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No.143 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(9)お一人様ならぬバックパッカー若者4人とディナー

No.143 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(9)お一人様ならぬバックパッカー若者4人とディナー

(途中からNo.142の続きです。No.142の記事を抜粋、書き足したものを編集してまとめました)

今日のフィレンツェ探索はまず「ウフィツィ美術館」から始めよう。手にはデジタルカメラだけ、ポケットにはクレジットカードと僅かの現金、ハンカチとティッシュ、パスポートのコピーだけを携えていた。携帯電話は必要ないし、ガイドブックも地図も持たない。前の日の長いフィレンツェ街歩きで頭の中の地図だけで十分だった。

迷路の中から乾いた風が吹き抜けるシニョリーア広場へ出てほんの1分ほど歩き、開館前30分のウフィツィ美術館入り口に着いたが、すでに30人ほどの行列ができていた。気ままな「ひとり旅」急ぐわけでもない、前売りのチケットも購入していなかったので、行列の最後尾に並ぼうとすると、ほとんど同時に東洋人と思われる二人のバックパッカーの若者二人が僕の前に並んだ。

二人の顔は共に赤く日に焼けており、旅に入って一週間は経っているかなと思わせた。髪を短くして目がギョロリとした一人の若者の背中の荷物は特に大きく、彼の頭一つ上までに達していた。もう一人の若者は涼しげな目元にちょっと伸び気味の髪型で、標準的な大きさではあるがパンパンに膨れたリュックを背負っていた。

1990年の最初のイタリア訪問で髪の黒い東洋人らしきバックパッカーを見たならば、まず日本人と考えただろうが、2010年のこの時の「東洋人バックパッカー出身国当てクイズ」の選択肢は広がっていて、日に焼けた顔からクイズの正解を導く自信はなかった。

軽装の僕と対照を成す二人の若者は疲れからか、軽くため息をつき、足元に背中のリュックをドサっと下ろした。行列のコンクリートの道が軽く揺れたような気がした。二人のため息も出身国は表さなかったが「混んでるなあ」との言葉を聞けば、クイズにもなりはしない。

「日本人だったんだね」若き友人タカマサくん言うところの「見境なく声をかける人・しんや」の始まりだった。(ちゃんと人見て話しかけています。彼は信じないでしょうが)「あっ、そうっす」そこから自己紹介やらの、行列の退屈しのぎの雑談が始まった。

「オレの名字は『小野』、名前は『しんや』」「オレ『佐藤』です」「『田中』です」言い終わるや三人とも笑った。思いは同じだった。「3人ともありふれた名字
だなあ、やっぱり名前教えてもらえる?」「ジュンヤです」「ヒカルって言います」

二人は旅先のユースホステルで出会い、一緒に行動しているとのことだった。やはり偶然出会ったもう一人、ツバサくんとフィレンツェの駅で、10時30分に待ち合わせていると言う。3人それぞれが旅の日程も訪問先も違うが、たまたま何日間か一緒で「旅は道連れ」のことわざを地でいっていた。

ウフィツィ美術館の開館時間が迫っていたが、入場まで時間がかかりそうだったし、イタリア最大の美術館にしてルネサンス芸術の宝庫の鑑賞時間は最短でも30分は欲しい。ツバサくんと会ってからウフィツィ美術館に出直す方が良さそうだと提案して、二人もそのようにすることになった。

「ヒカルくん、ジュンヤくん、何かの縁だね、今晩一緒に夕飯どうだい?ご馳走するよ」顔を見合わせる二人、目の前の気さくに話しかけてきたこの人、実は怪しい組織の一員だったのか、とでも思ったかもしれない。「大丈夫だよ。あなたたちに麻薬なんか運ばせないよ」

二人がキツい冗談と取ったか、ヤクザ組織の巧みな陽動作戦と思ったかの確信は持てなかったが、泊まっているのがすぐ近くの「ルレ・ウフィツィ」であることを告げ、携帯番号の交換をして、7時を目安に電話で連絡を交わすことを約束した。「ではまた夜に会おうね」駅に向かう二人の後ろ姿を見送ると、入場を待つ列が動き始めた。

ウフィツィ美術館の探索を楽しんだあと、昨日に続いて古都フィレンツェの街を歩いた。フィレンツェの中心赤いドーム屋根のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、独特の外観を持つサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の華麗な内装に魅了され、観光客で賑わうヴェッキオ橋を渡って入った路地の静けさに心打たれ、アカデミア美術館内に立つミケランジェロの大傑作「ダヴィデ像」に圧倒され、街歩きの最後にシニョリーア広場の彫刻群に迎えられて、ホテル「ルレ・ウフィツィ」への迷路の道に戻った。

ホテルのフロントの椅子に座るケイコさんに、若者二人と出会いディナーをご馳走する予定を話し、気さくに食事のできるトラットリア(日本語での「食堂」に近いレストラン)のお勧めを尋ねると、ホテルから徒歩5分程度のお店「Yellow イエロー」の名前が上った。念のため席を頼んでおきますとのケイコさんの嬉しい手助けに安心して部屋に戻り、ベッドに横になって作ったばかりの思い出に浸った。

はっと目が覚めて部屋の時計を見ると6時半だった。少し不安になり、昼間に聞いたジュンヤくんの携帯番号に電話を入れてみると、呼び出し音がすぐに切れてしまう。ヒカルくんの電話も同じだった。海外に来ているから起きている現象かどうか分からなかったが、向こうからの電話でも同じかもしれない。

こちらを「怪しい人物」と判断しての無視を決め込んだ可能性もある。二人からの連絡を待つしか方法もなく、7時を少し回った。トラットリアの予約の取り消しも考えたその時、部屋のドアの外から声が聞こえる「ここだよな、大丈夫かな」

チャイムが鳴った。ドアを開けるとジュンヤくんとヒカルくんの姿があり、その後ろに長身に、やはり日に焼けた顔が目に入った。「どうぞ、どうぞ。いや〜、この場所がよく分かったね」。ジュンヤくんがまず部屋にはいり、口を開いた。「電話が通じなくて直接来ちゃいました。ホテルの前までなんとか来たんですが、鍵がかかっていて困っていたら、ガチャンと音がして中に入ることができました」

翌日に聞くことになるのだが、僕の話を覚えていてくれたケイコさんが、防犯カメラで確認して「小野さんのお客さんの若者たち」と判断して開けてくれたのだった。ケイコさんのグッドジョブが無ければ、この素敵なバックパッカーたちに再会することもできなかった。

ヒカルくんも部屋に入り、続けてツバサくんと初顔合わせとなった「ツバサです」「はじめまして、ツバサくん。しんやと呼んで欲しいな」ヒカルくんが言葉を継いだ。「ええと、しんやさん。もう一人増えたんす、実は」小柄な女の子がニッコリと笑って後ろから顔を覗かせた。「おお〜、女の子は大歓迎だよ〜。あと何人でもオッケーだよ〜。どうぞ〜」「お邪魔しま〜す。カズエで〜す」

大きなトラットリア「Yellow イエロー」は超満員に近く、怪しげながらも日本語を話すスタッフも多く、気さくで陽気なイタリア気質溢れる賑やかなトラットリアだった。

お店の真ん中近くのテーブルに座り、あらためて自己紹介となった。ジュンヤくんは東京八王子、ヒカルくんは京都、ツバサくんは福岡、カズエちゃんは秋田出身で東京の大学に通っている。4人は全員大学4年生で年も同じ、卒業旅行にヨーロッパバックパッカー旅を選び、ユースホステルで知り合い、たまたま古都フィレンツェで時空を共にしている関係だった。

ホテルに着くまでに「あの人、何者だろうね?」と4人で話していたと言うので、取り仕切る役割となった僕の職業あてクイズで、古都フィレンツェでのお一人様ならぬ「バックパッカーの若者4人と謎の怪しい人物ひとりの出会いとディナー」の幕開けとなった。

「ええ〜、分かんないなあ」と言いながらツバサくんが「商社マンかなあ」と自信なさげに言う。「商社マンは、お金になりそうにないキミたち若者に声はかけそうもないかな」僕が茶化す。次のヒカルくんの元気な答えには笑った「投資家!」金とヒマを持て余しているヒトと思われたようだ。「ははは、そんなお金持ちじゃないよ〜」カズエちゃんがにこやかに答える「う〜ん、話面白いし、先生っぽい!」

外出する時はサングラスをかけて変装し「職業不詳の怪しいヒト(No.043)」でいたいのだが、ジュンヤくんの答えを聞く前に、カズエちゃんに残念ながら当てられてしまった。その後の年齢あてクイズでは、実年齢より下の答えを全員からもらえたが、ディナーをご馳走になることを忖度したかな?

大きく盛られたサラダに始まり、大量のパスタとピザ、魚のフライに店員お勧めのビステッカ(Tボーンステーキ)そしてデザート、いや〜みんな食べたなあ〜。ツバサくん「旅の中で最高のご馳走でした」カズエちゃん「幸せ〜。こんなラッキーなことあるんですね」ヒカルくん「野菜不足。一発で口内炎治りました」ジュンヤくん「やっぱ、肉すげーうまかったっす」この機会を一番楽しんだのは、マジックも見てもらい笑顔をもらえた僕だけどね。

時計を見ると10時近かった。ジュンヤくんだけちょっと離れたユースホステルで、バスの運行も終了の時間だった。ヒカルくん、ツバサくん、カズエちゃん3人は近くのユースホステルに戻るので、ここでお別れとなった。タクシーを拾い、ジュンヤくんとフィレンツェ郊外のユースホステルに行き、日本での再会を誓い楽しい一夜の終わりを迎えた。

フィレンツェの街に戻るタクシーの後部座席にひとり座り外に目をやると、家々の灯や外灯の仄かな光が流れゆく。タクシー内にはカンツォーネの歌声が小さく流れゆく。ウフィツィ美術館前の出会い、フィレンツェ芸術との触れ合い、若者たちの爽やかさ、長かった一日の新しい思い出が心の中を流れゆく。

連れ合いの由理くん亡き後の「ひとり旅」に出て良かった。ひとりだから行動に移しづらいこともある。ひとりだから動きやすいことも多い。今回のバックパッカーの若者4人とのことも、ちょっとした出会いでしかないかもしれない。こんな小さな出会いが、自分の人生を少しずつ豊かにしていっている。東京に戻っても元気に生きていこう。

何か目の奥が熱くなり、ひとりちょっと微笑んでみた。

・・・続く

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