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麦の伝搬と古代文明の成立#03/西へ西へと広がった

ギリシャ人とフェニキア人たちは、まず初めにエーゲ海に出会います。そしてそれを越えてイオニア海に出会う。その北端はアドリア海です。こちらを航海するのはそれほど至難ではなかったが、イオニア海を直線で西進するのは至難でした。
その先にイタリア半島が有った。
ギリシャ人たちの中で、このイオニア海を越えようするグループは少なかっったのですが、他の海洋民族たちは果敢に何度も何度もこの海に挑みました。それが成功すると、イタリア半島はギリシャ文明と違う様式のものが数多く花開きました。

そのイタリア半島北側には、エトルリア人が先住民族として暮らしていた。彼らは高度な文明を持っていたと云われています。しかしこのエトルリア人が何者なのか、いまだに完全にはわかっていない。彼らが、どこをどう通って、その地に至ったか、いまだ謎なのです。歴史家ヘロドトスは、彼らはリディアからの民であるという。しかし実態は分かりません。

そしてイタリア半島南側には、イタリック人が先住民として暮らしていました。イタリック人の出自はかなり分かっています。彼らは前述した灌漑技術をもつインド・ヨーロッパ語族の末裔です。アナトリア(今のトルコ東北)から拡散した人々です。彼らがそのままラテン人になる。彼らは1粒が、たった一年で100倍200倍になる魔法の食物を持っていましたから、瞬く間に巨大国家へ育っていきます。しかしそのためには、たくさんの人が必要です。ラテン人は、異民族でも彼らの文化に同化し、共に働き共に戦うなら鷹揚に受け入れました。これがローマの文化になりました。

ローマ人は、ローマ人という特有の民族ではなく、イオニア海を渡ってきた、さまざまな民族がラテン人に融合した民族なのです。この過程の中で。イオニア海を渡ってきたフェニキア人も北方のエトルリア人も併合されて、ひとつのローマ人にまとまっていきました。ローマ帝国の誕生です。

さて。もうひとつ見つめるべきことがあります。
それはイタリア半島の西側に広がるティレニア海です。
もちろんフェニキア人もローマ人も、他の海洋民族も、この海に挑んだ。その旅はコルシカ島やサルディーニア島までは可能でした。しかしそこからもっと先の地中海は・・スペインまではあまりにも遠い。越えることが出来ない大きな障壁です。
地中海文明の西進は、沿岸伝いに少しずつ進むしかなかったのです。

ローマ人たちは、ピレーネ山脈の向こうに文明が有ることは知っていました。しかしそれが地中海南沿岸を通ってスペインに辿り着いていたフェニキア人の末裔とは知らなかったようです。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました