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『NŌ THEATER』

少し前ですが、岡田俊規「NO THEATER」を観劇しに京都へ。

あの大雨の日です。こんなに濁流の鴨川初めて。
でも、京都まで行ってよかった。

振り返れば

初めてチェルフィッチュを好きになったのは、
2011年にKAATで見た「ゾウガメのソニックライフ」。

「もう私はこの頑張らなきゃいけないっていう時代の空気感が嫌い!」
っていうセリフを聞いた時、
私、めちゃめちゃ時代の空気感に流されてる!!
とはっとしたのでした。

よく練られたセンス抜群の文章で
言語化された感情は耳にも脳にもとっても心地が良い。
(岡田利規の小説を読めば自明。みんな読んでほしい!)

それに加え、岡田利規が言う「日常的な身体はノイジーである」ということ、
自分の身体と意識は別物であり、
身体は身体で勝手に多くを語る/読み取るということに、
私はまだ気づいていなかったので新鮮でした。

今回も、

セリフのセンスは抜群で
「世の中は、僕に対する需要はない」
から始まりぐいっと引き込まれる。

経済や女性差別について直接取り上げており、
中途半端なインテリ層の身としては
ちょっと感想を言いづらいというか、下手なこと言えないな…
というのが正直なところですが、(中途半端なプライドの自分が残念)

能という構成や、演者がドイツ人である点が、
言いたいことを言うのにちょうどよい装置になっていたのかなと思います。

「どんな気分がする?衰弱に向かう国の若者でいるというのは。」
というセリフにはドキッとしました。

そっか、私って、衰弱している国で若者をやってるんだ。

自分の現在の生活についての肯定感も薄い私は、
めちゃくちゃ焦りを覚えました。

演劇の感想は難しい。

演劇アレルギーの人でも大丈夫。なんか、痛々しいやつ、って思ってる人でも大丈夫。チェルフィッチュの舞台は絶対安心的おしゃれです。

ちょっとおしゃれな舞台観に行こうよ~ぐらいの軽い感じで
友達を誘ってもいいのかもしれない。

自分の解読できる範囲は狭いから、私はもっといろんな人の感想を聞いてみたいです。

なんでチェルフィッチュをまた見たいと思うのか?
はもうちょっと自分なりにかみ砕いてゆこうと思います。