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同じ熱量の心配を求められて応じないと冷たいと言われたこと

もう随分と昔のことではあるけれど、長男がよく吐く子供だったので、頻繁に吐瀉物の片付けをした時期があった。

誰かが吐いたものは苦手だからと父親はいっさい掃除をしなかった。好きこのんで片付けたいとは思わない。目の前のものを綺麗にしないと、息子も私達もまともに眠れないならば淡々と処理はできる。

だから真夜中でも朝方でも処理担当は私だった。やっと片付けてとにかく身体を休めたいと横になったときにすでに、騒動で目を覚ました男達が寝ていれば、すとんと眠れるので助かる。

ところが。

長男の嘔吐が週に2〜3回あると、いろいろ考えて眠れなくなった父親が、なあ、と話しかけてくる。

「一体なぜこんなに頻繁に吐くんだろう?何か重病の症状なのかな?お前は心配にならないのか?」

「先日、小児科医に言われたでしょう?検査をしても異常はなかったし、熱もなくてすやすや眠っているなら過度な心配をすることはない、って。」

「でももっと詳しく検査をした方がいいのかも。なんでお前は心配しないんだ。それでも母親か?冷たいヤツだな。」

相手にしないで私は目を閉じる。

「わかったよ。なにも考えていないんだなオマエは。明日、医者に電話する」

不貞腐れてやっと諦める彼。

やれやれ。ドットレッサ(女医)ってこういう電話をしょっちゅう受けてるのかな?ありがたいけど大変そうだなあ。そう思っていた。

嘔吐に限らず定期的に、特別身体検査を受けていた長男に何かあると尋常ではない心配をする父親をなだめることの方が、はっきり言って検査よりやっかいだった。

毎年数回の検査日が近づくとそわそわし始める。たいていは私が連れて行くのでどんな状況だったかを詳しく知りたがる。そして同じ説明を何度も求める。

検査結果が家に届けば、専門用語のわからないその書類を片手に看護師である妹に電話をする。自分を落ち着かせるために母親にも電話。

年に何度も繰り返されるセリフ。「俺はこんなに心配してるのに、お前はオレと同じように心を乱さない冷たいヤツだ」

やがて彼は私相手に何度も同じやりとりをすることを諦めてくれた。

当然、毎回の検査ごとに1回だけは、経過報告も担当医が言ったことも伝える。

同じことを聞かないでよ。繰り返したかったら話を聞いてくれる妹さんかお母さんに電話してね、と私が予めぴしゃりと予防線を張ることにした。

彼は心配をする時間の長さと深さを愛情の尺度にしている人。そこが私とは違う。違っていい。ものさしは人それぞれなのだから。

けれど自分の尺度を強要されても困る。彼の判断で「冷たい母親」と言われても、私はそのことばを聞き流す。架空の心配事でおろおろしないで、いざというときに動ける母であることが理想だから、気にしない。

吐いて汚れた衣服を替えて洗って、安らかに眠れるようにする行動自体が、私にとってのストレートな愛情表現。それを強要もしない。

職場で子供の健康診断の話題になり懐かしいエピソードを思い出しました。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2020.7.8 加筆修正転載)


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