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【展覧会】『The UKIYO-E 2020』東京都美術館で浮世絵を深く知る

最近、積極的にアートに触れる、知ることを心掛けています。

ここのところ、ずっと「浮世絵」が気になっていたのですが、タイミングよく、ぴったりの展覧会が始まりました(会期の前期と後期で鑑賞できる作品が違うようです)

構成は、初期の浮世絵から始まり、錦絵の誕生、美人画・役者絵と続き、後年の葛飾北斎などがよく描いていた、自然描写と物語の世界へと繋がります。

絵そのものだけでなく、時代の流れもふくめ、網羅的に知ることができました。※詳細はnote最後

浮世絵は、江戸中心に、当時の一大ポップカルチャーだったみたいですね。

数百点を一気に鑑賞しましたが、情景の全体的な描写や着物の細やかな絵柄などは好きでしたが、美人画や役者絵そのものには心躍らなかったです(美人の定義が今と違う、というのもあるかも知れません)

逆に、当時の日常生活がありありと描かれている絵や名所、風景画、プルシャンブルーなどのハッとする色彩の絵は、いつまでも見ていられるなーと感じました。

いくつか印象的だった絵をご紹介します。

1.雪月花シリーズ 青楼雪 鈴木春重

彼は、細身で可憐、繊細な表情の美人画で人気を博し、浮世絵というとまず思い浮かべる木版多色摺りの錦絵誕生に決定的な役割を果たし、後の浮世絵の発展に多大な影響を及ぼしました(Wikipediaより)

着物を着て、暖をとりながら、外の雪景色を見る。日常の一コマですが、色合い良く描かれていました。

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2.大川端夕涼み 鳥居清長

平井浮世絵財団所蔵で、40年ぶりの公開。

隅田川で夕涼みをしている女性たちで、8等身に美化されて描かれていたとのこと。浴衣や帯の柄、髪型は違えど、今も昔も、夏の過ごし方は変わらないなあと感じます。
ひさびさに京都 鴨川の川床に、行きたくなってきました。

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3.富嶽三十六景シリーズ 葛飾北斎

有名な「凱風快晴」、「山下白雨」、「神奈川沖浪裏」は、所蔵館ごとの微妙な色合いの違いなどを、見比べることができます。

下記あたりが、好きな絵に加わりました。

「青山円座松」
山の上で🗻を眺めながら、楽しそうに宴をしています(笑)
なんと、ここは現在の原宿 神宮前だそうです。

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「駿州江尻」
大事な書類が風に舞って飛ばされてしまっていますが、誰も顔を上げれないぐらいの、強い風だということが伺えます。

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「甲州三坂水面」
敢えて現実と水面に映る構図をずらしつつ、さらに現実は夏、水面は冬の富士山という、あり得ない世界を描いています。

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「礫川雪ノ旦」 
三十六景のなかで、唯一の冬景色。嬉しそうですね。

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ほかにも「諸国瀧廻り」や5図だけの「百物語」などの作品も、鑑賞することができます。


4.東海道シリーズと広重花鳥大短冊撰 歌川広重

東海道五拾三次シリーズ』と『江戸名所百景』が人気作。
ヒロシゲブルーと呼ばれる青の使い方が、フランスに大きな影響を与えたのだとか。ブルーは空も海も描けて、なにか神秘的な色ですよね。

衣服の藍色も含め、日本人にとって「ブルー」は特別な色だったのだのですね。(畑仕事をするときに、藍色だと汚れが目立たないというのも、好まれた理由だとか)

「品川 日之出」
今の品川からは想像できないですが、早朝の宿場町。朝焼けと白い帆の船が爽やかです。茶屋を開けている女性たちと、東海道へ向かう大名行列の最後尾が描かれているそうです。

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「八重桜に小鳥」
ピンクの八重桜に、軽やかな春の訪れを感じます。

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「雪中椿に雀」 
冬の花である椿と、エサを欲しそうにこちらを愛くるしい顔で見つめている雀がかわいいです。グレートーンなのですが、そこまで暗く感じないのは、やはりアクセントに赤が効いているからでしょうか。

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5.そのほかの浮世絵師

●昼夜十二カ月「さつき たんご かやり火」 北尾重政
●美人奥庭遊宴 見立妹背山 勝川春潮
●美人遊興 鳥文斎栄之
●「三ひらの内」磯の五羽鶏 窪俊満

あたりも繊細な色のタッチや細かい描写があり、よかったです。


ぜひ、行った方は、どの作品が好きだったか、教えてください(^^)/


展覧会構成(展覧会HPより

第一章 初期浮世絵

初期浮世絵版画は、延宝期(1673~81)頃の墨一色の版による「墨摺絵」に始まります。その後、墨摺絵に丹で筆彩色を施した「丹絵たんえ」、丹にかわって紅を用い、黄、藍で彩色した「紅絵べにえ」、黒色部分に膠を混ぜて漆のような光沢を出した「漆絵うるしえ」などが作られます。

延享期(1744~48)頃になると、彩色は筆彩色ではなく、紅や緑の色版を重ねる版彩色が行われるようになって「紅摺絵べにずりえ」と称され、多色摺の錦絵が生まれる土台となりました。

初期の浮世絵師としては、菱川師宣、懐月堂派、奥村政信などが活躍したほか、歌舞伎の豪胆な荒事にふさわしい独自の力強い描写様式を生んだ鳥居清信・清倍らの活動が注目されます。鳥居派が清忠、清広、清経、清満など多くの後継絵師を輩出した一方、石川豊信は独自に繊細で柔らかな画風を展開しています。

第二章 錦絵の誕生

明和2年(1765)頃、趣味人の間で絵暦を私的な摺物として制作し交換することが流行し、より美しい摺物を追求したことが契機となって、多色摺の版画が誕生し、錦のように美しい江戸の絵という意味で「東錦絵あずまにしきえ」と称されました。錦絵創生の時代に最も活躍したのが鈴木春信で、その夢幻的な美人画様式を多くの浮世絵師たちが追随しています。

明和7年(1770)の春信没後、礒田湖龍斎は次第に堂々とした体軀の現実的な美人画へと画風に変化を見せ、その代表作とされる「雛形若菜の初模様」シリーズは大判という判型を定着させる契機となりました。

役者絵においては、一筆斎文調、勝川春章らが、より写実的な役者の個性描写を追求しています。風景描写にも向上が見られ、歌川豊春は西洋画の透視図法を用いた自然な奥行きと空間を感じさせる浮絵を制作しており、以後の風俗画の背景描写にも影響を与えています。

第三章 美人画・役者絵の展開

美人画は、天明期(1781~89)に入って、鳥居清長が伸びやかな長身の美人画様式を生み、群像図を多く制作しました。寛政期(1789~1801)に入ると、喜多川歌麿は、半身像を描く大首絵おおくびえの様式を用いて、さまざまな階層の女性やその表情を描出します。武家出身の鳥文斎栄之は清楚で上品な美人像を描き、栄里、栄昌、栄水などの門人たちも活躍しています。

細判の多かった役者絵も大判の作品が増え、迫力のある画面が描かれます。東洲斎写楽は、寛政6年(1794)5月から1年たらずのわずかな期間の作画活動が知られるのみで、その後、忽然と消えてしまった絵師ですが、黒雲母摺くろきらずりの背景に浮かぶ役者の半身像は印象的で、国際的にも高く評価されています。一方、歌川豊国も「役者舞台之姿絵」の連作で好評を博し、歌川派の役者絵の基礎を築きました。

第四章 多様化する表現

寛政期(1789~1801)を過ぎ、文化・文政期(1804~30)に入ると、錦絵は、それまでの大らかな雰囲気から、より細密な描写となり、画面に表される情報量も増えていきます。

題名を入れる枠にもさまざまな装飾性が見られ、画面も単に対象物と背景を描くだけではなく、構図の上でもデザイン的な工夫が凝らされています。この時期には、洋風の風景描写への関心も高まりを見せ、遠近法ばかりではなく、水平線を低くとり、広い空と雲を描写するなど、大気を表現するような特徴が見られます。

美人画では、文化3年(1806)の喜多川歌麿の没後、菊川英山が人形顔とも称される美人像を生み出し、門人の渓斎英泉は妖艶な描写で人気を博します。歌川豊国の門人、国貞は若い頃から才能を発揮して、美人画、役者絵に活躍し、師の没後は、浮世絵界の第一人者となり、弘化元年(1844)に「豊国」の名を襲名して元治元年(1864)に没するまで、長い間、精力的な作画活動を行います。

第五章 自然描写と物語の世界

世界で最もよく知られている浮世絵版画、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を含む「冨嶽三十六景」シリーズは、天保初期(1830~33)頃に出版されました。また、歌川広重の代表作「東海道五拾三次之内」も天保4〜5年(1833~34)頃の作品です。それまでの説明的な名所絵とは異なる風景画のジャンルが浮世絵版画に大きな位置を占めるようになったのがこの時代です。

北斎と広重の作品は、単なる風景ではなく、雨、風、雪、月といった気象が絵画の大きな要素となっており、日本独特の美的感覚が表わされています。

歌川国芳は同じ頃、武者絵のジャンルで活躍し、物語の世界を豊かなイマジネーションによって絵画化しています。国芳はまた、西洋の様式を取り入れた近代的な感覚の風景画、奇抜なアイデアとユーモアの精神に溢れた戯画を描いて、独自の画業を展開しました。


▼過去美術系note




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