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「私の顔は醜い」容姿にコンプレックスを抱えた学生時代、そして初めての整形

みきしぃ💫


こんにちは、みきしぃです。

最近インタビューや取材を受けることが多いため、改めて自分の過去を振り返ってみようと思う。

私が最初に整形を考え始めたのは、中学1年生の頃だった。
当時ませていた私は、CanCamやViViなど一般的に20代のOLが読むような雑誌を買っていて、エビちゃんや読者モデルのお姉さんを見て目を輝かせていた。女子中学生がモデルをやっているニコラ、ピチレモン。そしてSEVENTEENも友達の影響で読み始め、同年代の子でこんなに輝いている人がいるのかと、次第に「この人達と同じことがしたい」と、「モデル」という職業を夢見るようになった。
モデルさんになりたい!真似をしたい!という思いから、雑誌で桐谷美玲ちゃんや武井咲ちゃんが紹介していたメイク道具を買い集めてみたり、エビちゃんが着ていたピンクの服をお母さんにおねだりして買ってみたり、お母さんのアイライナーやマスカラを借りて塗ってみたり…そんな、お洒落をこっそり楽しみにしていた女の子だった。

学校が終わったらいつも仲良しグループの女の子の家に行って、お菓子を食べながら「Myojo」を読み、誰がかっこいいって話をしたり、ジャニーズのライブ映像を鑑賞するのが決まった流れだ。
その中でも行き帰りが同じでずっと仲の良かったSちゃんとは部活動も同じで、グループで帰宅することがなくてもよく二人でイヤホンを片耳づつかけながら音楽を聴いたり、家に呼んで雑誌を貸し借りしたり、メイク道具を見せたりもしてて、一番仲が良かった子だった。

そんな日常のある日、たまたま早く授業が終わって帰宅することが出来た日のこと。
Sちゃんと もう一人近所に住んでいるMちゃんと3人で帰っていた時、なんとなく将来何になりたい?なんて話になって、みんなが「美容師になりたい」「教師になりたい」と各々に発言する中、私の順番になった。
私自身は誰にも言ったことがなかった「モデルになりたい」という夢を、緊張しながらも初めて人に告白した。

すると、明らかに空気が変わった。

「・・・冗談でしょ?その顔で?」

「え?」

聞き返すと、2人は何も聞いてなかったかのように別の話題に変え、私を置いて帰り始めた。

心臓が波打ち、熱くなる。

聞き間違いであって欲しいと思った。
当時の私にとっては、大事な夢だ。みんなと同じく、どんな夢であっても応援してくれるかと思った。

その日は部活があったけど、なんとなくこの2人といるのが怖くなった。
そう思って部活を休んだ次の日のこと。

部活に行った時、女子メンバーの私を見る目が明らかに変わっていた。
全員がニヤニヤ笑っているのだ。

「ねえモデルになりたいって聞いたんだけど本当!?ギャグだよね?」
「メイク道具とかも集めてるって聞いたよ!可愛くなりそう!いいな~、私もやってみたい!(笑)」

私が部活動を休んだその日、Sを中心にみんなで私の悪口大会を開いていたらしい。

その場を立ち去っていなくなってしまいたかった。
昨日の言葉は聞き間違えじゃなかったのだ。
私は芸能界を目指してはいけない顔だったんだ。

その時初めて、私は自分の顔が不細工であることを知った。

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▲当時の写真(私)

その些細な出来事から、私の日常は大きく変わった。

「絶対に整形して綺麗になってやる」

そう心に誓った。
その日から私は10年以上も容姿に強いコンプレックスを抱くようになり、鬱になり、引きこもり、自殺未遂をするまでになる。

今までは「自分は可愛い」と思って過ごしていた世界が、180度変わる感覚。
言われる言葉、向けられる視線、他人の行動、表情の変化、全てが悪に感じた。

実際、ブスに対する世間の扱いは酷いものだった。

ブス、死ね、気持ち悪い、触るな、近寄るな、○○(芸人・犯罪者)に似てる、目付きが悪い、目を開け、びっくりするぐらいブス、吐き気がする、ドブガエル、お前にこの服は似合わない ・・・

私に対して面と向かってかけられる言葉も、敏感に心に刺さるようになっていった。

これだけではない。
目が合っただけで、初めて会った人に学習塾の席の後ろから消しカスを投げ続けられたり、家庭科の授業で私のミスが原因でお菓子作りが失敗してしまった時「お前って友達といる所見たこともないし、こんな簡単なことも出来ねえし、生きてて何が楽しいの?」と言われたり、好きになった先輩にアドレスを聞いた当日に「あの場では教えたけど、メールしてほしくないから伝えといて」と言われたり、告白した男子が翌日学校中に言いふらしていたり、高校の頃通っていた塾で「(私の女子校の制服を見ながら)女子校ってブスしかいねえな」と知らない人に大声で言われたり、すれ違う人に「うわ、今の人の顔見た?」と言われたり。

次第に内面も変わっていき、悲しみが憎悪に変わっていった。
姿勢は常に猫背で顔は下を向き、笑顔は消え、ぶっきらぼうな表情、眉間にクセがつくほどシワを寄せ周囲を常に睨むようになった。

自分の顔がずっと受け入れられなかった。
自分の顔は自分が一番嫌いだったし、世界一憎たらしかった。鏡の前で何度も泣いた。
自分の待遇がこうであっていいはずがない、本当は私は美人であるべきなんだ。整形後の顔が本当の自分なんだ。ずっとそう思っていた。

あの中学1年生の体験から、一度たりとも自分の顔・整形について考えない日はなかった。
高校に上がっても、授業中はノートに自分の顔をそっくり描き起こし、ここをこう変えたらこんな顔になるはず、これが本当の自分だ!と毎日毎日シュミレーションをしていた。
授業中突然ボロボロ泣き出すことも多かった。
自転車登校や電車で顔を見られたりするのが嫌で、登下校も親に送り迎えしてもらっていた。外でご飯を食べる姿も見られたくなく、塾では便所飯もしていた。母とショッピングに行って鏡に写った自分を見た瞬間「ごめん、帰りたい」と強制的に帰宅することも何度もあった。アウトレットモールで「この服、着てみたいけど似合わないかも…」と思いながら鏡に合わせた瞬間を同級生に見られてしまい、ショックすぎて帰ったこともある。

毎日死にたいと思って生きていた。
同学年の可愛い子が「美少女図鑑」に出ていたり、CMに出ていたり、地元のテレビで「街中で見つけた美女ランキング」みたいなのを見るたびに頭に血が上って腸が煮えくり返り、「いますぐテレビを消せ!!!」と親に発狂してリモコンを壁に投げたり、暴れて物を壊したりするようになった。自分が叶えたくても叶えられないことを出来ていることが、一番許せなかった。

なぜ私がその立場じゃない?なぜ私がこんな扱いを受けている?
なぜ私はお前のその可愛い顔で産まれなかった?
納得がいかない!ふざけるな!
毎日毎日毎日、可愛い友人を見る度に惨めな気分になっていた。その可愛い顔を、滅多刺しにしてグチャグチャにしてやりたかった。

そんな思いや憎悪が膨らみまくり、精神もとても不安定になっていたため、高校3年の頃は学校に行かない日も多くなった。毎朝登校する途中でお腹に激痛を抱え、耐えられず途中でバスを降りてトイレに駆け込んだりする毎日。学校に行っても保健室登校をしていた。進学校なのに卒業もギリギリで、担任に心配されていた。

でもそんな状況であっても、やっと誰かに本当の悩みを言えたのは、高校を卒業する間際だった。初めて悩みを告白したのは保健室の先生。
回答は「大丈夫。私だって美人じゃないけど不満はないし、たまたま可愛く生まれなかったとしても、明るく生きている人だっているでしょう。気にしないで」という言葉だった。
何一つ理解してもらえなくて絶望を感じた。今の地獄のような人生をそのまま受け入れろと言われているようだった。嘘だとしても、その言葉に責任を感じなくてもいいから、ただ整形することを肯定して欲しかった。

整形をしなければ、一生私は女として生まれたことに何一つ喜びを感じることなく、やりたいお洒落も出来ず、恋愛することも結婚することも当たり前ではないと思いながら、他人の人生を羨ましがり、自分には出来ないことが出来ている人たちから目を逸らし続け、見た目で何か言われることに怯え、コソコソ惨めに生きることになるのか。


それは絶対に嫌だった。

私は深刻な面持ちで母に「大事な話がある」と告げ、自分の部屋に呼んだ。


いざ話そうとすると、言葉が重い。
何年も自分の中だけに抑えていた思いを口にすることは、こんなに難しいのか。
言い出すのに、どれぐらいの時間が経っただろう。

「自分の顔が好きじゃない」
「生んでくれたことには感謝している。けど、自分の顔が可愛い顔じゃないから、実は苦労することが多かった」
「何をしていても顔のことばかり考えて、何一つ前向きに出来ない」
「生きているのが辛い」
「整形がしたい」
「もし整形が出来なかったら、こんな辛い人生を、生きていける自信がない」
「死ぬか、整形するか、だと思っている」

全てを話すまでに本当に本当に時間がかかった。
今まで自分が誰にも言えなかった言葉をやっと言えた。
言葉をひとつひとつ出すたびに、涙が止まらなかった。気づいたら母にハグされながら、ボロボロと大泣きしていた。

母は頭を撫でながら
「辛かったね。あなたがそんなに辛いのなら、整形をしなさい。お金は心配しなくていいから。美貴ちゃんが幸せになってくれることが、私もパパも幸せ。あなた達の将来のためにお金貯めてたんだから」と言ってくれた。

バイトも出来なかった私はお小遣い分くらいしかお金を持っておらず、母にお金を出してもらうということはとても有り難かったけども、そんな大金を出してもらうことが申し訳なくて、本当にいいのだろうか、と恐縮した。
高校や予備校、大学に行くために親がお金を出すことはある。それが許されるのであれば、親に一度の整形費用を出してもらうことも許されるだろう。そう考えた。

それからはとても心が軽くなった。鏡を頻繁に見て、瞼や鼻を気にするように触っていた仕草も、もう隠さなくてよくなる。

すぐに母と一緒に福岡の病院のカウンセリングに行って、手術日の予約を押さえた。高校の卒業式の翌日の日にちだった。
高校を卒業するまでの日がとてもとても楽しみになった。ずっとずっと、何年も欲しかった物が手に入る!まるで、クリスマスを楽しみにする子供のような気分だった。

高校卒業の日。
色んなものから開放された気分だった。
大嫌いな勉強、先生。毎日決まった時間に学校に行かなくていい。校則も守る必要がない。これからは自由に生きていい!
何よりも、何よりも。明日から私は違う顔の人生を歩むことができる!
こんなに嬉しいことはなかった!
中学生からずっとずっと、この顔が寝て起きたら変わっていればいいと何度も願った。
明日からの人生にとてもワクワクした。これからは何だって出来るんだ。
整形したらやりたいことリストも沢山作った。

まずは、スカートを履きたい。ヒールも履いてみたい。そして新しい顔にどんなメイク用品が合うのか考えながら色んな化粧品を揃えて、雑誌を見ながらいろんなメイクをしてみたい。二重だと、どんなメイクが出来るんだろう。もしかしたら、エビちゃんみたいなメイクも出来るのかな。あとは、可愛い顔になったら沢山プリクラを撮りたい。オーディションも受けてみたい。新しく買った服で、色んな場所に出かけてみたい。

考えだしたらキリがない。
今までやりたくても出来なかったことを一気に沢山やりたい。
明日の整形が楽しみで楽しみでしょうがなかった。
先生、私の顔を可愛くしてください。私の人生を変えてください。
当日は太宰府天満宮に行って、手術が成功しますようにと母と御守りを購入した。手術室にも特別に許可を得て、お守りを持ち込んだ。約2時間の手術の間、母は別室で待機をしていた。

麻酔も痛かったし、局所麻酔だったから焼いたり縫ったりされる鈍い感覚があった。途中で「この幅でいい?」と起こされて鏡で目を確認する。

・・・二重だ。すごい。私の目が二重になっている・・・。

「問題ありません。これでお願いします」

そう伝えると、また横に寝かされ、先生が切開部分を縫い付けていく。

これから手術が終わったら抜糸するまでの1週間は腫れた瞼のまま過ごすことになる。
腫れを早く引かせて、早くメイクがしたい!天神で沢山可愛い服を買いたい!そう考えながら、手術が終わるまで意識のあるままで待った。

「終わりましたよー。起きれますか?」
「瞼の脂肪こんなに取ったよ」

先生から、切り取った脂肪を見せられる。
黄色い。そしてグロい。こいつが私を苦しめていたのか。

ゆっくりベッドから起き上がり、手術室から個室へ移動する。
そこから私は何時間か眠っていたらしい。少しだけ麻酔の影響なのか気分が悪くて、病院が閉まるまで寝かせてもらっていた。
母が心配で個室に入ってくる。

「え!?もうこんな時間!?」
「あんたずっと寝てたよ」

手術時間は2時間だったのに、その後もずっと待たせてしまってしまっていたのか。ごめんね。

「もう大丈夫。ホテル戻ろう」

そう言って、先生や看護師に挨拶をし、サングラスを付けて病院を出た。
その後母とどんな会話をして、どんな食事をしたのかはあまり記憶がない。
でも、きっと前向きだったと思う。

私が今整形手術を受けてきたなんて、同級生は誰も予想してないだろうな。
私は表向きでは容姿に悩んでいる素振りは見せてこなかったつもりだ。
みんなは今何してるのかな。
そう考えながら眠りについた。


(続く)


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