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No.145 Go Toキャンペーンなしの箱根一泊の旅(2)「グリーンヒルズ草庵」での一夜

No.145 Go Toキャンペーンなしの箱根一泊の旅(2)「グリーンヒルズ草庵」での一夜

No.144の続きです)

イギリスコッツウォルズでの失敗の再現とならぬようにと、レンタカーの位置とバックで入る道幅をしっかりと確認して、運転席に戻った。数台の車が過ぎるのを待ち、車をUターンさせて、先程右手に見えた灯りを走り過ぎないように、ゆっくりと坂道を下っていった。

反対方向に走って行ったので、今度は左手側に灯りが見えた。停車できるようにとの配慮からか、気持ちばかりのスペースが作られているのが、どうにか客商売の施設の匂いを漂わせていたが、確認すると中華料理店の看板で「草庵」の文字は見当たらない。

看板の隣の暗闇に目を凝らすと、今まで気づかなかったが、車二台がギリギリすれ違えるくらいのかなりの傾斜を持った一応舗装された坂がある。見ると坂の入り口に灯篭のような看板があり「草庵」の文字が書かれている。灯りなき灯籠では意味をなしていないなと毒づきたくなった。

坂の上を見上げても建物は見えないが、キツい傾斜の上り坂をアクセルを踏み込み、車を元気付けて進むと、駐車場らしき空き地に車が二台、離れて停めてあった。ここにレンタカーを停めて、道しるべのような足元灯に従い、さらにきつい傾きを持った草の小道を旋回するように歩くと「SOUAN」のあかりの下の玄関口に着いた。

少し約束の時間に遅れた僕を待っていたかのようにドアは開け放たれていて、上がり框に和風のスリッパが一足準備されていた。「こんばんは」僕の呼びかけに出てきたのは、マオカラー風の襟元を持った白の半袖シャツに濃い群青色の首掛けエプロン、マスクの上の目元が穏やかな坊主頭に近い大学生のアルバイトさんかと思われる青年だった。

玄関先の椅子に座り室内を見ると、民藝風の重厚な家具とそれに合わせるような漆黒とこげ茶を合わせたような色の柱と同色の障子の組子が、障子紙の白と調和して美しい。九谷焼きとかであろう、見事な青磁の皿がそれぞれの紋様を競うように飾り棚に三段に並べられていて、その側にグレーのソファと洋風のスタンドが灯る。

案内されて席に座る時、先客の三人と目が合って「こんばんは」と挨拶をする。畳敷きの上にテーブルと民藝風の椅子、テーブルの上には円を弦で切った形の和の盆にナイフとフォーク、そしてお箸が置かれている。

ここまでは満点を付けたいムード溢れる和洋折衷の雰囲気の中、さて創作フレンチと自称する料理は如何であろうか。何度もミシュランや食べログの評価を信じ、結果的に首を傾(かし)げてきた愚を今晩も繰り返すのであろうか。感じの良い先程の若い「お運びさん」に、ディナーコース4200円、6500円、8700円の中から、6500円のコースを注文した。軽い不安を持ちつつも、提供される料理に期待するのはいつものことだ。

以下に書き綴る各料理の素材や説明は、食事の後に料理人のカツマタさんから聞いたから書けたことを、先にお断りしておく。

前菜の盛り合わせは「トリッパ(牛の胃袋)のトマト煮込み」「小アジの酢漬けフライ」「枝豆のクリームチーズ和え」「鴨の生ハム」「大根もち手作りソースのせ」、初めて食した鴨の生ハムを筆頭に、いずれも抜群の美味しさで驚いた。

「焼き立てのフランスパンにつけて召し上がってください」と「若いお運びさん」に出された「豚肉のパテ」と「アンチョビと黒オリーブのタプナードペースト」は実に丁寧な仕事が施された一品で、その美味さに唸っている途中に先客の三人が席を立って、僕一人の贅沢な空間にフランク・シナトラの歌声が静かに流れる。

次に出された「イワシと焼きナスのテリーヌ」がこの夜の「ひとりの宴」の一番のお気に入りの一皿であった。イワシの柔らかさと、言われなければナスと分からない食感の相性が素晴らしく、ほのかに滲み出る魚と野菜の汁気のハーモニーは驚愕であり、これぞ「料理」である。

「カボチャとサツマイモのスープ」これも素晴らしい美味さだ。口直しの「スイカのシャーベット」が一口、気が利いた一品だ。「本日の魚料理」温かいスープに浮かぶ白身の魚も美味いが、付け合わせの野菜の一つ一つに違った下ごしらえが施されていて美味さが際立っている。メインに注文した「大和豚の骨付きカルビ網焼き粒マスタードソース」、筋が噛みきれない不愉快さもなく、いい味付けだった。

「季節の止め椀」と称されたひと品は「イワシと焼きナスのテリーヌ」に負けず劣らず気にいった。どのように作られるのか、円柱形の焼きおにぎり風の中にキノコのリゾットが包み込まれている。

お椀の中に、この小ぶりの焼きおにぎりを入れ、コンソメスープを注いだ後におにぎりを崩すと、キノコの香りが鼻腔に届き、お茶漬けリゾットとでも名付けたい和洋折衷の逸品の出来上がりだ。ずるずるっと多少の行儀悪さなど気にせず、食の高揚感を味わえるのは最高の時間の一つである。

デザートがまた美味しく「モンブラン」「バナナのタルト」「マンゴーとパッションフルーツケーキ」三品の盛り合わせを「別腹」に収めた。この日のコーヒーは最高の美味さだった。

これらを作った料理人(シェフと言ったほうが良いのかな?)は只者ではないな。「いや〜、これは凄い。実に美味しかった」との感想に「若いお運びさん」は和かな顔を一層ほころばせながら「ありがとうございます」とお礼を言う。

「失礼ながら、料理人はどんな経歴の方なのですか?さぞ、有名店などで修行なされた方ではないでしょうか?」との、グルメぶった(それなりに食べ歩いているとは思いますが)僕の質問への彼の返答「いや、僕が全部作っています」の意外性には、料理の美味しさ同等に驚いた。

「え〜、大学生とかのアルバイトのお運びさんと思っていたよ!」「よく言われるんですが、僕、40歳になります」。聞いてみると、前の調理長の方に実に厳しく鍛えられたと言う。何十人もの下働きの料理人が、その厳しさに耐えられず職を離れたのだそうだ。「修行のまかない飯が不味いと、ひっぱたかれるし、味噌汁飛んできましたからね」と笑いながら語る。目の前の優れた料理人カツマタさんのエキセントリックな師匠は、今、熱海にいるそうだ。

思ったとうり、下ごしらえが実にキチンとされていた。ソースやパテ作りだけで、数時間は取られると言うし、東京のレストランも勉強に足を運ぶが「帰りにはラーメン食べること多いですね」と意味深なことを嫌味なく言うカツマタさんの人柄は爽やかだった。

流れでお財布から千円札を取り出した。チップではない。両面を改め、お札を折っていき、真ん中を破って穴を作る。カツマタさんに息を吹きかけてもらうと、お札に穴はなく、元に戻っている。僕のペットトリックのマジックを披露すると「ええ〜!どうなってるんですか〜!プロマジシャンだったんですか〜!」と、驚嘆のセリフをゲットした。「いやいや、アマチュアマジシャンだよ。下手なプロよりは上手いかな」いつもの自画自賛にも、カツマタさんは笑って付き合ってくれる。

そこからカードも取り出して3つほどのマジックを見せる。すっかり親しくなり、一緒にマジックの練習もして、再会を誓った。「東京に来たら連絡してよ。おいしいお店に招待するよ。『草庵』さんに来るだけでも箱根に来る価値あるな、また足を運ぶよ」玄関先まで見送ってくれたカツマタさんには遠からず再会しそうだ。

「草庵」の建物を出て、急な小道を下っていくと小雨が降ってきた。東京の夜にはない、夏の夜の涼しさをここ箱根は持っている。素晴らしい料理人がいたものだ。素晴らしい出会いがあった一夜だった。また一つ良き「思い出」を作ることができた。これだから「旅」はやめられない。

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