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新宿新古細工#20/おわり~新宿南口ドヤ町

新宿駅には旧国鉄の広大な新宿貨物駅があった。僕が知っている南口はそんな仕事場でニコヨン仕事をしているオヤジたちの町だった。
駅をまたぐ陸橋の上から見る貨物は、ムカシ見た京浜東北と同じあずき色の車両ばかりで、不気味な音を立てる電気機関車が荷物を積んだ車両を如何にも重そうに牽引していた。線路には彼処にオヤジたちが動き回っていた。
そんなオヤジたちは、西口のションベン横丁ではなく南口の薄汚い呑み屋にタムロしていた。なぜか僕のマネージャーだった三舟さんはそんなオヤジたちと知己の間だった。三舟さんはいつもそんなオヤジたちのいる店に行くと店中の勘定を全部持った。僕はそれが不思議でならなかった。あるとき三舟さんが言った。
「貧乏の辛さが判るのは貧乏な奴だけだ。だから貧乏人は自分の食い扶持減らしてでも貧乏な奴を助けるんだ。嫌いな奴でも気に入らねぇ奴でも助けるんだ。それが生きるってことだ」そういわれたとき、僕は三舟さんが言う意味が分からずに、きっとボーッとしていたにちがいない。三舟さんは僕の顔を見つめると、奥にいたオヤジの一人を目で指した。
「みろ。あのオヤッさん。右手の小指薬指が無いだろ。あれじゃ、まともに仕事できない。でも割り前はみんなと同じだけもらうんだ。どうしてだと思う?他の奴があのオヤッさんの仕事の分を肩代わりするからなんだ。みんなでするんだ。そうやって支えあうんだ。どうしてだと思う?いつ何時自分もあのオヤッさんみたいに鉄の塊に挟まれて片輪になるかわからないからだ。・・わかったか?」僕が三舟さんの勢いに負けて頷くと、三舟さんが続けて言った。
「神代のムカシから、人は独りぼっちじゃ生きていけねえんだ。独りで生きられるなんぞと思うのは、おこがましい思い上がりだ」僕は何も言えなかった。
「なにをいってもな、ハミ出ちまう奴はいる。本人が悪いわけじゃない。巡りあわせってやつなんだよ。ここいら辺でモッコ担いでるオヤジだって、もとは立派な学士様だった方もいる。生まれついてアタマのネジが2.3個取れちまってるやつもいる。でもな、だれでも腹はすくしサカリもつくんだ。こいつばかりは、学士様もノーテンパーもおんなじなんだ。お天トさまは、誰の上にだって差すんだ。それがご慈悲ってやつだ。ご慈悲はな、持ち回りなんだ。神代のムカシからな。」

あるとき、三舟さんと同じ時期に南里文雄さんの所でタイコを叩いてた方と話した。そのとき、たまたま新宿南口の話になった。その方が言った。「海軍軍楽隊にいたマサさんって人がいてな。キンちゃん(三舟さんのこと)の師匠だ。ベティフォードばりの良いスーベだったんだが、ヒロポンのラリパーでな、しまいにはニコヨンまで落ちぶれちまった人だ。守安っちゃんは、踊り子に振られて山手線に飛び込んじまうしな、酷い時代だったよ。キンちゃんはしばらくマサさんの生活を支えていたという話は聞いてたよ。そのマサさんのウチがたしか新宿南口だったな」
僕はその方の話に圧倒された。

・・今は消えてしまった新宿南口の木賃宿/ぼろ呑み屋を思い出すと、僕はあのときの三舟さんの真面目な説教を思い出す。
「ご慈悲はな、持ち回りなんだ。神代のムカシからな。」その言葉を思い出す。そして「神代のムカシから、人は独りぼっちじゃ生きていけねえんだ。独りで生きられるなんぞと思うのは、おこがましい思い上がりだ」という言葉を思い出す。
新宿は大きく変わった。しかし根底に流れる「支えあう」という心意気は変わらないのだろう・・変わっていないことを僕は祈る。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました