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流れゆく世界の中で


一週間ほど前に、熱海から、横浜のRest Inn Peaceに戻って?きた。


約2ヶ月滞在した熱海のお家を出るときは、なんだかセンチメンタルな気持ちになった。

でも、横浜に来たら、またいろんなことが楽しかったり嬉しかったり、心地良かったりで、結局、たくさんの『好き』を想い出している。

離れて戻ってくることで、今まで気づかなかったよろこびを新たに発見したり、新鮮な気持ちを体験している。



もうすぐ、6月だとは!



『コロナウイルス』が、多くの人にとって、色々なことを考え直すきっかけになっていることは間違いない、と思う。

お金や仕事、健康、そして、人との関わりについて。


だけど、コロナ後の世界で生き抜くために!という考えに捉われていると、きっとまたいつか、同じことを繰り返すことになるのだろう。


わたし自身、いま変わらなきゃ!という焦りがあったことに、そして、そのことが違和感として苦しかったことに気付いた。


感覚的に、『変わるとき』だということは、すごく感じている。ただ、それも、捉え方によって、向かう方向が全然違ってくるなぁ、と思った。


たとえば、仕事の形態を『こうするべきだ』とか。お金に対する考え方を『こう改めるべきだ』とか。人との関わり方を『こう変えるべきだ』とか。



どこまでいっても、


べき。 べき。 べき。



ぐぉーーーっ。


ぐるじっ。



うむ。これは、わたしの頭の中の話です。でも、きっと、そんなふうに焦りの気持ちを感じたのは、わたしだけじゃないような気がしてる。


状況や環境、常識は、どんどん変わっていくのだ。コロナ後も、流れるように、世界は続いていくのだ。(と思う。)

その流れに適応しようとすることも、大切なことだと思う。そもそも、本来の自分が必要としない物や考え方にしがみついていることは、やっぱり苦しいから。



だけど、わたしは、めっちゃ大切なことを忘れてた。


それは、その変化の中で、自分が何を大切にして生きていくのかを、わたしは『本気で自由に選べる』ということだ。


『本気で自由に創造できる』ということだ。


この変化は、『コロナ後の世界で生き抜くための転換点』ではなくて、『自分が本当に生きたい世界を選び、創造していくためのきっかけとなる、ただの、ジャスタァビッグチャンス!』なのであって。

こうあるべきなどということは、本当に何もなくて。



だから、それぞれの人がどんな生き方を選ぼうと、本当に自由なんだろう。


状況や環境は、あくまできっかけやヒントでしかないのだなぁ、と思う。

わたしにとって大事なことは、自分の心が、からだが、本当は何を言っているのかを感じて行動することだろう、と。


そして、そう考えたときに、変わることへの恐れや不安は感じても、苦しさはない。

やわらかさとあたたかさ、そして、力強さが、ある。



状況や環境的に制限はあると思えても、感覚には、こころには、一切の制限がない。

この、感覚の自由は、こころの自由は、いったい何のためにあるのだろうか?




『自分だけの真実』を、大切にしたい。




これから、どんな世界を創造していくんだろうか!


文章のテンションは低いけど、実は、めちゃくちゃワクワクしている。





それから、noteを全く書かなかったこの1ヶ月近くのあいだ、わたしは、ひたすらに『遊んで』いた。


実は、自分なりの遊びの感覚が見つかって、ひとりでそれを楽しんでいた!

そして、それが、『いま』に繋がっていると思う。


次は、そのことについて書きたいと思う!



あなたという神と、わたしという神へ、ありがとう♡