本を読む人(番外編)。
前回の記事にいただいたコメントへ
「『本』という小物が絵になるんですよー。」
というお返事を書きました。
「煙草」とか「電話」も絵になります。でも
スマートフォンは絵にならないんですーとも書きました。
スマートフォン。
ほんと、絵にならないんです。
四角い小さな板のようなモノを耳にあてて
電話をしている姿も、指で操作をしている姿も
どーにも絵になりません。
なんて説明したらいいかわかりませんが
詩的な雰囲気にならないんです。
面白くない。
絵にするなら電話はやっぱり
大きな受話器がコードで本体に繋がっている、昔のスタイルが良いです。
黒電話とか、10円玉を入れて使う公衆電話とかもいい。
古い映画やドラマ(とくに刑事物)で
こういう電話機を使ってる姿はいいなぁと思います。
物事がサクサク進まない、もどかしいところがいいんですね。
ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』で
ジャンヌ・モローが受話器を握りしめて話しているシーンがありますが
これも、あの昔の電話機だから良いんじゃないかなーと思います。
受話器を持つ手の仕草。
ムードがあって、美しく素敵に見えます。
そんなことをつらつら考えてたら
ある整体師(←人体力学を理解している人、ココ大事)の方が
SNSでこんなことを呟いていました。
『物事には「絵面の力」と言うのがあって
スマホを覗き込む姿は絵面が悪いのは確か。』
ああ、絵面の力だ!
ポンと膝を叩きました。
たしかに物事には「絵面の力」があります。
絵面が良いかどうか。
そこで
絵になる、絵にならないがあるんだろうな。
なんとなくですけど
昔のもの、
今から比べれば不便だったり、時間のかかったりするモノ事の方が
絵面が良いような気がします。
と
こんな絵を描く私が言うから説得力もあろうというもの。。