ぎんざものがたり1-1/アーニーパイル劇場01
https://www.youtube.com/watch?v=VgNLMiesBPk
3月28日、出社初日。小美世は和装を勧めたが千鶴子は洋装を選んだ。RAAのダンサー寮からまだ荷物の引き上げはしていなかったので、普段着だった。
「初日なのにねぇ」小美世が名残り惜しそうに言った。
千鶴子は微笑みながら玄関に立つと、ゲンが台所から顔を出した。
「ダンサー寮の荷物、俺が今日運びだすよ。辞めて出てくとなりゃ、不心得な奴らもいるから。失せ物が出ないうちに片付ける」
「ありがと・・ごめんね。・・じゃ、行ってきます」
「俺、途中まで送る」
「大丈夫よ。昼間だから」
「でも、送る」
二人は並んで玄関に立った。
「ちょっとお待ち」小美世が言った。振り向いた二人に小美世が切り火をした。
そして「こそたくまやたく・こそたくまやたく・こそたくまやたく」と詠うと合掌した千鶴子の手に息吹を当てた。
「行っておいで。良いご縁を頂いてくるんだよ」
「はい」
千鶴子は深く頭を下げた。
「行ってくら」ゲンが言った。
二人は木挽町通りを晴海通りまで歩いた。そして歌舞伎座の横を曲がった。
「宝塚劇場なんだって?」
「そうなの。いまはGHQの管理下に入ってアーニーパイル劇場という名前になってるのよ」
「去年に三人で行ったとこだよね。大雨の日に。着物が痛むってオフクロが言ってた。あの一番偉い人、まだ居るの」
「支配人はアメリカ人将校だったわ。結城さんは副支配人でいるらしいわ」
「逢ったの?」
「・・まだ」
「そっか・・でもあの人チヅちゃんの味方してくれるだろうから、大丈夫だよ。RAAじゃ、ヤな思いばっかりさせられたもンな」
「そんなことないわよ。人当たりが不器用な私が悪かっただけよ。みんないい人だったわよ」
「俺、心配なんだ」
「どうして?」
「チヅちゃんは人の良いとこしか見ないから・・あの、ハワイから来た奴。ヘレンだっけ。目上にはおべんちゃら使いで、下には横暴な奴。皆に嫌われてるのに、チヅちゃんはあいつを庇ってた」
千鶴子は黙って聞いていた。
「ありがとう。ゲンちゃん」
数寄屋橋まで来ると、ゲンは引き返した。千鶴子は暫らく佇んでゲンに手を振った。
手を振りながら思った。
私は嘘つきだ。ヘレンさんは嫌いだった。でも嫌いという態度になるのが怖かった。仲間のダンサーたちに「本部の回し者」と村八分にされても、怒れなかった。
そしてお腹の子供のことも‥黙ったままでいる。私は嘘つきだ。