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悩んでいたけど、noteをポツポツ書いているうちに解決した。

これを書き始めたときに、
これについて悩んでいた。



内容をnoteに書くか、ブログに書くか。


なぜそんなことを考えていたのか。







\\\文章を書いて、お金を生み出したい///




これ。つまるところこれ。



noteとブログ、別物だけど似ている。
見てくれる層は絶対に違う。
両方を使い分けている人はどれだけいるだろうか。

こういうことももちろん考えていた。
けれど、一番はそこじゃないんだ。







\\\文章を書いて、お金を生み出したい///






卑しいように見えるが、
大事なことなので2回言う。



***

noteをポツポツと書いてみると、
意外や意外、いいねを押してくれる人がいる。
最近はサボり気味だけれど、
それでも過去のものにいいねしてくれたり。

反応が欲しくて書いてるわけじゃない。
強がってない。これはほんと。
なんなら、注目なんてしないでくれ、
と思うときすらある。こじれている。
(このこじれ、わかってくれる人いるかなぁ)

なのに、反応があると、やっぱり嬉しい。
そこに存在していていいよ、と思わせてくれるからだろうか。
自分の思想に賛同を得られたからだろうか。
自分が生み出したものにセンスある、と思ってもらえたからだろうか。

センスある、って嬉しい。
先天的にも後天的にも、理論的に身に着けたものとは違い、感覚的にえいっ!!!としたものが評価される。
実に動物的である。


***

なんか矛盾したこと書いてるなぁ。




注目しないでくれ。
けれど、反応はあると嬉しい。



収入を得るため、皆どうやって注目されようか戦略を練っているのに。
自分も収入を得たいと思っているのに。



注目しないでくれ、だと?




注目はされたくない
→不特定多数の人に注目されたくない
→不特定多数の人の、好奇の目に晒されたくない
→奇を狙っているわけでもないが、目線は独特かも
→自分の発言は独特で面白さを含むと、
 既に思っている。
→というか、気にしいな性格すぎる。
→わかる人にだけ見て欲しい




本当は、注目されたいんじゃないのか?
人がある一点に注目する時の、
あの視線が私を突き刺してくる気がする。
それを恐れている。


けれども、noteで貰えるのはハートだ。
そんなに怖がらなくていい。

それにしても、なぜ
「自分を突き刺す」ように不愉快に感じるのだろうか。
一種のトラウマだろうか。。。
わからない。。。


少し話はそれるが、
SNSで自分の顔を上げている人、
平気かどうかは置いておいて、
よく載せられるね???
と思ってしまう。不思議で仕方がない。


ブログだと不特定多数の人に見られてしまうから
向いていないと思う。
少なくとも今は。



第三者から見られることにまずは慣れようと思う。
お金は、あればあるほど良いけれど、
それはもう少し後から考えていこう。




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