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東京語#03/はじめに03

高校時代(1960年代後半)「新宿、遊びに行ってくらぁ」と母に言うと、母は真面目な顔で言った、
「およしよ!そんな遠いトこ行くのは、あスこは駅前で牛啼いてンだから」
生涯の大半を中央区/千代田区/江東区だけで過ごした母にとって、"世界"とはこの三区だけだったのかもしれない。(よくまあそれでアメリカ人と一緒になったもンだといつも感心してるンだが)
そんな母の言ぃ草を、僕はいつも「啼いてねぇよ。いつの時代のこと言ってンだ。」と笑い飛ばしていた。
と・・言いつつも、僕自身も東京の北限は山手線上部までで、総武線をそれより上に行くことは殆どなかった。ましてや新宿・高田馬場・池袋から出ている私鉄に乗るなんてぇことは皆無だった。考えてみると、母にとっての「東京」は拡大しても朱線引き(15区)までだったように、僕にとっての東京も23区までだったのかもしれない。
ところが、大学時代に出来たバンド仲間の一人が立川の産で、どんなきっかけだったろうか彼の実家へ遊びに行ったことが有った。
そこで、彼の母堂から言われたんだ。
「そこに バナナあんだんべえ? 食っていいでぇ」
台所に有った山盛りのバナナの房のことだったと思う。すこし色が変わっていた。
僕の友人が言った。
「こりゃあ あんだんべ 食えんのかぁ?」
「あんちゅうことよう でぇじょぶだぁ 食えぇ」
全ての会話が語尾上がりで、異界に来たような・・友人が突然異星人になったような気がした。
その時思った。
あ。きっとこの間まで、この会話の傍らで牛が鳴いてたんだ・・と。
母は間違っていなかった・・と。
このときがナマの武州弁を聞いた初めての体験である。
友人は、自分の親と話をするときは武州弁を使い、僕と話をするときは共通語を使っていたのだ。バイリンガルだったのだ。これが結構ショックだった。それと、その時はっと思ったんだが・・彼の使う言葉のほうが僕のそれよりキレイなのだ。彼は僕のようなざっかけない(これも東京弁)言い回しはしない。端整なのだ。上田万年が標榜した「美しい日本語」なのである。
・・少し拡大解釈して云うと、非首都圏方言話者の話す共通語のほうが間違いなく美しい。おそらく言文一致の中に絶妙に残されている文語体が絶妙に活きているからだろう。比して僕の言葉は徹底して口語体でアクセント・表現・語彙の使用が隅田川流域の人のものだ。しゃべり言葉の中に文語が混ざることは、ほゞない。
前回「東京出身者は、相手が東京出身かどうか、アクセントと言い回しですぐに判る」と書いたが、逆に関西出身の友達に言われたことが有る。「東京生まれ東京育ちの人はすぐわかる。アクセントがへんやから」なるほどな、逆もまた真なりか・・

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勝鬨美樹/銀座グランブルー

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました

ありがとうございます。これからも書き続けますので是非ご高覧下さい
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1951年生まれです。そろそろ70の声をきく年になってしまいました。このnoteではワインを巡る歴史話。僕が子供の頃の東京下町のこと。青春時代に歩いた米軍キャンプとNYCの話。銀座グランブルーのこと。そして日々徒然に書き散らしたものなどを並べています。