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ご府外東京散歩#09/プレタポルテな地方自治体制#01

敗戦国日本を統治すべく上陸した聯合軍は、アメリカ軍/イギリス軍/ソ連軍/フィリピン軍/中国軍/オーストラリア軍/カナダ軍/フランス軍/オランダ軍/ニュージーランド軍/インド軍によって構成されていた。その数は43万人。しかし大多数はアメリカ軍とイギリス軍だった。統治はイギリス軍が中国・四国地方を統治し、残る都道府県はアメリカ占領軍が統治した。その聯合国最高司令官Supreme Commander for the Allied Powersを務めたのがダグラス・マッカーサー。彼の許で東京に、連合国最高司令官総司令部General Headquarters/the Supreme Commander for the Allied Powers (GHQ/SCAP) が設置されたのは1945年10月2日である。

この聯合国軍から日本国政府へ向けて出される指令にはSCAP Index Number(SCAPIN)が振られた。第一号SCAPIN-1は1945年9月2日に出されている。SCAPINは2204(1952年4月26日)まで出された。SCAPIN-1は、日本国(軍軍)は指定された連合国の司令官に降伏、すべての現時点での部隊配置を明らかにし、後日の武装解除に向けて軍備を保存するようという指令だった。
爾来7年間、日本政府はこのSCAPINに翻弄され続けた。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9885063

勝利者である聯合軍は「独裁者に支配される人民の解放」を標榜した。「自由の使者」を気取った。しかし彼らが、決して日本国民が自ら切望した「解放者」でないことは、その東京入城時に、ただ一人として路傍に立ち歓声と共に迎え入れる者がいなかったことからも窺い知れよう。パリ解放時を見よ。あの日、パリ市街が如何ほど歓声の嵐に包まれたか・・
昨日まで日本政府/軍から「全員で死のう」と言われてそのつもりでいた日本国民は、陛下の御判断でそれを投げた。そのことに途方に暮れていた。呆然としていたのだ。誰も解放者が連隊旗を立てて我々を助けに来てほしいとは思っていなかったのである。

しかし。幸いなことに・・全く幸いなことに。アメリカ占領軍(USOF)が統治のために組成した連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)には、多くのニューディラーNew Dealerが雇用された。当時アメリカのニューディール政策は半ば頓挫していた。
"新しいアメリカ"を夢見た若者たちが、新天地/雇用先を求めて多数太平洋を渡ってきたのである。
・・ニューディラーについて、その民主社会主義的な部分が強調されることが多い。しかし、僕は彼らの心の中に、リンカーンがゲティスバーグの戦いに寄せて行った演説と同じ精神性を強く見てしまう。「これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。」
彼等は、米国内での失意を背負って、理想の新国家を紡ぐべく日本へやってきた人々だった・・のである。つまり・・総論で云うならば、彼らは「感謝すべき善意に満ちた支配者」であり、各論で云うならば「独善的なオタメゴカシを押し付ける支配者」だったと云えよう。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました