LAST FRIGHT OF SAIGON#01/兵士の値段
1973年1月27日、キッシンジャーは(アメリカ合衆国の代表として)パリに、(北)ベトナム民主共和国/南ベトナム共和臨時革命政(南べトナム解放民族戦線のこと)/(南)ベトナム共和国(南ベトナム)を集合させた。そしてこの四者による会談によってアメリカ軍のベトナムからの撤収が決定された。これによって1968年から始まってきた「ベトナム戦争の和平会議」は一応の終結を迎えることになった。
同年3月、北爆停止声明を出すと同時にアメリカ軍の一斉撤収が始まった。
僕はそのnewsをオガンロポ/イーストタポーの南にあった米兵専門のクラブ「G'lden Boi」で聞いた。
オガンロポはスービック海軍基地に隣接する「基地の町」だった。内陸側からは、長い下りの末に辿り着く港町だ。スービックでの仕事が長くなる時は、僕らはいつもオガンロポに宿を取った。そして宿を取るついでに町内にあるクラブで演奏もした。斡旋はU.S.O.がしてくれたから、ギャラは基地内と一緒だった。・・その「G'lden Boi」のバーカウンターの上に有るTVで、TVに映るパリのキッシンジャーを、何人ものGIと共に見た。20歳を少し過ぎたころだ。傍らの米兵が言った。
「キッシンジャーのやつ、ニクソンにVCとGIの値段が違いすぎますって言っンだとよ。VCはひとり3ドル程度で作れる。GIはひとり30万ドルくらいかかる。だからGIひとりで10万人のVCを殺さなけりゃ損得が合わないってな。それを聞いたニクソンがビビッて、戦争は止めるって言いだしたんだとよ。まったく自分でアーマーライト持たねぇ奴らは好き勝手な算盤をはじきやがる」
「ふん!まったくだ。ンじゃNVAは幾らで売ってるんだ。あいつらのほうが安いのは最初からわかってるだろうが。最初から金だけ出して、勝手にやらせときゃよかったんだ」
NVAとは North Vietnam Armyのこと。VC はViet Congのことだ。・・僕は黙って頷きながら、毒づく米兵の間に交じってTVを見つめていた。
・・戦争が終わる。それは収入の道が無くなることだった。まだあと2年は・・できれば院までいきたいと思っていたから、せめてあと4年は・・実入りの良いバンド生活をしなけりゃいけなかったのだが・・戦争が終わる。となれば、終わるまでに稼げるだけ稼がないといけない。学校続けるにはお金がかかる。
基地回りの仕事は、危険手当が別に付いた。MDなところになればなるほど、実入りは良い。僕自身、どうしても短期で稼がなければいけないときは、そうした危険手当が大きい地区の仕事を取った。文字通り「命がけ」の仕事になることもあった。・・何人も知り合いがそんな仕事を請けてそのまま帰らないことがあった。なのでマネージャーの三舟さんは、僕らがそんな仕事を選ぶと怒った。
「また、しばらく三舟さんに毎回怒鳴られるなぁ」僕はTVを見つめながらそう思った。