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紅茶の飲み方を教えてもらった高校時代

いまだにイギリス人は本気で議論する。

ミルクティーを淹れるときに紅茶を先にカップに注ぐか、それともミルクを先に注ぐかである。

私の持論はミルクが先だ。

なぜならカップにミルクの分子が磁器にうるおいを与えてカップに微細な亀裂が入ることがなく、紅茶渋で汚れることも避けられるからだ。

そもそもミルクの適量を測りやすい。

カップには温めたミルクを注いでおく。

ポットで丁寧に抽出した紅茶をそのカップに注ぐ。

持論だが、アールグレイやレディグレイなどの香りを高くした紅茶はミルクティーには向かない。

強い渋みが特徴のアッサムかキーマンかニルギリを使うべきだ。

旅先でもミルクを温めたいところだが、告白をしてしまうと冷たい牛乳で間に合わせてしまうこともある。

お茶の時間を持てなくなった現代に思う

アフタヌーンティーの時刻は午後3時。

私はこの習わしを、Boarding High school(全寮制高校)で先輩から教えら
れた。

たたき込まれたのは、黙って飲んではいけないということだった。

「会話を楽しめ。雑談ではいけない。うわさ話などはもっての外だ。読み終えた小説や、興味を持っている科学の話、鑑賞した美術、好きな音楽。政治の議論も構わないが、ほどほどにしておけ。ひそかな敵愾心は紅茶をまずくする。お互いを高め合うティータイムにしないと、紅茶は僕たちに香り立たない」

イギリス式にタワー型の皿にもられたサンドイッチやスコーンを囲んでとはいかなかったが、森永のビスケットでも、不二家のクッキーでも、紅茶を囲んでのひとときの会話は、それまで知らなかった見識や教養への扉を開いてくれた。

では一人でミルクティーを飲むときには、どうするのか。

リラックスと思考とティータイム 

「思考しろ。頭のなかに散らばっている考えや情報を整理しろ。自分の考えが足りないのは、たいていは情報が足りないからだ。短絡的で感情的な思考をしていないか、それを律するためにもティータイムは大切な時間だ」

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次に読むべき書籍は何か。

次に観るべき映画は何か。

次に知るべき知識は何か。

絵画は、音楽は、人物伝は、科学知識は……。

そんな風にして、紅茶を飲み続けてきた。

ゆとりがない時代だからこそ、ゆとりは自分で確保しなくてはならない。

言いながら、ゆとりを生み出せない私がいる。

ITに追われる現代でも、あの先輩はいまも午後3時のティータイムを楽しんでいるのだろうか。

誰と語らっているのか、それとも1人の思索に自分探しを続けているのか。

ウエッジウッドのティーカップに、紅茶を注ぐとき、あの日背筋を伸ばしながら、小澤征爾がタクトを振る姿を真似して語ってくれた先輩の顔を思い出すのである。


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