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ぎんざものがたり1-7/アーニーパイル劇場07

ステージは翌日朝から練習が始まった。ステージの横にアップライトが置かれ、紙恭輔が座った。
全体のショーは数10のパーツに分かれ、伊藤道郎が全体とのつながりを説明しながら一つ一つ振付を付けた。
黙ってステージを見ていた紙恭輔が途中から音楽を挟んだ。曲は著名なブロードウェイソングだった。振付魔途中で曲が何度も替わった。振付と曲が少しずつじっくりと纏まっていった。衣装と大道具小道具は伊藤道郎が描いたラフスケッチから次々と試作されていった。これも途中で何度も作り直しが起きた。
小道具や衣装が東宝の持ち物で足りなくなると、JabberKolgが何処からか調達をした。スタッフの食事飲み物は完全にJabberKolgの担当になった。彼の気配りが発揮されると、一気に彼の評判は好転した。
日本語だが話しかける者も増えて、JabberKolgは上機嫌になった。
東宝の舞台は完全に外部から遮断された。
2月17日に金融緊急処置令が唐突に発令され、国内すべての銀行が閉鎖されたが、スタッフは動揺しても仕事の手は止めなかった。JabberKolgが当面の現金をUSOから持ち込んだからだ。
全員は当面の不安を振り払って、一丸となり2月24日を目指した。

そして当日。午後2時。初演が開かれた。冬の空は快晴で気温は上がらないままだった。零度近かったが観客は早くから玄関の前に集まった。
紙恭輔は結城総支配人の部屋から外を見つめていた。伊藤道郎は舞台に貼り付いたままだった。テーブルの上にコーヒーが並んでいるのはJabberKolgの尽力である。開場すると、帝国ホテルからの客が中心になった・
「帝国ホテルから出で来る将校がおおいですね」紙恭輔が言った。
「本日は、高級将校だけが招待されています。帝国ホテルは将官だけの宿舎になっております。そのためでしょう」
結城総支配人はの声は心持硬かった。
「まさに皇国の興廃この一戦に・・ですね」紙恭輔が穏やかに言った。「しかし伊藤道郎君は勝ちますよ。私さえ見たことない本場仕立ての作品です」
「何回か観ました」結城総支配人が言った。「何回か見たブロードウェイを髣髴させる作品でした。少女たちも懸命に答えていた・・」
「はい。あの若々しさに。顧客は喝采します」
「希求します」結城総支配人は紙恭輔はつぶやくように言った。

3000人の席は将校だけで埋もれた。満員だったが騒然とした雰囲気は皆無だった。
ショーは始まった。オーケストラボックスには紙恭輔がコンダクターとして立った。
ショーは大成功だった。続いて2回目が19時。これも絶賛の拍手で終わった。
最後のフィナレーで全員がステージに並んだ時、観客はスタンディングで喝采した。
ステージ緞帳の奥で、久我進は「勝った」と震えた。
1946年3月11日『東京新聞』が「賑わう“アーニー・パイル” 専属少女舞踊隊も出演」という記事で紹介している。もちろん記者は入場していない。風聞だけの記事だったが、取材先は間違いなく副支配人だった久我進からである。
・・終焉後、歓声の声を上げながら三々五々劇場正門から去っていく観客を、総支配人室の窓からロバート・バーガー中尉Lieutenant Robert Bergerが見つめていた。彼は歯ぎしりをしていた。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました