見出し画像

旧約聖書はだれが書いたか#01

「旧約聖書は誰が書いたか」話の嚆矢はトマス・ホッブスである。彼はその著「リヴァイアサン」の中で、旧約聖書を書いたのがモーゼではないことを喝破している。スピノザなども同じことを書いているが、これらの大半は発禁処分を受けるか焚書された。
しかし1800年代に入って、主にドイツの聖書学者から聖書の矛盾についての研究が為されるようになった。彼らは聖書を精査し、これが四つに仕訳できることを発見した。

①Jahwistヤハウィスト伝承(J伝承と書く)。紀元前950年頃にユダ王国で生まれたもの。口伝を礎に"J"によって文章化されたと考えられる。彼は神をヤハウェと呼ぶ。
②Elohistエロヒスト伝承(E伝承と書く)。紀元前850 年頃に北イスラエル王国で生まれたもの。口伝を礎に"E"によって文章化されたと考えられる。この"E"が複数人によって構成されていた可能性は高い。彼らは神をエロヒムと呼んでいる。
③Deuteronomium申命記文書(D文書と書く)。紀元前700年頃のユダ王国の宗教改革時に書かれたもの。
④Priesterschrift祭祀法典(P法典と書く)。紀元前550年頃のバビロン捕囚以降に書かれたもの。
旧約聖書は、この四つが、入れ子のように嵌め絵されて作られているのだ。
現在の所、これが聖書学者の中では定説になっている。

このJEDPによるキマイラとして聖書を見直すと、幾つも見えなかったものが見えてくる。
たとえば。創世記の初めの部分。
「1:1はじめに神は天と地とを創造された。」から始まる最初の天地創造の部分を書いたのは、バビロン捕囚時代の祭祀たちである。2:4の途中「これが天地創造の由来である。」までが、彼らの創作となる。
そして2:4の後半「主なる神が地と天とを造られた時」からがJ-Jahwist(ヤハウィスト)が云ったものである。
つまり天地創造の部分は、最も原初の聖書であるヤハウィストが云ったものには、無い。祭祀たちの手によって加えられたものなのだ。それも極めて巧緻に、Jが云ったものに接ぎ木をしている。あたかもひとつの話のように繋ぎ合わせているのだ。

祭祀たちは、なぜそんな話を加えなくてはならなかったのか?
それは「バビロン捕囚」によって、彼らの立場が如何に危機へ陥っていたかを理解しなくては不可能だ。ユダヤの民は、バビロンでの生活に満足していた。祭祀たちは、その存在意義を喪失しかかっていた。
自分たちを守るために彼らは、従来より強力な神体系を必要としていた。彼らの神は、バビロンの神々を凌駕する偉大な存在である必要が有った。"J"や"E"が云う「ユダヤ人を依怙贔屓してくれる神様」なだけでは足りなかったのだ。
その必要性から、我らを依怙贔屓してくれる神は、全知全能であり、全ての創造者である!というブーストが与えられたのである。

「我らが神による天地創造の話」は、こうした目的。「我らが神の全知全能性」を示すために、祭祀たちによって後から付け足されたものなのだ。
「我らが神は全能でなければならない」その後付けを補完するために、祭祀たちは様々な箇所で、様々な組み換えを行っている。それを再度補填するように、後代の"R"編纂者がやはり様々な箇所を組み換えた。こうして成立したのが旧約聖書(モーゼ五書)である。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました