いたのだが、小鳥先生は(男性枠で参加した)鷹央先生に開始三十分もしないうちに酔い潰され、その後はずっとトイレに籠っていたのだ。


「ああ、そんなこともあったなぁ……」


「なんですか、その気のない返事は。私が連れてきた友達の女の子たち、かなり可愛かったでしょ」


「いや……、正直言うとあの合コンの記憶、ほとんどないんだよな……」


「……まあ、開始早々、はしゃいだ鷹央先生にテキーラ飲まされまくっていましたからね。記憶飛ぶのも無理ないですよ。さすがに、あの飲ませっぷりは私もちょっと引いたというか……。でも、だからこそ仕切り直ししましょうよ。私の友達もあらためて小鳥先生と飲みたいって言っていますし。ねっ」


 私はテンションを上げて言う。そんなに落ち込んでいるなら、なんとか元気づけてあげなくては。


「悪いな、気を使ってもらって」


 小鳥先生は柔らかい笑みを浮かべる。


「けれど、いまは遠慮しておくよ。友達によろしく伝えておいてくれ」


 小鳥先生の態度を見て、私はなんとなく状況を悟った。きっと昨夜、小鳥先生はとてもつらい経験をしたのだ(そうじゃなきゃ、あの小鳥先生が可愛い女の子たちとの合コンを断るわけがない)。


  そして、落ち込んだ小鳥先生はこの病院の屋上に建つ〝家〟へと向かった。鷹央先生と会うために。


 一方で、鷹央先生はあの超人的な先見の明で、昨夜小鳥先生が自分のもとを訪れると予測していた。


   だからこそ、私に「なあ、舞。落ち込んでいる小鳥を慰めるのって、どうすればいいと思う?」と訊いてきたのだ。


 そして、鷹央先生と言葉を交わし、酒を酌み交わすことで小鳥先生はつらい経験を吹っ切ることができたのだろう。


 やっぱりいいコンビじゃん。思わず口元が綻んでしまう。


「分かりました。うまく言っておきます」


 私はにっと笑みを浮かべると、親指を立てた。


「ああ、よろしく頼むよ」


 小鳥先生はそう言うと、二日酔いで痛むのか、頭を押さえながら身を翻した。


「鷹央先生によろしくー」


 声をかけると、出口の近くで小鳥先生は振り返って私を指さす。


「くれぐれも、変な噂流すんじゃないぞ」


「アイアイサー」


 私がびしっと敬礼をすると、小鳥先生は医局から出て行った。その背中を見送り、研修医控室にある自分のデスクに戻った私は、思わず苦笑を浮かべてしまう。


 つらい経験をしたとき、鷹央先生に会いに行った小鳥先生と、それを予想してどうにか慰めようとしていた鷹央先生。


 やっぱりあの二人にとって、お互いは特別な存在なのだろう。二人の間にあるものは、いまはまだ友情なのかもしれない。


 けれど、いつかはそれが愛情に変化していく可能性は十分にあるんじゃないかしらん。


 椅子に座った私は、デスクに置いてあったスマートフォンを手に取り、電話をかける。


「あ、もしもし、琴音? この前の小鳥先生だけど、ちょっと最近忙しいみたいで、合コンは難しそう。ごめんねぇ、せっかく琴音、小鳥先生のこと気に入ってくれたのに。え? 小鳥先生に彼女? うーん、ちゃんとした彼女はいないんだけど、なんていうか……パートナーがいるんだよね。硬い絆で結ばれた相棒ってやつ? あ、そんなに落ち込まないでよ。他にいい男を紹介するからさ。うん、じゃあまたね」


 私が通話を終えると、医局の奥から同僚の女性研修医が小走りに近寄ってきた。その手には一枚の紙が握られている。


「舞、これ見た?」


「え? なに?」


 彼女から受け取った紙に私は視線を落とす。それは研修のローテート表だった。来月から私たちは二年目の研修に入る。


 この天医会総合病院の初期臨床研修では、二年目の数ヶ月、選択科研修といって自分が選んだ科で研修ができることになっていた。


 自分が回る研修科を確認していった私は、後半の四ヶ月の欄に記された文字を見て目を細める。そこには『統括診断部』と記されていた。


 鷹央先生、小鳥先生、待っていてくださいね。もうすぐ、一緒にお仕事できますから。


 その日のことを想像すると、思わずにやけてしまう。


「舞、なににやにや笑っているのよ? 気味悪い」


「ほっといて」


 私は軽く手を振ると、天井を見上げた。


 屋上にある〝家〟で、尊敬する人たちと一緒に働く日を夢見ながら。

        了


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