見出し画像

みんなと一緒だから感じる安心感、その正体って?

満員電車に乗って「幸せだ」って感じたことがあるよ。

大好きな先輩がそう言ったのは、たしか数ヶ月前。彼が東京を去り地元静岡に帰るにあたり開かれた送別会での一言は、今もしっかり記憶にあります。(※会話の調子に脚色ありです)

「先輩、聞いてくださいよ。春休みが明けて久しぶりに大学に行ったら、早速通勤ラッシュに巻き込まれて。どうして日本って通勤ラッシュがなくならないんですかね。あれ、日本人の寿命を縮めていると思いませんか?」

ジョッキを片手に、通勤ラッシュについて彼に嘆いた記憶がある。

「わたしは大学生だから通勤ラッシュ地獄の3分の1も味わっていないけど、先輩はもっと大変でしょう?でも、静岡に帰ったら通勤ラッシュから脱出できるし、それはすごく良かったですよね」といった調子で。

長年お付き合いしていた彼女と籍を入れ、ふたりの地元である静岡で暮らすことを選択した先輩。先輩には、大学時代どれほどお世話になっただろう。だけどその日、彼はもう一つ、わたしに置き土産を残してくれました。先輩は優しい口調で、こんなふうに言ったんです。

「そうね、通勤ラッシュね。俺も社会人なりたての頃はさ、通勤ラッシュなんてなくなればいいって思ってたよ(笑)。でも、定時上がりで帰れず深夜まで仕事をして終電かタクシーで帰るような繁忙期が続いたある日、思ったわけ。

その日は久しぶりに早上がりできて、通勤ラッシュに乗ってさ。もうホームに並んでいる時からみんなごちゃ混ぜだよね。早く家に帰りたい、今日も疲れた、早く奥さんと子供の顔が見たい、家に帰ってビールを仰ぎたいって人たちが、ワーッと電車に乗り込んでくるあの地獄絵図。

だけどその日は、『ああ、俺日本中のみんなと同じように働いて、同じような時間に帰れているんだ』って思って。隣でうとうとしているサラリーマンに『お疲れ様です』なんて気持ちまで湧いちゃってさ。仲間意識ってやつ?大学生の頃は思わなかったよ、社会の歯車になって汗水垂らして働いているサラリーマンに対して、お疲れの一言も出てこなかった。

満員電車に乗れる幸せ、みたいなものがあるんだなってわかったよ。日本人特有のみんなと一緒が安心、みたいなものなのかな、でもみんなと一緒ってそんなに悪いことじゃないと思わない?」


***

なるほど。先輩の言葉で、満員電車とは「自分以外の誰かも頑張っている」ことが可視化される例の一つなんだな、と思いました。そこで私たちはある種の安心感みたいなものを得ることができる。一人で頑張っているってたしかにしんどいよなぁ、とも。

そういう意味では、たしかに満員電車って必ずしも悪い面だけじゃないのかなって思ったりしたんです。もちろん、人が運ばれているような光景は時に見るに耐えなく、乗っている方も気分がいいとは言いづらいとは思います。だけどもしかしたら、「今日も通勤ラッシュ、満員電車がやだなぁ」と嘆く人々の心の片隅には、「でもみんなと一緒」という安心感みたいなものがあるのかもしれないと思いました。

そして先輩のように、心から「お疲れ様」が出たりもする。それもやっぱりみんなと一緒だから……なのかなぁ。

先輩が残して行った置き土産、それは「みんなと一緒なことは安心なのか?」という、とても大きなテーマだったように思います。整理がつかない頭の中、今日は満員電車に揺られて帰りました。

ぎゅっと瞼を閉じたまま隣でつり革につかまるスーツのサラリーマンを横目に、先輩の言葉を思い出して。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?