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小説特殊慰安施設協会#42/オアシス・オフ・ギンザ

本格的キャバレーを銀座に出す、という林譲の夢。その夢に彼は全ての雑念を捨てて突き進んだ。彼の耳にも慰安所が立て続けにオフリミットを受けて、閉店/再開店のイタチゴッコを繰り返していることは入っていた。PH&W局からペニシリンを受け取る際に、前面に立って交渉したのは林譲だったから、その夢の薬が如何ほど溝に流される汚水のように消費されているかも知悉していた。朝から晩まで、事務所で悪鬼のように怒鳴り散らす高松八百吉・慰安部長の机は彼の隣である。慰安所の現況は嫌でも判った。

「結局のところ、R.A.A.で残る部署はキャバレー部だけかもしれない。」林譲はそう予感していた。
『実は、先日あなたがお話していた新しいキャバレーですが。』第一生命ビルに入っていたG4のハッチンソン大佐が林譲に言った。『許可を取っていただきたいのです。』
10月の始め。千匹屋キャバレーに入店する米兵の延べ人数をまとめた書類を、届けたときである。ハッチンソン大佐の耳に、先日千匹屋キャバレーで起きた乱闘の件が第八軍・軍用娯楽施設課から届いていたのである。
『営業許可ですか?』
『はい。第八軍の軍用娯楽施設課からクレームが来ています。我々は認可していない、とね。まあ、云ってみればセクショナリズムですが、これだけ米兵が利用しているとなるとね、やはり彼らに対して許可は求めるべきかもしれません。』ハッチンソン大佐は、林譲の提出したレポートを見ながら言った。
『私のほうからセッティングをしましょう。書類を用意して横浜へ行ってください。』ハッチンソンは微笑みながら言った。
林譲が横浜税関ビルの中にある米陸軍第八軍を訪ねたのは、翌々日のことである。何度も訪ねたビルだ。それでも入り口の警備の兵隊が林譲のことを憶えていたのは驚きだった。
『おや?ムースは一緒じゃないのか?』警備の兵士が言った。ムースは、高松が通訳として連れてきていたヘレンに、米兵たちが付けたニックネームだ。
外遊が長かった林譲は「ムース」の意味は判っていた。ヘラジカ/ムースは、逃げもせず撃ち殺されるまで黙ってボーッと立っている。そんな女だ、ということだ。高松は慰安部の娼妓たちのシンボルとして、ヘレンを通訳として連れ歩いていたのだ。
林譲は、返事をしないまま硬い表情で笑った。そして第八軍用娯楽施設課にアポイントメントがある旨伝えた。
その第八軍用娯楽施設課は4階にあった。執務室に通されると、目の前に大柄な男が握手を求めた。責任者のウィルソン大佐である。
『2ヶ月ぶりだね。Mr.Hayashi。君のプレゼンテーションは、よく憶えているよ。』ウィルソンは言った。彼は、林譲が最初にこのビルに訪れたとき、対応した人物だった。
『あの時は、ありがとうございました。』林譲が言うと、ウィルソンは笑った。
『あの時は、ずいぶんオオボラを吹く日本人だ、と思ったがね。実現したことに、私は驚いているよ。』
『なんとかタイトロープですが、稼動しています。本日はG4のハッチンソン大佐の指令で伺いました。』
『ああ、聞いているよ。許可証は用意してある。持って帰ってくれ。』
『ありがとうございます。』そのあっけない話の進み方に林譲は内心驚いたが、顔には出さなかった。
『実は、懸念していることがある。オープンはクリスマスまでに間に合うのかね?』
『・・はい。11月初めを予定しています。』
『宜しい。今度のクリスマスは相当量の兵士が帰郷出来ずに日本に残る。君たちには充分活躍してもらうしかないのだ。私たちは期待している。』
『お任せください。必ず皆さんに楽しんでいただきます。』
二人は笑いながら握手した。
『出来れば我々の手を煩わせないクリスマスになると、なお宜しい。』ウィルソン中佐は笑いながら言った。しかしその目は笑っていなかった。

実は、この時期ウィルソン中佐は慰安所を巡る犯罪に翻弄されていた。
米兵の給与では、そうそう慰安所通いはできない。そのため兵士たちは、PXで買ったタバコ、砂糖、食品を闇屋へ横流しをして遊ぶ金を作っていたのだ。あくどい兵士は、PXの倉庫からこれを盗み出し転売などもした。米軍警察MPは、これに徹底対応をしていたが、MPの締め付けが厳しくなると、米兵の矛先は慰安所そのものに向いた。「サービスが悪い!金を返せ!」と騒ぐ兵隊が増えたのである。
 各慰安所には、必ずMPが駐屯していたが、こうした「金返せ」とゴネる米兵と慰安所の揉め事には介在しなかった。RAAも、こうしたゴネる兵隊が出た場合は黙って返金していた。そのため「金返せ!」という兵士が、12月に入ると続出していたのだ。そのことは、周囲を怒鳴り散らす高松慰安部長の口ぶりで、林譲の耳にも入っていた。
 それどころかMPのいない慰安所では、売上げの強奪事件も起きていた。大森海岸では、数人の米兵が徒党を組み、大騒ぎの上、放火して遁走するという事件まで起きている。

こうした事件は、MPと第八軍用娯楽施設課・ウィルソン中佐が対応していた。
林譲は、ウィルソン中佐の『我々の手を』という言いぶりに、それを察知した。
『実は、つい先日。あなたの会社の施設の帰りに・・どうやらオフリミットのため休業していたらしいのですが、一般人を強姦するという事件が起きています。』
『・・はい。』林譲は頷いた。その話は、宮沢理事長から聞いていた。

このことで、宮沢と高松は築地警察の高乗保安部長に呼び出されて事情聴取されていた。
「オフリミットされた施設は、可能な限り早く再開するために高松部長が奮闘しているがね、それでも数日の閉店は余儀ない。今回は、その間に起きた事件だ。我々のせいにされても困るのだが、なんとかGHQに話して、オフリミットのついては事前に我々へ知らせてくれるという話にできんかね。これでは日本女性の純潔を守るためのRAAという看板が泥に塗れる。」宮沢理事長は、林譲にそう言った。
その暗い表情の宮沢理事長を黙って見つめながら、RAAは深刻な自己矛盾を起こし、自壊するかもしれない・・林譲はそう思った。
『できれば、静かな新年を迎えたいです。』ウィルソン中佐が言った。
『もちろんです。十善の努力をいたします。』林譲は力強く応えた。

この新店舗について、林譲は不眠不休で出店に向かって邁進していた。自ら新店舗営業所長の兼業を宣言し、全ての采配を行っている。
店舗は銀座松坂屋地下2階3階に決定した。林譲の大学時代の先輩が同店支店長だったのだ。松坂屋は林譲の申し入れを快諾し、地下の凡そ500坪がR.A.A.に賃貸された。
林譲は店舗設計/内装デザインすべてに参与し直接采配をした。千匹屋キャバレーの内装が買い取った他店舗から持ち込まれたものだったので、客観的に見るとかなり珍妙なものだったのだが、新しい店舗は全くゼロからの構築である。林譲は、椅子テーブルの選択・内装家具について細かくチェックを入れた。従業員/ダンサー/バンドマンについては、そのまま千匹屋キャバレーに従事しているスタッフを移すつもりでいた。追加分の雇用も最終面接は、林譲自身が行っている。店の名前を「OASIS」としたのは、米兵にとってのオアシスと意味と共に、そこに働く自分のスタッフにもオアシスとなるという林譲の思いを込めたからだった。林譲は事有るたびにそれを口にした。「我々のオアシスを作ろう。心委ねられるオアシスを作ろう」と・・

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました