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旅のすえ また大川に めぐりあう

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彷徨を続けた人生でしたが、いまは大川の畔にもどっています。
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#昭和

らく町まぼろし散歩#01

僕にとっての銀座/有楽町は1965年あたりから1970年くらいだ。高校生になってからと大学生にな…

勝鬨美樹
2年前
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江戸と東京をめぐる無駄話#14/天皇の資産形成#02

薩長明治政府は、天皇家の功績に対してまず、ほぼ10万石だった禄高を15万石に増加させた。財源…

勝鬨美樹
2年前
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開店前のお騒がせ

勝鬨美樹
1年前
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らく町まぼろし散歩#06

「これ、おいしいね」と僕が言うと、母の額にピッ!と走るものがあった。 「男はね"うまい"で佳…

勝鬨美樹
2年前
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らく町まぼろし散歩#05

有楽町駅前のすし屋横丁の中に「コンボ」というジャズ喫茶が有った。オーナーは川桐徹という方…

勝鬨美樹
2年前
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らく町まぼろし散歩#02

心に骨格が出来て、血肉が付くのはきっと中学から高校になるころなんだろうと思う。 色々なも…

勝鬨美樹
2年前
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銀座幻散歩#04

四丁目と数寄屋橋交差点の間は、西側と東側にはっきりとした明暗が有る。 東側は寂しい。それでもいくつか拾ってみると・・先ずに目に付くのは銀座教会。ジュリアス・ソーパーによるメソジスト系の教会だ。ここは戦前から英語学校を経営していた。さすがに戦時中は閉鎖されていたが、終戦後はほどなく再開している。礼拝のほうは戦時中も休むことなく行われてたとのこと。それと戦災に遭った泰明小学校は一時、この教会内で授業を行っていた。銀座の肝ともいえる地である。ぜひ訪ねてください。 晴海通りに安田財閥

銀座幻散歩#03

さて。再々度4丁目の交差点に戻る。服部時計店(和光)の表示はまだPXになっている。Post Exchan…

勝鬨美樹
2年前
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銀座幻散歩#02

さて。再度4丁目の交差点に戻る。こちらがわの角には、服部時計店(和光)と三越がある。服部時…

勝鬨美樹
2年前
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銀座幻散歩#01

サンフランシスコ平和条約の直前、昭和26年の銀座地図である。 この地図から、色々なものが見…

勝鬨美樹
2年前
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葱鮪鍋の思い出

佃のウチでは、冬になると葱鮪鍋がよく出た。 鮪の脂身に近いとこを賽の目に刻んで、これを葱…

勝鬨美樹
1年前
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一番古い記憶は、満開の桜の木とその桜吹雪だ

一番古い記憶は、満開の桜の木とその桜吹雪だ。 僕は無数に舞い散る桜の花びらの中にいる。 路…

勝鬨美樹
3年前
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パリの質屋

随分前なんだけど、北京の学校で「マイクロ・ファイナンスとしてのグラミンバンク」について話…

勝鬨美樹
2年前
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月島公益質屋

「都都逸下手でも やり繰りゃ上手 けさぁもぉ七つ屋ぁでぇ 褒めぇられた♪♪」 勝どきの質屋は何時まであったんだろう。 ちょっと気になって「中央区30年史」を見てみた。 こうあった。 「勝どき一丁目四番地にある。大正十三年の設立であるが、昭和二十七年に東京都から区へ移管になって現在にいたっている。昭和五十二年度の貸付状況は、金額一、二九七万円で、口数は一、二八五口である。一口当たりの平均貸付額は約一万円であり、その九割がサラリーマンである。質屋業の衰退とはうらはらに、サラリーロ