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ご府外東京散歩#01/旧き神を見つめて始める

高校時代(1960年代後半)「新宿、遊びに行っつくらぁ」と母に言うと、母は真面目な顔で言った、

「およしよ!そんな遠いトこ行くのは、あスこは駅前で牛啼いてンだから」
生涯の大半を中央区/千代田区/江東区だけで過ごした母にとって、"世界"とはこの三区だけだった。(よくまあそれでアメリカ人と一緒になったもンだといつも感心してるンだが)
そんな母の言ぃ草を、僕はいつも「啼いてねぇよ。いつの時代のこと言ってンだ。」と笑い飛ばしていた。
と・・言いつつも、僕自身も東京の北限は山手線上部までで、総武線をそれより上に行くことは殆どなかった。ましてや新宿・高田馬場・池袋から出ている私鉄に乗るなんてぇことは皆無だった。考えてみると、母にとっての「東京」は拡大しても朱線引き(15区)までだったように、僕にとっての東京も23区までだったのかもしれない。

ところが、大学時代に出来たバンド仲間の一人が立川の産で、どんなきっかけだったろうか彼の実家へ遊びに行ったことが有った。
そこで、彼の母堂から言われたんだ。
「そこに バナナあんだんべえ? 食っていいでぇ」
台所に有った山盛りのバナナの房のことだったと思う。すこし色が変わっていた。
僕の友人が言った。
「こりゃあ あんだんべ 食えんのかぁ?」
「あんちゅうことよう でぇじょぶだぁ 食えぇ」
全ての会話が語尾上がりで、異界に来たような・・友人が突然異星人になったような気がした。
その時思った。
あ。きっとこの間まで、この会話の傍らで牛が鳴いてたんだ・・と。
母は間違っていなかった・・と。
このときがナマの武州弁を聞いた初めての体験である。

件(くだんと読みます)の友人は、自分の親と話をするときは武州弁を使い、僕と話をするときは共通語を使っていたのだ。バイリンガルだったのだ。これが結構ショックだった。それと、その時はっ!と思ったんだが・・考えてみると、彼の使う言葉のほうが僕のそれよりキレイなのだ。彼は僕のようなざっかけない(これも東京弁)言い回しはしない。自然に端整なのだ。上田万年が標榜した「美しい日本語」なのである。
・・少し拡大解釈して云うと、非首都圏方言話者の話す共通語のほうが間違いなく美しい。おそらくそこには言文一致の中に絶妙に残された文語体が絶妙に活きているからだろう。比して僕の言葉は徹底して口語体でアクセント・表現・語彙の使用が隅田川流域の人のものだ。しゃべり言葉の中に文語が混ざるなんてぇことは、ほゞない。
前に「東京出身者は、相手が東京出身かどうか、アクセントと言い回しですぐに判る」と書いたことがあるが、逆に関西出身の友達に言われたことが有る。「東京生まれ東京育ちの人はすぐわかる。アクセントがへんやから」なるほどな、逆もまた真なりか・・

そのとき、彼に連れられて立川の町をあるいた。僕は基地の町としての立川しか知らなかった。しかし彼が見せてくれる立川駅の西側/線路と並走する街道沿いは、はるか昔から旧い神/地祇のおわします町だったのだ。僕は彼と歩きながらしまいに無口になってしまった。不審に思ったンだろうか。彼が言った。
「どうしたんだ?つまんねぇか?田舎すぎて。」
「・・いや・・ちがう。実は、オレは・・オレたちは・・よそもンじゃねぇかな、と思ったんだ。」
「よそもン?どういうことだ」彼が聞き返した。
「これがホントの東京なんじゃねぇかな?と思っちまったんだ・・よそから来て勝手に海を埋め立てて街を作っちまって、勝手に我がもん顔で、此処はオレんちみたいな顔しているオレらは、なんかまちがえてンじゃねぇか・・」
「どういうことだ?」
「東京をさ。長屋を縦に建てて、寄っちゃかばって海の近くに暮らしてるオレたちがさ、とんでもない田舎もンのような気がしてきたんだ。こっちが昔からあるホントの本江戸なんじゃないか・・そう考えちまったんだ。」
「長屋を縦に建てて??ははは♪そういや、その通りだ。マンションなんてその通りだ。そういや、ウチのオフクロも、あンなトコには間違ったって住みたくないってるもんな。たしかに縦に長っぽそいタダの長屋だ」

僕はそのとき。立川駅の前に立って・・多摩丘陵の東にある広大な葦原を幻視した。そしてそこに三河駿河から来た人々が住み始めたころを視た。旧来からこの地に生きていた人々は、きっと魂消たにちがいない。なにをよそもンは始めるんだ、おれたちの庭で。そう思ったにちがいない。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました