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感情の境界線

みかおです。

普段はサラリーマンしています。

妻子持ちでアラサーです。


衝動に駆られて、

(貯金を切り詰めながら ←!!!)

色と形だけで感情を表現するキャラクター、Ema(エマ)を作っています。


Noteの投稿は初めてなので、

練習がてら、今回はなんでEmaを作り始めたか

その理由の一部を、さらっと書いてみようかと


僕、日記をつけるのが趣味というか日課で、

(人生の充実度がブチ上がるのでとてもオススメ!)


特に、一日をどういう気持ちで過ごせたか?

というのをよく考えるんですけど、


ある日ふと疑問に思った


そもそも、感情って今ある言葉だけで足りてるの?


気になって、色々調べてみた


有名な研究結果の一つとして、人間の感情は27種類で表現できる

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らしい。

引用元:

https://www.lifehacker.jp/2019/03/eudaemonics-in-our-era-volume9.html


本当? 本当なのか?

(科学的な定義や分類の方法などはおいておいて、)

僕は全然しっくりきませんでした。


そもそも、今ある感情の表現の仕方に限界があるのではないか?

だとしたら、新しい感情の表現方式としてはどんなものがあるのか?


そんなことを考えているうちに、

限られた情報だけに絞って、

あとは人間の想像力で補えば、新しい表現方法があるのでは?


なんて考えるようになって、

Emaを作る挑戦を始めることにしました。


言い換えるとこれは、キャラクター制作であると同時に、

新しい言語を作ること

だと思っています。


例えば、「椅子(いす)」を想像して見てください。



ちゃんと想像しましたか?

(読み飛ばしてない?)


みなさんそれぞれ、頭の中に浮かぶイメージがあると思います。


一言に椅子と言っても

いろんな要素に分解出来ますよね。

座る部分、脚の部分、背もたれの部分、…


でも、これって正しい分け方なのでしょうか?


色々な先入観を無視すれば、

そもそも、座る部分、脚の部分、背もたれの部分

それぞれを区切る根拠はどこにもありません


いろんな解釈があると思うけど、

僕は、

人間が認識しやすい様に作った要素

なんだと思っています。


単に ”今の” 我々の社会で使われている

「椅子」がこの様に認識されているだけであって、

100年後の世界では、

(背骨をいたわる為だとかの医学的な理由で)

背もたれの部分は左右2つに別れて製造されるのが常識になっている

、、、かもしれない


もっと言えば、それぞれのパーツは、

木材や合金が組み合わさって出来ていたりするし、

(屁理屈みたいだけど)

その素材だって、実は細かい構成要素(繊維や粒子)で出来ています。



何が言いたいかというと、

結局これらのことって、

今の我々の認識に基づいて、言語が作られている

ということなんです。


背もたれの部分と座る部分、それらを分断して認識することで、

例えばリクライニングシートが理解できる様になります。


しかし、それ以上細かく分断する必要はありません。

(分けて認識する理由が今のところないから)


だから、パーツを構成する部位に対して、

我々は言語を割り当てていないのだと思います。

(椅子業界では、専門用語があるのかも?)



これは逆も言えて、

言語が我々の認識を作っている

とも解釈できます。


パーツを構成する部位に対して、特定の言葉がないから、

はじめに「椅子」と言われたときに

そこまで意識することはしなかった(ですよね?)


もしそうなら、

感情を表すのに適した言語

を作ることができれば、


もっと細かく(それでいて心地よく)

認識を区切り直すことができれば、


人間は感情に対して認識の幅を広げることができるかもしれない。

もっと感情について考える機会が増えるかもしれない。


そんな仮説(妄想?)を持っています。



まぁ、色々小難しいことを言ったりもしていますが、

今は単純に、色々な人の感情に触れながら

Emaを作る作業自体を楽しんでいます。


この活動を始めて、

こんな訳わからん取り組みに対して

前のめりでイラスト制作をしてくださる人々に出会って、

本当に感謝とリスペクトの気持ちでいっぱいです。



子供もこれからお金かかるけど、

Emaも自分の子供みたいなもんなんで、

ヒーヒー言いながらも、

いつか人様の役に立てる様に育てていきたいと思います。



それではまた〜



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