残された余命を悔いのないよう生きる。

平和で清潔で四季美しい日本で暮らしていると、つい忘れてしまいそうになる。

でも、人は生まれた瞬間から確実に死に向かっているわけです。

ウイルスが蔓延していようが、していまいが、人はいずれちゃんと死ぬ。

私は幼少の頃にその事実を知ってからというもの、常に「死」を隣人として意識しながら生きてきました。

小学生になれた時は「こんなに何年も生きられてラッキー☆」と安堵して、それからは毎晩寝る前に「今日も生きられてありがとうございました」と心の中で呟くことが習慣でした。

中学生の時は「この人生で恋のひとつでもできますように…」

高校生の時は「この人生で最低一人は彼氏ができますように…」

社会人になれば「より広い世界を見たい」と、海外・国内を放浪。

「より多くの視点で物事を見たい」と、16の職種を全力で経験。

そんな私は恋にも仕事にも旅にも一通り満足し、30代になって結婚して子供を持って、いつの間にか誕生日が来ることが当たり前になりました。

そんな時に受けた健康診断で、まさかの「再検査」の通告。腫瘍が発見されたとのことでした。

私は「治らない可能性が高すぎる病気」には立ち向かわないと決めているので、再検査は結局しなかったのですが、それはそれは悲しい気持ちになりました。

いつの間にか「健康に生きていることが当たり前」だと思っていた自分が、悲しかったんです。

子供のお世話に追われて、落ち込むこともままならず、その通告から1年間はただただ自暴自棄、とか健康な他人への嫉妬、みたいな暗黒な気分で過ごしていました。

その暗黒の期間の後、「いつまで生きられるかわからないけれど、とりあえず毎日をちゃんと生きよう」と決心しました。7つの習慣を使って自己分析したところ、私にとっての「ちゃんと生きる」とは、

「なるべく美しく生きたい」

「なるべく明るく過ごしたい」

「少しでも人の役に立ちたい」

「せっかくだから良い本をたくさん読んでおきたい」

「子供に良い思い出を作ってあげたい」

ということでした。そこで実際に、一日のスケジュールを徹底的に練って、実行に移してみることに。

そこで気付いたんです。「体を作るということ」の重要性。

体ができていれば…明るく過ごしやすい。姿勢が美しくなる。(体がスムーズに動くと気分が良い)

体ができていれば…人の役に立つアクションができる。子供のペースに付き合う体力ができる。

ちなみに「体を作る」と大げさに言っていますが、ほんの10分間の自重トレーニングと、ウォーキング程度のことをしています。それを半年間、毎日続けてきました。

それともうひとつ、「生きる目的が暗い人とは距離を置く」ことも意識しています。

人を陥れることが目的の人と、付き合うほどの余命は私にはありません。

経験上、30歳を過ぎると、人の根本的なスタンスって大体決まっています。

「もしかして分かり合えるかもしれない」

なんて考えるのは、それは甘い。←私は長い間、この諦めができませんでした

もしかして、の可能性は極めて低いですし、その人のために時間を割いている間も自分自身の貴重な余命は消費されている。

ただし、そういう暗い人と出会った場合も、ただ無視するわけではありません。「鏡の法則」と言われるように、そういう人と出会った自分には何かしらの原因があるということはちゃんと直視して、改善する方法を探します。


「明日死にます」と宣告されたら、あなたは何をしますか?

私なら、リゾート地でも行ってぼんやり過ごします。

じゃあ「一年後」なら?「五年後」なら?

さすがに何年もリゾートでぼんやりするのは勿体ないから…

残された余命を悔いのないよう生きます

最後までお読みいただきありがとうございました。

※下線の部分にリンク貼ってあります。ご興味があれば開いてみてくださいね。

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