『姫路城 ぬりえアート コンテスト』のサポーター企業紹介 ♢濱中製鎖工業株式会社♢
『姫路城 ぬりえアート コンテスト』は今年で第3回となります。今年もまた多くの協力をいただいています。このコンテストは三木美術館が始めましたが、地元の企業様や商店様が参加してくださることで、より盛り上げることができるのでとても感謝しています。
ぬりえアートコンテストをサポートしていただいている企業様の横顔と姫路への思いをご紹介したいと思います。今回は濱中製鎖工業株式会社の濱中剛(はまなか ごお)氏です。
濱中製鎖工業(株)様には美樹工業(三木美術館の運営会社)が常日頃、大変お世話になっております。昨年に引き続きまたご協力を頂戴しまして、本当に感謝しています。まずはこの記事を読まれる方に濱中製鎖工業(株)様のことをご紹介ください。
濱中氏(以下敬称略):弊社は1936年に私の祖父にあたる濱中重太郎が個人経営として濱中製鎖所をおこしたことから始まりました。現在のJR姫路駅をはさんで姫路城や三木美術館さんとは反対側になる播磨灘に面した白浜町に本社をおく、製鎖メーカーです。姫路には約30社ほど鎖の製造を行っている会社があったんですが、それらが国内シェアの70%を占めていまして、その中心地がこの白浜地区になります。
今でもこの近くには日本製鉄さんの大きな工場などがありますが、昔から姫路は鍛造業や製鉄業が盛んで、大正時代のころになると「姫路の地場産業といえば”鎖の製造”」と広く知られていたようです。
そして祖父が製鎖所を開きました。さらに1957年にスウェーデンからフラッシュバット溶接機という大型の溶接機を購入し、供給したことでどんどん会社が成長していきました。簡単にフラッシュバット溶接についてご説明すると、通電する棒状の鉄の端面同士を突き合わせた時に発生する火花で端面を溶かし、圧力を加えて溶接する技術なんですが、この機械の導入によって大きな鎖も量産できるようになったんです。それまでは職人の手作業による部分も多かったのでこれで飛躍的に生産量が上がったといわれています。余談ですが、この溶接機の導入はなんとアジア圏初だったということですから祖父はすごい人でしたね。
濱中さんで製造されている鎖というのは、一般的に私たちの生活の中で使用
しているようなものとは全く違いますよね?
濱中:はい。タンカーやコンテナ船などで使うアンカーチェーン、石油掘削リグ、浮き防波堤や浮き桟橋などで使用する係留用チェーンなどですから、巨大サイズの製品がほとんどです。
私どもも濱中さんは日本の代表でもあり、世界でもトップクラスのメーカーさんだと聞いておりました。
ありがとうございます。こんな大型で超高強度の鎖を製造する会社は限られていますから、年月をかけて磨き上げてきたオンリーワンと呼べる技術をいくつも有していまして、そんなところがそういった評価につながるんですかね。それが可能になっているのは、より良い製品を生み出すために他社さんと協力していることも影響していると思います。例えば日本製鉄さんとは、特殊鋼の製造段階から共同開発をさせてもらっています。すでに1964年に船舶用のチェーンを共同開発したんですが、このG3と呼ばれる製品は、今日の世界基準となっています。
今後は、再生可能エネルギーの活用を促進させるために洋上風力発電の計画が日本でもあります。浮体式洋上風車であれば、このためのチェーンの更なる製造能力の増強が必要とされます。これからは弊社だけでは製造が間に合わないと思うので、色々な業界と手を組んで当たっていくことになると思います。
チェーンもやはり時代とともにどんどん進化していかないといけないのですね。ところで濱中さんが三代目社長を引き継がれたのはいつでしたか?
私が父から引き継いだのは2011年です。子供の頃から周りからずっと言われ続けてきたので、いずれは…と覚悟していましたが。まだ30代だったので、少し驚きました。その頃はそんなに景気のいい時期ではなくてどちらかというと苦しい時期でしたし。でも父は「経済環境が厳しいこの時期を経験しておけば、この後何かあってもそれがいい経験になるじゃないか」と言っていましたから色々と考えてくれた上での判断でした。
それまではずっと姫路育ちですか?
いえ、この白浜地区は先ほどお話をしたように鎖製造業が盛んな土地ですから、小さい頃から「お前はあそこの濱中だよな」って周りの皆から知られている状態で。それが嫌で嫌で仕方なくて、高校は地元を離れて広島の方に行きました。そしてそのまま戻らず、大学は沖縄へ。沖縄ではサーフィン三昧でした。そして就職する段になって姫路に帰って親の会社へ入社することにしたのです。
意外と帰郷するのは嫌ではなくて、スムーズに会社員生活をスタートさせました。離れていたとはいえ地元ですから、幼少時代の友人はほとんどが残っているので仲良くしています。つい最近もBBQを開いて集まったりしています。それにこの白浜地区には姫路を代表する祭り”灘のけんか祭り”があるので、地元の結束力は強いんですよ。
私の父は美樹工業の創業者である三木さんと親しくさせていただいていたようですね。私の祖父も父も美術品を愛好していましたし。ですから三木さんとも話があったんでしょうね。
『姫路城ぬりえアートコンテスト』はとてもユニークな取り組みだと思うので、ぜひ頑張ってください。応援しています。
今日はありがとうございました。
[企画・制作・ヴァーティカル]