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作家の名文は参考にならない川端康成編/作家の僕がやっている文章術049

私はストアカで講師を務めています。

受講生のKさんから質問を受けました。

「やはり芥川龍之介とか川端康成とか村上春樹とかの作品を読むほうが文章の勉強になるんでしょうか?」

創作文においては、YESでしょう。

創作以外の文章においてはNOです。

作家の文章表現は、個性を出そうとしています。

自分オリジナルの文章表現を意識して書かれているのが作家の作品です。

いわばクセです。

独特の旋律です。

独創の文体です。

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独自の観察眼が加わり、独自の思考が加わり、独自の世界観を描くのです。

作家の書く文章は、変化球です。

しかもストライクをとれる変化球です。

しかし変化球だけで3アウトをとれる投手はいません。

ストレートを投げられなくてはならないのです。

それも、とびきりキレの良いストレートを投げられなくてはなりません。

少年野球の小学生は、ストレートよりも、変化球に夢中になるのではないでしょうか。

なぜなら、面白いから。なぜならそのほうが格好よく思えるから。なぜなら、そのほうが勝てるように思い込んでしまうから。

<文例1>
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。
【「雪国」 川端康成】

川端康成がノーベル文学賞を受賞した『雪国』の冒頭です。

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ストレートな文章のようでありながら、変化球の文体を駆使しています。

有名な小説なら、読者は最初から「創作文章だ」と心構えを整えてから読みます。
むしろ、変化球の文体を味わうために読みます。
意味を読み取りにくくても、許します。
ときにそれは、作家への敬いですらあります。

「名文家の作家が書いた文章だ。むしろ、読み取れないのは読者が悪い」
という思い込みがあるのです。

川端康成は比較的、単文で書きます。

時間軸を早めに移行させるため、テンポが心地よい文章です。

暗喩の名人です。

「雪の積もった駅のプラットホームは夜の闇と対比して白くて明るい」
と書くべき説明文を「夜の底が白くなった」と比喩(暗喩)で表現しています。

情景のなかに対象(人物など)をちりばめて、それでいて混乱を招かないように処理できるのは、単文を効果的に使っているからです。

文末は過去形で、くさびのように事象をおいて書くので、一文は、次の一文に繋がる前に決着がつけられています。

さらに意図的な文章テクニックがあります。
会話体を音声として扱っている点です。

「駅長さあん、駅長さあん」

の娘の声に、対話相手はいません。

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明かりをさげて、耳に帽子の毛皮を垂れている男は、駅員なのかどうかすら、明確に書かれていません。

むしろ、娘の呼び声も、歩いてくる駅員であろう人物の様子も、すべて島村を取り巻く喧噪の情景として描き、処理しています。

官舎がバラックで“寒々と”散らばっている。雪の白さは、その先は闇のなかで見通せない。

列車を取り巻く情景は、直喩を使いながらシンプルに表現しています。

人が織りなす喧噪のせわしなさと、夜の闇の静けさが対比されています。

景色の上のほうに夜の黒と闇。景色の下のほうに雪の白と明るさ。

いま停車した鉄道と人々の動。雪国の果しない闇の静。

そこに島村がいるのです。

暗喩と直喩と対比のテクニックによって、主人公としては希薄な島村が浮き出されて読者に穏やかに印象づけられます。

こうした文章テクニックは、一文の表現で済ませられるものではありません。

「照明のような雪の白さ」という直喩に長けるだけでは、この雰囲気は書き尽くせるものではないのです。

文章の構築の方法で、作家の独自性を表現しているのです。
それが川端康成の文章の書き方なのです。

「やはり作家の作品を読むほうが文章の勉強になるんでしょうか?」

という問いに、

創作文においては、YESであり、創作以外の文章においてはNOだと私なら答える理由は、意図的に変化球をあやつれるかどうかだからです。

創作以外の文章に、書き手の意図による表現を持ち込んでは、読者は混乱するでしょう。

文章は鑑賞できるものを書くべきだという思い込みは、創作以外の執筆では無用のものだと考えるべきでしょう。


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