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No.133 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(1)ローマにて

No.133 旅はトラブル / イタリア再訪ひとり旅2010(1)ローマにて

2010年8月29日から二週間、1998年に学習塾開校から初めての長期休暇を取り、イタリアの地を20年ぶりに踏みしめた。前年12月に連れ合いの由理くんを亡くし「ひとり上手」に生きる決心をした後の旅だった。(No.131

振り返ってみると、どこか観光地に行こうとか、美術館を訪れようとかの気持ちが希薄な旅だった。日常を離れる義務など何処にある訳ではないのだが、由理くん亡き後「放浪」の真似事だけでもする必要を感じていて、絢爛の地ヨーロッパへ向かうのであれば下調べと予定を極力控えるのが「放浪」に近づくせめてもの形ばかりの方策であった。観光地などの下調べを丹念にすることは、愉楽への高揚感を表すようで、由理くん亡き後の態度に相応しくないと、一人で心の制限をかけていたように思う。

旅行会社でイタリアまでの往復航空券成田発ローマ着、帰国の途はミラノ発、夏期講習が終わる8月下旬に出発、9月上旬に帰国の日程だけは決め、宿泊も初めの2泊だけローマのホテルを探すことにした。柔らかい義務として、フィレンツェから2時間余りの田舎に住む由理くんの友人貴子さん・サンシオくん夫婦に会うことがあり、あとは行き当たりばったりの「放浪っぽい大人ひとり旅」となる。

ネットの発展により、旅の準備も大分変わった。FAXを使いパリのホテルと直接値段の交渉をしたこと(No.111)など、もはや考えられないことだ。この旅では、ローマ中心地から少し離れたポルゲーゼ公園近く、大好きな建築家ジオ・ポンティがデザインしたParco dei Principi Hotelに最初の2泊をネットで予約した。

20年前の最初のローマ訪問(No.014 No.044 No.048 )の時、ローマ中心地の3つ星ホテルに泊まったが、夜明けまで続く喧騒に霹靂したのが、ミシュランガイドで5つ星赤印「居心地良し」Parco dei Principi Hotelを選んだ理由だった。実際に宿泊してみると、落ち着いた雰囲気が素晴らしく、イタリア人の喧騒が少しは欲しい気にもなってしまう程だった。

20年前にあれほど感激したバチカン市国システィーナ礼拝堂のミケランジェロ「天地創造」も、堂内に入る人の大行列の一見が、長く再見を希った熱い思いをいとも簡単に崩したことに、僕はとまどった。トレビの泉やスペイン階段も、観光客の姿もほとんど無い朝早くに訪れたものの、何らの感動もなく、カメラのシャッター音が乾いた空気の中に小さく放たれた。

モンテナポレオーネ通りにある由理くんとの思い出の店「BVLGARIブルガリローマ本店」(No.086)も開店前に訪れたが、外装がすっかり変わっていて、中立を装う「時の流れ」は、人の中の大事なものも軽く踏み潰してしまうことを僕に語りかけてきた。開店を待って思い出に触れる気持ちは、朝の霧もやに吸い込まれ流れていった。

数々の観光地を避けて、まず足を向けたのが程々の賑やかさを持った朝市だった。ここには、世界に誇るイタリアンデザインの品々とはかけ離れた日用品が、直射日光を避けるばかりのテントの下の店先に溢れんばかりに並べられていた。観光客で満たされるローマの賑やかさとは異質の活気が心地よかった。

次に郊外の墓地に向かった。「ローマに来てわざわざ朝市とお墓か」と墓地に向かうタクシーの中で苦笑した。思った通り、当たり前のように郊外の墓地は静謐な気配に占められていた。墓地の中をゆっくりと、時間を潰すように散歩したあとベンチに座ると、湿り気の少ない風が気持ち良かった。

さて、ローマのあと、何処に行こうかな?無性に人恋しくなってきた僕の脳裏に浮かんだのは、大学時代の後輩マミだった。大学時代にそれほど親しかった訳ではないが、マミの友人ヨーコと共に何度かランチをご馳走したことがあった。

由理くんから「若い人たちと食事に行ったら割り勘なんてせえへんでよ。ご馳走してあげなあかんで」と言われていて、ちゃんと教えを守っていた。今現在も守っている。「人は食べ物に弱い」大学で僕を慕ってくれる友人が多い一因だったかと、ちょっと笑える。

マミがイタリア人男性と結婚していてイタリアに住んでいることはFacebookで知って、旅立つ前にイタリアに行くことを書き込んでおいた。「ホテルに戻ったら電話してみようかな」

この旅でも、ガラケー一本、インターネット環境は持たずだった。

・・・続く

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