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No.059 「奇術研究」M003. しんや少年、謎のオジさんに出会う

No.059 「奇術研究」M003. しんや少年、謎のオジさんに出会う

「奇術研究、誰か買っているんですか?いつの間にか無くなってますよね」
「同じ人が買っていくね、お店にたまに来る人だよ」

昭和42年(1967年)日本の高度成長期、中学1年生になっていた。小学5年生の時に、父武に買ってもらった「マジックセット」が、マジックの世界に魅了されるきっかけの一つだった。小学生の時に友人や家族の前で行うマジックは、仕掛けがあったり、特殊な小道具を使うクロースアップマジックが中心だった。卓球に夢中の中学生になっても、マジックの道具は少しずつながらも買い続けていた。

並行して、近所の柏屋書店で、漫画のコーナーに加えて「趣味・実用」のコーナーを覗くようになった。ここに「手品・奇術・マジック」の本が数冊とは言え、陳列されていたからだ。小学6年生の時に少年文庫シリーズの「マジック教室」石川雅章著を、中学1年生の時に「奇術種あかし」柴田直光著をここで購入した。「奇術種あかし」の第1編「カードの奇術」には衝撃を受けた。福島県いわき市の片隅でのことだ。この著書に対する一人の中学生の情熱が、各ページに付けられた赤鉛筆とピンクのマーカーに宿っている。

柏屋書店で週刊少年サンデーを買って、何気なく雑誌の所を見ると「奇術〜」の文字が目に入った。今もそうだが、奇〜、魔〜、マジ〜の文字は、数千並んだ文字の羅列の中から、こちらの目に飛び込んでくるのだ。「奇術研究46」表紙に特集海外奇術選とある。50ページに満たない薄っぺらな雑誌だ。

手に取る、軽い。パラパラとページをめくる。中に「玉と壺(神秘な容器)」高木重朗訳とある。このマジックの道具は持っていた。この簡単なマジックが、数ページに渡りマジシャンの手の写真と共に解説されているではないか。「凄い!こんな雑誌があるんだ!」値段も凄すぎた。400円、先ほど買った週刊少年サンデーが300ページほどで60円だ。軽い雑誌に、重い内容。

帰宅して、母ユウ子の肩を叩き、お年玉の前借りを頼んだ記憶が鮮明だ。幸いというか「奇術研究」の発行は年四回季刊誌だったので、なんとか定期購読できた。その後、昭和54年(1979年)86号で廃刊となるまで沢山の刺激を「奇術研究」からもらった。

柏屋書店に行くと「奇術研究」が一冊だけある。次に行った時などに無くなっている。そんなことが二年近く続いたろうか。これ、売れているの?柏屋書店の店主マスゾーさんに聞いてみた。
「奇術研究、誰か買っているんですか?いつの間にか無くなってますよね」
「同じ人が買っていくね、お店にたまに来る人だよ。男の人、40歳くらいかな〜?」
マスゾーさんに、謎のオジさんが来たら、連絡取っていいかどうか聞いておいてくださいとお願いをしておいた。

一緒に出かけたり、遊んだりする同年代の友人は沢山いたが、マジックを一緒にする友人はいなかった。謎のオジさんに会ってみたい。どんな人なんだろうか?マジックはするんだろうか?こんなマニアックな雑誌を読んでいるんだ、きっと凄いマジシャンに違いない。読みかけの「奇術研究」を閉じて、スーツから舞台衣装に着替える、まだ見ぬマジシャンを心に描いてみる。

マスゾーさんから連絡が来た。住所、電話番号、名前が書かれている紙片を手渡された。山本さんが謎のオジサンの御苗字だった。お住まいはバスで30分ほどのところ。電話を入れさせていただいた。貫禄のある低音のお声が届く「はい、山本です」「お伺いしてよろしいでしょうか?」中学生の遠慮ないお願いを受け入れて頂いた。

二階建てのご自宅の玄関のチャイムを鳴らす。すぐに出ていらした山本さんは、こちらが勝手に想像していた、タキシードの似合う細面(ほそおもて)の方ではなく、警察官とかの制服が似合いそうな体格の良い方であった。茶の間に通して頂いて、お話を伺う。山本さん曰く、マジックはほとんど演じないが、本を読むのが好きで「奇術研究」は大変面白いと言う。「オノくんは、もちろんマジックはなされますよね?」

山本さん、奥様、小学生の二人の娘さん、山本さんのお母様を相手に、マジック見せたがりのしんや少年は、生き生きと30分近くマジックを披露する。二人の娘さんの歓声に負けない、奥様と山本さんのお母さんの笑い声が、昼下がりの茶の間にこだまする。山本さんは、何度も、大きな目を見開いてくれる。しんや少年は、マジックをしていて良かったと心の底から思う。いいなあ、こんな風にみんなに喜んでもらえるんだ。

この年、中学生シンヤ少年の年賀状に、学校の先生以外の初めての「大人の人・山本さん」が加わり、山本さんがお亡くなりになる2000年(平成12年)まで30年以上、年賀状での交流があった。帰郷の際、数年に一度、お邪魔しては、ナゾのおじさんと思い出話に花が咲いた。

山本さんは、僕に「趣味は年齢・職業を超える」ことを教えてくれた、最初の方であった。

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