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No.002 Federico Fellini Amarcord  「フェリーニのアマルコルド」

Federico Fellini Amarcord「フェリーニのアマルコルド」

フェリーニの原風景が詰め込まれた、この巨匠のもっとも愛すべき逸品。

フェデリコ・フェリーニの生まれ故郷の港町リミニの一年間を、ある少年の家族を中心に描き出す風物詩集。ニーノ・ロータの甘美なメロディに乗せて、人が「生きる」ということにまつわる、あらゆる喜びと悲しみが、美しさと可笑しみの中に描き出される。いつまでも終わってほしくない、これぞ映画の中の映画。

1973年公開・123分

この映画を観たのは19歳の時だったんだなあ〜。高校卒業後、全く勉学に励まず浪人生活を二年間送ることになる。こちらの話はおいおい筆を進めるかもしれない。浪人二年目の秋から生活を東京板橋から実家の福島に移した。詳しい話は別の機会に譲る。フェリーニの新作「アマルコルド」を観るために、東京に足を運んだ。自由になるお金はなかったはずだから、母ユウ子にせがんだに違いない。母の話を書いたら、キリがない。こちらも宿題だ。

 どこの映画館だったか、調べれば判るであろうが、記憶にない。観終わって抱いた深い感動が、熱く心に残った。その思いを抱いたまま、哲ちゃん、あいパン、優子さんと落ち合い、居酒屋らしきところで話をした。三人とも大学生となっていて、新しい世界に足を踏み込んだのだと何となく自分の中に語りかけた。「遅れ」たのかな「違って」きたのかな、「自分」を思った。別れ際、優子さんと知り合いになれたあいパンが、また会いましょうのような事を言って、ピョンと飛び跳ねたのが、可愛かった。妙に目に焼き付いている光景だ。

哲ちゃん曰く「信也くん、ベストテン好きだよね」指摘されたことがある。何にでも好き勝手に順位をつけるのが好きだった、今も好きかも、です。小説のベストテン、好きなマジックベストテン、味わった料理ベストテン・・・。

自分の中での映画ベストテンを、高校三年生の小野信也は北校舎一階8個並ぶ和式トイレの入り口から三番目の壁に落書きした。鬱屈した性のエネルギーの気晴らしに描かれた卑猥な力作の中に、十本の映画名を横書き縦並びに連ねた。一番上には「俺たちに明日はない」を記した。誰が書いたか分からずに、そのトイレに入った哲ちゃんが「こいつ映画好きそうだなあ〜」と思った話は数年後の笑い話となる。

卒業した高校にはもう何十年も足を向けていない。男子高校だったかつての香りは、残っているのかな。男女共学になって、もう何年だろう。和式トイレも、とうの昔に無くなっているだろう。郷愁に駆られることもないが、悪戯心がちょっぴり湧き上がる。新しい落書きの一番上には「フェリーニのアマルコルド」と書きたい。


エリの経歴はカッコいい。大学入学後、何かの説明会、ひとり座っている隣にニヤ〜っと「空いてる?」と近づいてきたのがエリだ。次に向けられた言葉が鮮明だ「オリキャン(オリエンテーションキャンプ・新入生歓迎会を含む入学前のキャンプ・一泊)でマジックやったんでしょ?わたし行かなかったけど、聞いたよ〜」語尾を独特に伸ばすさまから知性を連想するのは難しかった。「一年生?オレ、一年生。見えないかも、だけど」「聞いた〜。変わった年上のひと、いるって〜。わたし、編入生。よろしく〜。」「編入?どこから」

この時、エリの経歴をどこまで聞いたのだろう。その後の付き合いの中で、少しずつ聞くことになったんじゃないかな。東京文京区小石川に生まれ、中学受験で櫻蔭中学(女子最難関中学です)合格、櫻蔭高校に進み、そこからギリシャの高校に転校。なんでも、エリの兄が結婚した相手がギリシャ人で、結婚式の時行ったギリシャに魅せられた、との事。高校卒業後、アメリカコロンビア大学に入学。どういうわけか上智大学比較文化学部に編入してきて、こうして妙に気の合う友人のひとりになるわけです。

この時までに、国外はハワイとイタリアの地を踏んだだけだった。旅行経験の豊富なエリに、印象に残った国・街を聞くと「ウィーン好き〜。パリもいいけど、パリを大人っぽくした感じ〜。あと〜、わたしは行ってないけど〜、プラハいいって人多いね〜。」二年後にウィーンとプラハへ行くことになる。

池袋の気さくなイタリアンで二人、食事をしていた時のこと。「エリって、今まで観た映画の中で何が一番好きかな?」「う〜ん、いろいろだけど〜、フェリーニのアマルコルドかな〜?」。初めて他の人の口から「アマルコルド」とイタリア語で「わたしは覚えている」を意味する言葉を聞いた。母音の多いその言葉は、耳に実に気持ちよく響いたのです。

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