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人と人を繋いでいく地域コーディネーター ‘‘田中利和さん’’

多方面での『役割』をまっとうしながら、人とのご縁から人や地域を繋いでいる田中利和さんのお話を伺いました。

プロフィール■出身地/活動地域 埼玉県比企郡小川町の農家の生まれ/杉並区阿佐谷/世田谷区経堂ときどき埼玉、心は「ふくしま」■経歴 専修大学文学部心理学専攻卒業。ワタミフードサービス株式会社に勤務するが激務のストレスにより退職。1年半の引きこもりの後、登戸のそば処で9年ほど勤務。その後NPO地域コーディネーターとしてNPO法人コモンズファーム理事に就任。主に被災地支援や地域月刊誌の制作に携わる。後に、NPO法人CBすぎなみプラスの運営に携わる。現在、株式会社いちからで創業支援の仕事に従事。そのかたわら、マルシェへの出店を中心に福島の農家支援活動を行う。■現在の職業および活動 ①株式会社いちから 創業支援 ②田中デザイン事務所 ③田中農園販売担当 ④被災地とつながる市民ネットワーク世田谷(福島農家支援) ⑤ときどき占い師(陰陽五行姓名判断 木火土金水)■座右の銘「脚力尽くる時 山更に好し」「命より大切なものは“立場”。立場の恩人たれ!」「バランス感覚を大切に生きる」

記者:今の活動をするに至った経緯を教えてください。

田中利和さん(以下田中 敬称略): 私は就職した会社が本当に忙しくて、1か月に2日休めればよいというような世界でした。自律神経がおかしくなって退職をしました。当時1人暮らしをしていたのですが1年半ほど引きこもりになってしまいました。その後、近くの家族経営の蕎麦屋さんで働くようになりました。そこでは9年くらい働きました。そこに目的はなく、ただ「働かないと生きていけないから働く」というものでした。すると、30歳手前になる位で、「このままじゃダメだ」、「何か変えないと!」と思ったんですね。それで、まずは1人で富士山に登りました(笑)

 そこから様々な勉強をし、一度参加した朝活をきっかけに、自分でやってみようと思い立ち、自分でも読書会やマインドマップのワークショップを主催していました。その頃、ネットワークビジネスにはまりこんで大損したりもしました。

ちょうどその頃、2011年に東日本大震災がおきました

 その頃はお金がなくて、食うか食わないかの時でしたが、たまたま知り合いの人に渋谷の占い師さんを紹介してもらい、そこにバイトで入りました。そこで半年間やって陰陽五行を覚えることになります。ここからが今と繋がるのですが、そこの事務をやっている女性に「NPO地域コーディネーター養成講座」という、国土交通省が無償でやっている講座を紹介されました。そこで半年間学んだのが今に至るきっかけです。

世の中の役に立つことに関わりたい

記者:コミュニティビジネスに興味をもったのはなぜですか?

田中昔から世の中の役に立つことに関わりたいなっていうのが漠然とあったのでそれが大きいですね。ただコミュニティビジネスというのは当時は余り仕事として成り立っていませんでした。人の役に立つ仕事で、しっかり稼げるイメージがありませんでした。今のようにこれだけNPOが当たり前になったり、経営できているのは、ここ数年のことと思います。以前はボランティアとNPOの違いが余りなかったように思います。ただ、ボランティアとNPOに関わるようになったのは、生きている証として、社会から自分が認められたいというのもあるかもしれないですね。

夢はなくていい。役割で生きること

記者:田中さんはどのような夢をお持ちですか?

田中:実は夢はなくていいと思っているんです。それよりも役割として何を担っているのか、といった役割意識で生きることが大切なのではと思っています。

 そもそも「夢」を書こうとしても書けなかったんですね。違和感があった。目指すべきものがあった方が良いと思ったこともあるけど、世の中の大半はそうじゃないと思います。夢をかなえられることは少ない。それで夢を持てというと、皆、苦しいと思うのです。だったら、「夢を持たなくてもイイ」という選択肢もありかな、と。自分もその1人です。世の中が多様化している中で、そういう生き方でも生きられるんだなって。その一例になれたらと思っています。

記者:今は具体的にどのような役割をされているのですか?

田中人の想いをカタチにして事業化したい人のサポートをする役割です。具体的には、東京都の創業サポート事業をしています。「女性若者シニア創業サポート事業」というもので、都内で創業する人の資金調達、事業計画の立て方などをサポートしています。特に、女性若者シニアの起業のハードルを下げようという東京都のねらいです。創業アドバイザーとして認められた中小企業診断士がコンサルとして信金、信組さんとの仲介をします。私はその仕事の中で、創業に関するセミナー運営や窓口の仕事を担っています。私の役割としては創業支援の周辺業務をやっています。案内パンフやチラシを作ったり、創業先のサイト制作なども担っています。


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ケンカをして得することはない


記者:田中さんの大切にしてる価値観は何ですか?

田中:ケンカをしないということですかね。ケンカをして得することはないと思っています。私の実家は今の世の中としては古い家で、農家なので家父長制だったんですね。農家の長男の嫁としてケンカすることなく取りまとめる母親を見ていたのが大きいかなと思っています。
 自分は男兄弟の一番下で家族が男系。その中で女性的な役割を担っていたこともあり、自分自身も奉仕的になっていきました。世の中の流れとして、女性的な世の中になるべきと思っていて、女性リーダーの周りに男性がいるのが理想なんだろうなと。男性が実力もないのに偉くしているのはおかしいし、女性は性質的に仲良くするのが得意という長所があって、それが美徳なのではと思っています。そもそも人がいないと仕事も成り立たない。どんな仕事でも人間関係が大事なので、世の中は接客上手な女性をより求めているのではと思います。
また、私は小さい頃からいじめられることが多かったのですが、その後、いじめっ子は不幸になっているケースが少なくなく、やはり自分に返ってくるものだと思っています。「女性的に調和して生きた方が良い世の中になるのでは」というのが、私の中の結論です。

利他的な社会へ


記者:ケンカしない状態が世の中に広がっていくとどうなると思いますか?

田中:利他的な社会になるかなと思います。映画『ペイフォワード』は、「相手の為になることを3つ行えば世の中が良くなる」といったお話でした。そんなことが当たり前にあるような社会。それはとても素晴らしいなと思います。
ただ、もちろんそれが理想的だとは思いますが、そこまで実現するのは難しいのかなとも思っています。なぜなら文化人類学的に、男は狩猟に出かける役割を担っているといわれており、遺伝子レベルでそんなものが組み込まれています。ただ、現代のように社会が成熟してくると、そういった狩猟的な考え(=短期的に他人から搾取する)だけでは無理なのではないか、と思っています。

田舎と都会を行ったり来たり


記者:もし何でも叶うことがあれば、利他的な社会を創りたいですか?

田中:そうですね。ただそれを実現する為の計画はできていないです。私は今、シェアハウスに暮らしていて、コミュニティーを作りたいと思っています。田舎と都会を行ったり来たり、どっちで生活しても良いのが理想ですね。その時には、仕事をフレキシブルにやっていたいですね。ただ、今までの会社員ではできないので、役割があり、お互いにチームや仲間同士でできていれば可能になるかなと思います。実際、東京でも田舎でも仕事をしている人、1ヶ所に拘らないで仕事をする人が増えてきたと実感しています。
さらに、自然と関わることがとても大切だと思っていて、今はそういうのがなくなって、田舎ほどゲームをする人も多く、引きこもりやすかったりします。身体の構造上、自然と朝目覚めて、太陽の光を浴びて、を繰り返すのが心身の健康上で大切だと思います。かつて昼夜逆転の仕事や、引きこもり経験でそれは痛感しています。また、それでも、こどもの頃に自然と共に生きた経験が私自身の免疫を強くしたと思っています。それは、先祖代々築かれた生活環境のおかげだと思っています。それが都会生まれ、都会育ちだと、こどもの頃からそういう社会に育っているので、ウイルスに弱くなってしまうと思います。

記者:役割で生きることでの気づきはありますか?

田中:自分とは違うなって人いるじゃないですか?インスピレーションで真逆な考え方みたいな「合わない」と思う人も、役割重視で接すればいいと思います。
ライオンがいれば、ウサギもいる。人間社会も動物の世界のように関係性は難しいものです。ただ、役割を理解して細かいことができる人、大きく仕事を動かす人など、それぞれの役割を果たした時に生産性が上がると言えないでしょうか。同じことをやれば1+1=2ですが、得意が違う人が2人いれば、掛け算になると思うのです。例えば、全員事務の人だと何も成り立たない。営業の人がいなくては仕事が生まれない。だから気性が合わなくても違う人といた方がよいのだろうなと思っています。ただ、意見の相違など、ケンカになることも多いでしょう。肉食の人と草食の人が一緒になっても、意見がイコールになることはない。そこの通訳が重要なのかなと思います。会社でもコミュニティでも国でもそう。それが地域でいえばコーディネーターの役割なのです
役割に関して分かりやすいのが、陰陽五行の木火土金水です。組織としても、木火土金水が全部あるのが理想なんです。うまく1人ずついた方が理想的ですが、なかなかそんなケースは少ない。役割が大切ですし、そのバランスが取れていると、生産性も上がっていきます。
私自身の話ですが、逆境に強い人間だと思っています。情報量が多く、変化の激しい時代では、いつ何が起こるのか分かりません。そんな時に、メンタル及び生活のバランスを取れるかが大切だと思っています。

記者:田中さんの中で、ターニングポイントである2010年や2011年でどのように在り方が変わりましたが?

田中:ターニングポイントの前はあきらめることが多かったですね。世の中に対しても自分に対しても。でも自分で動くようになって見え方が変わりました。「やってみればなんとかなる」という感覚が湧き上がってきたんです。それまでは人と会うのが凄く嫌で、おっくうで積極的に人と会っていませんでした。そこからあえて人と会うのを定期的にやってきて、紹介していただいたり、あきらめていたことが勝手に進んだり、向こうからやってきたりというのが生まれたんです。今振り返ると、「1人では何もできないな」というのを実感しました。特に2010年と2011年がどん底で、日々つらいことだらけでした。何がつらいかというと、「朝起きてやることがない」というつらさを味わいました。仕事やお金がないっていうのが、何もやることがないのが本当に不幸だと思います。これからは今まで当たり前だった仕事がどんどんなくなってきてしまう。自分がその役割になれるか分からないですが、本当に必要としている人に対して、何か仕事が作れたらいいなと思っています。

記者:最後に読者にメッセージをお願いします。

田中「大丈夫死ななきゃ何とかなる!」これが一番です。あとは、1人で考えないことですね。1人の世界に入るとドツボにはまります。「井の中の蛙」ですよね。「井戸を出て、大海に出ていけば、何かしら人が助けてくれるから大丈夫だよ!」ということを伝えたいですね。

記者:貴重なお話しをありがとうございました!

田中利和さん基本情報

株式会社いちから
https://g.page/ichikala?share
田中利和FBページ
https://www.facebook.com/tanakatoshikazu


編集後記

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インタビューした塩田、見並、牧野です。

田中さんのお人柄に触れ、役割を持って人と人が繋がっていくことの重要さを感じました。

昨今は夢を持てない人も多いかと思います。ですが夢を持つことに固執せず、役割を意識して人と人が繋がっていく社会を創っていけたら、多くの人が自分の個性を活かして活躍できるのではないかと、明るい希望を感じました。

田中さん、ありがとうございました。

この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。

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