カリブ海/象徴としてのサンマルタン島05-1512年12月27日・ブルゴス法(奴隷禁止法)発令
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カリブ海/象徴としてのサンマルタン島05-1512年12月27日・ブルゴス法(奴隷禁止法)発令

コロンブスの残虐性は同行した修道士たちも慄然とするものでした。彼らは黄金を手に入れるためには、なんでもした。黄金を持ってくるように命令されたアラワク族が少ししか持って帰らないと、見せしめに両手を切り落としたりした。あまりの非道ぶりです。修道士たちはこれを本土の教会に報告しました。
新大陸発見は、スペイン国にとって新領土の獲得で有って、そこに住む住人は当然キリスト教化されるべき人々です。レコンキスタの一環です。しかし、コロンブス・ピサロたちコンキスタドールたちは黄金を得ることが最大目的です。原住民のキリスト教化なんぞは、ついでのついで・・でしかなかったのです。
1500年、業を煮やしたスペイン・イザベラ女王は、原住民の奴隷化を禁止しました。
しかし、コンキスタドールたちは、これを全く守ろうとはしなかった。ブラジルでもカリブでも、先住民は狩り出され、黄金発見・近郊採掘のために、酷使され続けました。

その非道を修道士から報告を受けていたイザベラ女王は、1512年12月27日「ブルゴス法(Leyes de Bergos)」を発令します。
これは、先住民を奴隷して使役することを禁止。労働者として使うときは然るべき支払いをする。原住民に教育を与え、自発的にキリスト教に目覚めさせる。という三原則を中心においた法律でした。
つまり、先住民の人格と自由を、スペイン女王は認めていたのです。

もちろん略奪が目的のコンキスタドールたちは、そんな法令を守るつもりなぞ、さらさらありません。それでもエンコメンデーロ(スペイン王から、土地と先住民を分け与えられた人々)の間では、ブルゴス法はそこそこ機能したようです。おかげで先住民の一部は教育の機会が与えられましたが、結局のところスペイン人たちが持ち込んだ伝染病で、彼らもまた次々と斃れてしまいます。ほとんど功を奏することは有りませんでした。
激減する労働者。その壊滅的な労働者不足を埋めたのは・・イベリア半島を経由して運び込まれてきた西アフリカ・象牙海岸で売買されている黒人です。このプランテーションで黒人奴隷を働かせるという方法は、急速に広がって行きました。
黒人は頑強でよく働く。アラワク人4人分を黒人1人がこなす。そう言われていました。
ポルトガル王室が、スペイン王室に吸収されて、アフリカ利権がスペインに開かれると、スペイン人たちは直接、西アフリカ・象牙海岸に赴き、黒人奴隷を買い漁るようになります。こうしてプランテーションで働く人々は、早晩黒人奴隷だけになってしまったのです。

となると。。先住民は、スペイン人にとって恭順化させ、手懐けるものではなくなってしまいます。ブルゴス法は有名無実化してしまいます。スペイン人たちは先住民を毛嫌いしていました。既に温厚なアラワク族は殆ど絶滅しており、残るのは好戦的なカリブ族だけになっていたからです。こうして奉ろわぬカリブ族は、人食い族として狩られ、殺される人々になっていきます。
「良いカリブ族は、死んだカリブ族」という風に思われていたのです。

1674年の大虐殺の後、ドミニカのカリブ族は島中央のジャングルに潜み、徹底的なゲリラ活動を続ける存在になりました。
その戦いは20世紀初頭まで続きました。
1797年、セントビンセント島でイギリス軍と戦ったカリブ族は、徹底抗戦し、最後は全員が断崖から飛び降りて死んでしまいました。

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勝鬨美樹/銀座グランブルー

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1951年生まれです。ついに70の声をきく年になってしまいました。このnoteではワインを巡る歴史話。僕が子供の頃の東京下町のこと。青春時代に歩いた米軍キャンプとNYCの話。銀座グランブルーのこと。そして日々徒然に書き散らしたものなどを並べています。