さあ、HSEの話をしよう 2 実は暗黒だった子供時代
みんな横並びを好む日本で、外向型HSPはかなり生きにくい環境だと感じます。
ましてや学校生活は制約も多く、枠から外れれば、学習に影響を及ぼすばかりではなく、いじめの対象にもなりかねません。
母は私の子どもの頃を
明るく、積極的で突然予想もしないことをしでかす、面白い子だったと捉えています。
しかし、私はあまりその頃のことを振り返りたくありません。
私が通っていた小学校は全校生徒が32人、同級生は3人という、極めて小さな学校でした。
休み時間になると全校生徒で遊ぶのはお約束ごとで、その輪に入る以外の選択肢がありません。
そこは幼稚園が併設されていて、当然のことながら、園児も10人いれば多い方。だから運動会などの行事のほとんどが合同で行われました。
小学校に通う生徒の人間関係は、幼稚園児の時点で決まっていて、家族ぐるみで付き合うのが当たり前。
今でいうママ友なんてレベルではない親密さで、全校生の保護者がみんな、すべての生徒のことを知っていました。
そんな狭い世界に、私は幼稚園の終わりがけになって転園してきました。
私は持ち前の個性を発揮して、学内活動に積極的に参加し、先生に好まれる生徒だったので、同級生からは嫌がらせを受けました。
ここで思い出して欲しいのは、この学校が極めて小規模だということ。
同級生から嫌われるということは、全校生からつまはじきにあう、ということなのです。
私は母に何度も大きな学校へ転校したいと訴えましたが、大きな学校へ移ったとしても、状況が良くなるとは限らないと言われるばかり。
学校へ相談すれば、私が他の生徒たちから距離を置いているのだと見られていました。
HSPの方なら分かりますよね。
私は同級生たちが発する不穏な空気を察したから、距離を取らざるを得なかったのです。
みんなと一緒にいない私が悪いと結論付けられ、他人と異なることをしてうまくいかないと、全校生徒に冷やかされる。
よくそんな状況で6年間も通い続けられたものです。
HSPは敏感だけれど、か弱いわけではないし、何か夢中になるものがあれば没頭できるので、孤独な時間があったことはむしろ好都合でした。
また、さらに外向型の私は、社交性に優れていたおかげで大人ウケが良い子どもだったので、何とか居場所を確保できたのです。
時々、子どもの頃にかえりたいなんていう大人がいますが、誰が何と説得しようと、大金を積まれても、私は御免です!
いくらでも選択肢があり、違和感の原因を突き止められるようになった今が、絶対にいい。
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