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自分の手で目で耳で学ぶこと

私はプロダクトデザインの仕事をしています。私達のようなデザイナーは、自分がデザインしているプロダクトをよりよいものにするために、そのプロダクトが対象としている人々にインタビューをさせていただくことが日常的にあります。

人々がどのような生活をしているか、どういったものが好きで嫌いか、彼らはどのような課題やニーズを持っているかなどを理解し、そこから得られた知見をプロダクトに反映させるためです。

そうした様々な人との対話の中にいくつか、いつまでも私の中に残り続ける言葉があります。相手からしてみれば、ほんのちょっとした何気ない発言かもしれません。率直に、その時思ったことを言葉にしただけの可能性も高いでしょう。だけどそういった言葉が、私の頭の中に強烈な印象を残す場合があるのです。

とはいえ、言葉そのものが大きな力を持つわけではないはずです。同じ言葉を耳にしても、人によって受け取り方は様々です。例えば「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」のような言葉を聞いたときに、その言葉をどう受け止めるかは「鬼滅の刃」に関する知識を持っているか、実際に漫画を呼んだか、アニメを見たかで大きく変わるでしょう。

相手との関係性や、その場の雰囲気、会話の流れ、お互いの表情、自分自身の過去の経験、頭の中に抱えている課題など、その瞬間を自分自身にとって特別なものにする要素はいくらでもあるはずです。

もちろんこれは言葉に限りません。現場を見ることや、手を動かすこと。実際の現場に身を置き、自分の肌で感じ、自分自身で得られたものこそが私達が仕事をする上で、あるいは仕事で成果を出すための根源になるのです。

特に、私の仕事のように「いかにして新しいものを生み出し、社会にポジティブなインパクトを生み出すか?」を考える上では「自分がどう感じたか?自分が何を考えたか?」がとても重要になります。

ものづくりに魅入られて


私は子供のころから、ものづくりが好きでした。そのきっかけはロボットコンテストだったような気がします。ロボットの仕組みなんぞ、まったくわかっていない子供時代の私でしたが、学生たちが自分自身で作ったロボットで戦う様子を食い入るように見ていました。自分もいつか、あんなロボットを作りたい。そう思った私が中学校卒業後の進路として高専を選びました。

自分の手でものを作る。そのための技術を思う存分勉強できる。同級生はみんな技術が好き。課題やレポートが山程出るという辛い点もありますが、ものづくりが好きで、技術を極めたいと思っていた学生にとって、これ以上の環境は滅多に無いでしょう。

私は高専を卒業してもう15年以上が経ちます。東京の会社に就職し、デンマークに留学する機会もありましたが、この「ものづくりが好き」というのは今でも変わりません。

あえて違いを述べるのであれば、学生時代はHow、つまりどう作るかを考え、手を動かすことが中心でした。人工衛星からWebサービス、ハードウェアからソフトウェアまでとにかく色々なものを作っていましたが、プログラミングをしたり、回路を設計という仕事はとても楽しく、それらに熱中している間は文字通り寝食を忘れる事ができました。

一方で、社会に出てからはWhat、つまり何を作るか?を考える機会が増えています。ただ上司から指示されたものを仕様書通りに作れば良いと言うものではなく、今後会社として新しく立ち上げる事業や、新商品として、あるいは新機能として何を作るべきだろうか?について考えなければなりませんでした。

学生時代に注力してきた「ものづくり」と、社会に出てからの「ものづくり」は違うようにも見えますが、誰かにとっての新しい価値をお客さんに届けるというゴールは同じであり、役割が違うだけと捉えることもできます。

美しいカオスの中で

ものづくりのプロセスは必ずしも一方通行ではありません。特に、何を作ればよいかを考える段階では、その傾向が顕著です。プロダクトの方向性が定まるまでは議論に議論を重ね、試作に試作を重ねます。ようやくプロダクトの形が見えてきたと思ったらスタート地点の近くまで戻ったりもしています。

外部から見ると出口が見えない混沌とした状況の中で、やみくもに走り回っているようにも見えるかもしれません。行ったり来たりを繰り返しながら、ものづくりは前に進みます。この様子はさながらカオスと表現するのが適切かもしれません。しかしこのカオスの中で、議論を重ね、手を動かしながらものづくりを前に進めるプロセスはある意味で美しさを併せ持っているように感じます。これが私をものづくりの現場に惹きつける理由のひとつかもしれません。

「何を作ればよいのか?」という問いに答えるのは、どうすれば良いのでしょうか。ものづくりとは言ってしまえばお客さんにの課題を適切に捉え、その課題を解決する適切な方法を見つけ出すことです。言葉にすると簡単ですが、これは思った以上に難しいことです。

なぜなら私達はひとりひとりが全く異なる生活を送っています。考えていることも違えば、好き嫌いも違います。「このような製品があれば全員が喜ぶ」と言える実現可能なアイディアを見つけるのは至難の業と言っても良いでしょう。

そもそもまず顧客が誰かを定めるのが困難です。そうなると顧客のニーズがわかりませんし、顧客が何を欲しているかもわかりません。顧客が欲しているものがわからないわけですから、ソリューションとして何が適切かを考えるのも困難です。仮にソリューションが決まっていたとしても顧客が誰かわからないのでは、顧客の課題を解決し、顧客に価値を提供できるかかわからないなど、プロジェクトの初期フェーズにはわからないことだらけです。

会議室の中でこの状況を切り抜けることは困難を極めます。議論が前に進まないのは顧客や課題に関する理解が不足しているからであり、それを補うためには直接現場を見て、直接顧客と対話をするしか有りません。そして自分の手で、あるいは顧客と一緒にソリューションを作ること。そして、ソリューションをもとに顧客と対話することが必要です。

インスピレーションが道を作る

「理解する」という言葉を使って説明したものの、インスピレーションと説明するほうが適切かも知れません。なぜなら顧客がひとりひとり異なり同じ人間が一人として存在しないように、ものづくりに携わる私達も同様にひとりひとり異なる人間です。冒頭で述べた通り、同じ情報を見聞きしたとしても、そこから感じる内容は人によって大きく異るのです。それは自分のバックグラウンドであったり、これまで経験してきたものによって差が出るのかも知れません。

学校の授業であれば誰が教えても、誰が学んでも同じ内容になります。人によって7×8=57になったり、7×8=59になったりはしません。大阪城を築いたのは豊臣秀吉だし、水が沸騰するのは100度です。ところが人は文字や数式で明瞭に定義できるものでは有りません。

顧客に対してインタビューをすると、その瞬間にしか得られない情報、対話している当人しか受けないインスピレーションがあります。発言内容は発言内容として議事録に残すことができるかもしれませんが、その発言の意図については解釈の余地が生まれます。これらインタビューで見聞きしたことや、それらを解釈することによって新しいアイディアに関するインスピレーションを得る場合もあるでしょう。

インスピレーションというと非常に曖昧なもののような印象を受けるかもしれませんが、私達は新しい発想をするとき、何らかの刺激が必要です。頭の中で、あるいは会議室の中で何時間も、何日も悩んでいたことがちょっとしたインスピレーションによって大きく前に進むなんてことを経験をしたことがある人は多いはずです。

好奇心をつねに

良いインスピレーションを得るにはどうすればよいのか。私はこの問に対し好奇心の重要性を唱えます。自分たちが生み出そうとするプロダクトの顧客について、もっと知りたいと思うこと。ちょっとした仕草や発言に興味を持つこと。これが重要であることは述べるまでもないでしょう。

一方で、業界や関連する製品にアンテナを張り続け自分なりに社会を解釈することも同様に重要です。知識がなければ適切なインスピレーションを得ることはできません。インタビューをするにしても、観察をするにしてもトピックを理解するにはある程度の知識が必要であることが多いのです。

私達は、様々な業界のクライアントさんと一緒に働く機会がとても多いです。例えばコールセンターのプロジェクトであればコールセンターのことを勉強しなければなりません。コールセンターがどのような仕組みで運用されていて、よくある課題としてはどのようなものがあるかは当然知っておくべきでしょう。

製薬業界のプロジェクトであれば製薬について学ぶ必要がありますし、物流に関するプロジェクトであれば、ロジスティクスの勉強をしなければなりません。ディープラーニングに関するプロジェクトやバーチャルリアリティであればディープラーニングやバーチャルリアリティについて学ばなければならないでしょう。

これらの知識なく顧客にインタビューをしても有効な知見はあまり得られないことがほとんどです。製薬企業によってプロセスは多少異なるとはいえ、創薬の流れを知らずにケミストにインタビューするのと、適切な知識を持ってインタビューするのでは、同じ1時間のインタビューだったとしても得られる情報の質、量が大きく異るはずです。

様々な情報を集めて対象を理解し、それに対して自分なりに意味づけしていく。このプロセスは好奇心がなければ続かないことなのかもしれません。業界の知識であれ、技術に関するプロジェクトのたびに新しいことを学び続けるというのは、大変だねと言われることもありますが、私はどちらかというとこの状況を楽しんでいると思っています。

おわりに

現代はVUCAな時代であると言われています。複雑で、曖昧で、未来が読めないこの社会においても、より新しいもの、より価値のあるものを作り続けるためには、これまでのやり方では不十分でしょう。

私達が本当に向き合うべきは、パワーポイントの資料や、会議室で隣に居る上司や同僚ではないはずです。顧客にを理解し、彼らをものづくりのプロセスに巻き込み、彼らと一緒にものづくりに挑む姿勢が大切だと信じています。そしてそのために大切なことはできる限り現場に身をおき、現場で起こっていることを自分自身の肌で感じることです。

このようなプロセスでものづくりに取り組むと、質の高い、膨大な量の情報を得ることができます。そしてそこから得られるインスピレーションはまさに宝の山とでも表現すべきものでしょう。宝の山に囲まれながら、手を動かし続けることは本当に楽しいのです。

このnoteは、Panasonicと開催する「 #自分にとって大切なこと 」投稿コンテストの参考作品として、主催者の依頼により書いたものです。

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